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ふたりのフツウ  作者:


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3話 集う

 和哉の失敗話を聞いていると、ガラララッという音と共に襖が勢いよく開いた。


 静寂だった和室に、急に外の空気が流れ込んでくる。


「お待たせいたしました。体験入部の方々をお連れいたしました」


 七瀬先輩が襖の前で丁寧にお辞儀をし、その後ろに控えている二人の女子生徒を、手で示すように招き入れた。


 その動作一つ一つが優雅で、まるで舞のようだ。


「こんちはー!」

 元気いっぱいの声が響く。


 最初に入ってきたのは、黒の短髪でボーイッシュな雰囲気の褐色肌の女の子だった。上履きは赤。一年生だ。


 身長は160センチよりちょっと上くらいだろうか。髪は耳の下で切り揃えられていて、少し癖毛なのか、毛先がぴょんぴょんと跳ねている。


 目はぱっちりとして明るく、どちらかと言うとスポーツ系の部活が似合いそうな、活発な印象を受ける。


「こ、こんにちは……」


 続いて入ってきたのは、対照的に小柄でおとなしそうな女の子だった。

同じく上履きは赤。こちらも一年生だ。


 身長は150センチあるかどうか。

おさげ髪にラウンド型の赤い眼鏡をかけていて、いかにも文学少女といった風情だ。


 声も小さく、どこか自信がなさそうに周りを伺っている。目が合うと、はっとして視線を逸らされてしまった。人見知りなのかもしれない。


 二人とも正反対な印象だ。

でもどこか、仲の良さが伝わってくる。


「二人とも廊下を彷徨っていましたけど……貴方、ちゃんと誘導やってました?」


 七瀬の切長の瞳が、ギロリと鋭くで和哉を睨みつける。


「や、やってたよぅ……」


 和哉は蛇に睨まれた蛙のように、肩をすくめて小さくなりながら弱々しく反論した。


 さっきまでの明るい雰囲気はどこへやら、完全に気圧されている。

 

(先輩、可愛い……)

 

 こんな場面でも、湊は場違いにもそう思ってしまう。困った表情の顔も、また愛おしい。


「い、いや、私たちが見落としていただけかもしれないんで……その、ごめんなさい」


 おさげの女の子が、申し訳なさそうに小さな声でフォローを入れた。


 両手をぎゅっと握りしめて、上目遣いに七瀬を見ている。本当に悪いことをしたと思っているようだ。


「そーです、そーです! 逆に校内を散策できて万々歳ですよ! おかげで、この学校のこと、ちょっと詳しくなれましたし!」


 ボーイッシュな女の子も、明るくそれに続いた。手をぱんぱんと叩いて、「むしろラッキーでした!」と快活そうな笑顔を見せる。


「……そう言っていただけるなら、いいのですけど」


 後輩である一年生にここまで言われたら、さすがの七瀬も何も言えない。


 小さくため息をつきながらも、それ以上追及するのはやめたようだ。


 でもその横顔は、どこか安堵しているようにも見えた。もしかして七瀬は和哉のことを本気で心配していたのかもしれない。


「七瀬先輩、綿貫先輩、吉野先生がいらっしゃいました」


 村内が、少し息を切らせた様子で小走りに和室へ入ってきた。その足音で、場の空気が一瞬で変わる。


「村内君、そういう報告はもう少し早くするものですよ。相手に見られる前に、きちんと準備を整えておかなくてはなりません」


 姿はまだ見えないが、廊下の方から声が聞こえてきた。


まるで箏の音のように、空気に響き、空間を澄ますような、歴史と知識を重ねた女性の声。


 低く、それでいて透明感がある。

その声だけで、この人がただ者ではないと分かる。

背筋が自然と伸びる。空気そのものが、緊張に包まれた。


「し、失礼しました〜……」


 村内先輩が冷や汗をかきながら、ばつが悪そうに頭を下げる。さっきまでの陽気な雰囲気が嘘のように、緊張した面持ちだ。


「七瀬さん、準備はできていますか?」


「はい、茶具のセットもポットの準備も滞りなく。体験入部の一年生も、三名揃っております」


 七瀬先輩の返事も、さっき以上に丁寧だ。

敬語の使い方、声の出し方、姿勢——すべてが完璧に整えられている。


「はい、ありがとうございます。それでは、挨拶に参りましょうか」


「「はい」」


七瀬と村内が、声を揃えて答えた。その統率の取れた様子に、湊は少し圧倒される。


「湊、湊」


和哉が、こっそりと湊の隣に寄ってきて耳打ちしてきた。


「は、はひ」


思わず声が裏返る。近い。先輩の顔が、すぐそこにある。


「吉野先生は特に礼儀に厳しいから、敬語は絶対に忘れないでね。それから、えっと……背筋をピンと伸ばすこと、目を見て話すこと、返事ははっきりと……あ、あと……」


和哉が、湊のために対吉野先生用のアドバイスをこっそりと教えてくれている。


 湊は礼儀作法なんて、ほとんど知らない。

だから、こうして教えてもらえるのは本当にありがたい。ありがたいのだが――それどころじゃない。


 和哉の、少し潜ませて低くなった声。

その吐息が、耳に直接かかる。


(〜〜〜〜ッ!)


