第12話 だが公表されない
貴族院の会合は、非公開だった。
非公開、という言葉は便利だ。記録を残さず、発言に責任を持たず、後から「そんな話はしていない」と言える。国家の重要事項ほど、そうした場で決まる。
エリシアは、その扉の前に立っていた。
招かれたわけではない。だが排除もされなかった。王国財務監査特別補佐官――その肩書きが、通行証の代わりになる。
「……令嬢?」
扉の前にいた老貴族が、眉をひそめた。
「貴族院は、討論の場だ。官僚が口を出す場所ではない」
「承知しています」
エリシアは、静かに答えた。
「本日は、討論の結果を聞きに来ただけです」
老貴族は鼻を鳴らし、扉を開けた。
会議室は広く、円卓の周りに十数名の貴族が座っている。顔ぶれは重い。代々王国を支えてきた家。軍、宗教、交易、土地――それぞれが利権を背負っている。
エリシアが入室した瞬間、視線が集まった。
好奇。警戒。苛立ち。嘲り。
そのどれもが混ざった視線だ。
「さて」
中央に座る女性が口を開いた。
アーデルハイト・フォン・ケンプナー。貴族院の重鎮。未亡人。政略結婚で家を繋ぎ、夫の死後も地位を守り抜いた女。
「話題の令嬢が来たわね」
声は柔らかい。だが柔らかさは、刃を隠すためのものだ。
「あなたが提出した報告書、読ませてもらったわ」
「ありがとうございます」
「正しいわ」
その一言で、空気が揺れた。
エリシアは、目を瞬いた。正しい、と言われるとは思っていなかったからではない。正しいと認めた上で、何が続くかを知っているからだ。
「ただし」
やはり、続いた。
「今、公表するべきではない」
誰かが頷き、誰かが溜息をつく。
「理由を伺っても?」
エリシアは、感情を挟まずに聞いた。
「王国が持たない」
答えたのは、軍を束ねる貴族だった。
「ローゼンベルク公爵家を正面から叩けば、地方が割れる。軍の補給線にも影響が出る」
「交易もだ」
別の男が言う。
「公爵家は商会と深く結びついている。連鎖的に市が止まる」
「宗教的にも問題がある」
白い衣の老司教が続けた。
「信徒の多くは、公爵家に庇護されている。混乱は信仰を揺らす」
エリシアは、それらの意見を一つずつ聞き、頭の中で整理した。
どれも嘘ではない。
どれも、数字で裏付けられる。
そして――どれも、正しさを止める理由にはならない。
「つまり」
エリシアは言った。
「正しいが、困る。そういうことですね」
会議室が、ざわついた。
率直すぎる言い方だった。だが、誰も否定しなかった。
アーデルハイトが、小さく笑った。
「ええ。そうよ」
あっさりと認める。
「国は、正しさだけでは動かない。あなたも、もう分かっているでしょう?」
「理解しています」
エリシアは頷いた。
「ですが」
言葉を切り、続ける。
「理解と、同意は別です」
沈黙が落ちた。
「公表を見送るという判断は、問題を先送りにするだけです。帳簿の歪みは、消えません」
「分かっているわ」
アーデルハイトは、ため息をついた。
「だからこそ、“時間”が必要なの」
「時間は、問題を増やします」
「時間は、合意を作る」
二人の視線が、正面からぶつかる。
どちらも譲らない。だが、立っている場所が違う。
アーデルハイトは、穏やかに告げた。
「今回の件は、内部是正とする。公表はしない。公爵家には、水面下で圧をかける」
「……それでは」
「あなたの成果は、消えないわ」
彼女は、はっきりと言った。
「ただし、“象徴”にはしない」
象徴にしない、という言葉の意味を、エリシアは正確に理解した。
勝ったが、見えない。
正しいが、通らない。
「不満そうね」
アーデルハイトが言う。
「不満ではありません」
エリシアは答えた。
「評価が、目的ではありませんので」
それは本心だ。だが問題は、そこではない。
「では、何が問題?」
「この判断が、次も繰り返されることです」
エリシアは、淡々と告げた。
「今回はローゼンベルク。次は別の家。その次も。いずれ、王国全体が“正しいが動かない”状態になります」
誰も、反論しなかった。
反論できないからだ。
アーデルハイトは、しばらくエリシアを見つめてから言った。
「……あなたは、危険な人ね」
「そうでしょうか」
「ええ。だってあなたは、妥協を“計算に入れていない”」
それは非難ではなく、評価だった。
「国は、妥協でできている」
「人生も、そうかもしれません」
エリシアは答えた。
「ですが、私の人生設計には、他人の不正に目をつぶる項目はありません」
その一言で、会合は終わった。
結論は出た。
報告書は、非公開。
是正は、水面下。
公表は、なし。
王城を出た後、エリシアは立ち止まり、空を見上げた。
(ここからだ)
数字では勝った。事実も通った。
だが、政治に負けた。
そして――。
「結婚すれば、丸く収まる」
その言葉が、次に来ることを、彼女はもう知っていた。
第2章は、さらに重く、静かに沈み始める。
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