第15話 選ばないという選択
左遷、という言葉は使われなかった。
通達の文面は最後まで丁寧で、配慮に満ちているようにすら見える。
――王国財務監査特別補佐官エリシア・フォン・クラウゼを、王国経済記録整理室付顧問に任ずる。
記録整理室。
誰もが一瞬だけ考え、そして理解する場所だ。過去の資料をまとめ、保管し、参照できる形に整える。重要だが、決定権はない。現場にも出ない。政治の中心からは、最も遠い。
(上手い)
エリシアは文書を読み終え、静かに畳んだ。
罰ではない。追放でもない。だが、影響力は限りなくゼロに近い。反発も生まれにくい。誰も表立って文句を言えない。
合意という名の、完璧な処理。
執務室を引き払う日、リーゼが手伝いに来てくれた。
「……本当に、行くのですね」
「任命ですから」
エリシアは、机の引き出しを整理しながら答えた。
「断ることも、できたのでは」
「できました」
だが、それは“追放”を選ぶのと同義だった。
「ここに残っても、何もできません」
「でも……」
リーゼは言葉を探している。
「あなたが、間違っていたとは思えません」
「ええ」
エリシアは頷いた。
「間違ってはいません」
だからこそ、排除された。
経済記録整理室は、王城のさらに奥、陽の当たりにくい場所にあった。静かで、人も少ない。埃の匂いと、紙の匂いが混じっている。
「こちらが、執務席になります」
案内してきた職員は、申し訳なさそうに言った。
「必要な資料があれば……」
「あります」
エリシアは即答した。
「すべてです」
職員は、一瞬、意味を測りかねた顔をしたが、何も言わなかった。
机に座り、周囲を見渡す。
棚。棚。棚。
王国が積み上げてきた、過去の記録の山。誰もが「もう終わった話」として触れなくなった数字。
(……宝庫)
権限はない。だが、情報はここに集まっている。
夕方、オスカーが顔を出した。
「……すまない」
彼は、真正面から謝った。
「私には、止められなかった」
「謝る必要はありません」
エリシアは、椅子から立ち上がらなかった。
「これは、私の選択の結果です」
「それでも」
オスカーは、苦しそうに続ける。
「あなたほどの人材を、ここに置くのは……」
「合理的です」
エリシアは言った。
「危険な人間を、最も無害な場所に置く。政治としては、正しい」
オスカーは、何も言えなくなった。
「ただし」
エリシアは、静かに続ける。
「ここは、無害ではありません」
棚に並ぶ背表紙を見ながら。
「過去の数字は、現在を否定する材料になります」
オスカーは、息を呑んだ。
「……あなたは」
「仕事をします」
それだけだ。
その夜、エリシアは最初の箱を開けた。
二十年前の補助金記録。三十年前の交易台帳。制度改正前後の比較資料。
線が、また繋がり始める。
点は、消されても消えない。
そして、ここには“すべての点”が眠っている。
結婚を断ったことで、象徴になる道は閉ざされた。
だが代わりに、彼女は選んだ。
誰の妻にもならず、誰の合意にも縛られず、
ただ事実と数字だけで、国を変える道を。
それは遠回りで、孤独で、時間がかかる。
だが――。
エリシアは、後悔していなかった。
選ばないという選択を、最後まで選び切ったのだから。
第2章、ここに完結。
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