 心臓が破裂しそうだ。顔が熱い。

耳が真っ赤になっているのが、自分でも分かる。


 3年ぶりの再会な上に、中学の時よりもずっと大人っぽくなった和哉の声は、湊には刺激が強すぎる。ドキドキが止まらない。


こんなに近くで、こんなに優しく話しかけてもらえるなんて。


(それに、めっちゃいい匂い……!)


 この前、母親に付き合って香水売り場に行った時、試しにつけさせられて咽せた、確か…そうムスクのような香りがする。


 ただ、あの時のようにキツいものではない。ほんのりと、本当に優しく香ってくる。自然で、それでいて上品な香り。先輩そのもののような、穏やかで心地よい匂いだ。


「……気をつけたり、この辺に注意して、あ……」


(?)


 先輩が急に説明を途中で切り上げたことを不思議に思っていると――。


「こんにちは、皆さん」


 吉野先生が、音もなく、すでに俺たちの前に座っていた。


 深みのある緑色の着物に、伊吹色の帯を締めている。生地には細かな刺繍が施されていて、光の加減で模様が浮かび上がる。格調高い装いだ。


 髪は真っ白で、高齢であることは一目で分かる。でも、その佇まいには一切の衰えを感じさせない。背筋はピンと伸び、座り方一つとっても隙がない。


 芯のある人物だと、ひと目で分かる。


 いや——怖い、というのが正直なところだ。

優しそうな顔立ちではあるのだが、その目には厳しさが宿っている。


「この人に認められなければ」というプレッシャーを、ひしひしと感じる。


「っ! こ、こんにちは!」


 湊は驚きのあまり、大きな声で挨拶してしまった。声が上ずっている。

完全に動揺している。


「こ、こんにちは……」


 続くように、二人の女の子も挨拶をする。

おさげの女の子は、相変わらず小さな声だ。


「皆様、茶道に興味を持って、こうして此処にいらしてくださり、ありがとうございます」


 吉野先生がゆっくりと、一人一人の顔を見ながら言う。その視線には、どこか温かさも感じられた。


「これから、二年生、三年生の先輩方と一緒に、茶道の道を学んでいきましょう」


「さて、早速自己紹介と行きたいのですが……その前に」


 吉野先生がそう言った瞬間、和哉、七瀬、村内の三人が、一斉に渋い顔をしたのを感じた。


(え、何? 何かまずいこと?)


「皆様、挨拶というものは、自身が相手に最初に与える印象を決める、大切なものです」


 吉野先生の声が、静かに、しかし力強く響く。


「相手に気持ちよく届かなくてはいけません。ただ大きな声を出せばいい、というものでもありません。また、小さな声で自信がなさげなのも、あまり良い印象ではありませんね」


 ドキッとした。


 湊と、二人の女の子は、思わず顔を見合わせた。さっきの挨拶の話だ。俺は大きすぎる声で、おさげの女の子は小さすぎる声で挨拶をしてしまった。完全に見抜かれている。


「では、もう一度やってみましょう。……こんにちは」


 吉野先生が、お手本を見せてくれる。


 ちょうどいい大きさの声。相手に届くように、でも威圧的にならないように。そして、穏やかな笑顔。


「「こんにちは」」


 湊たち三人は、今度は揃えて挨拶をした。

さっきよりもずっと、落ち着いてできた気がする。


「はい、いいですね」


 吉野先生が満足そうに頷いた。

その表情に、少しだけ緊張が和らぐ。


「では、先輩方、自己紹介をいたしましょうか」


「「はい」」


 七瀬と村内が返事をして、吉野の両脇に移動して座った。


 湊たち一年生と向き合う形になる。


「んーんーんー」


 七瀬先輩が、わざとらしく咳払いをした。


「?七瀬さん、大丈夫? 風邪?」


 和哉が、心配そうに首を傾げて尋ねる。


 その表情は本気で心配しているようだ。

でも——たぶん、そうじゃない。


 七瀬の意図は別にある。

新参者の湊にも、なんとなく分かる。


「……」

 七瀬は無言で頭を抱えた。

両手で顔を覆っている。


村内は、肩をガクッと大きく落とした。

「あぁ……」という声が聞こえてきそうなほど、分かりやすく落胆している。


「せ、先輩……もしかして、先輩も向こうに座るんじゃないですか?」


湊が恐る恐る言うと――。


「は!」


 和哉がハッとした表情で、慌てて立ち上がった。そして小走りで七瀬の隣に移動し、こちらと向き合う形で座り直す。


 その動きが、どこかぎこちなくて、またドジを踏みそうで――でも可愛い。


「……気を取り直して、自己紹介をいたしましょう。まずは私から」


 吉野は、さも何事もなかったかのように、淡々と仕切り直した。


 おそらく、いつもこんな感じなのだろう。

和哉の天然ぶりに、もう慣れているのかもしれない。



「私は吉野茂子(よしのしげこ)と申します。これから皆さんに、『裏千家』という茶道の流派を指導させていただきます」


「私は学ぶことが好きで、茶道の他にも、弓道・合気道・花道など、様々なことを齧っております」


(……齧ってる、って言うレベルじゃないよな、絶対)


 吉野の佇まいから、その「様々なこと」のすべてが、相当なレベルまで極められているのだろうと想像できる。


「これから、どうぞよろしくお願いいたします」


 そう言って、吉野先生は両手を前について、深々と頭を下げた。


 まるで、土下座のような形だ。

一年生は、慌てた。こんな立派な先生に、こんなに深く頭を下げられるなんて。


「これは、茶道のお辞儀です」


七瀬が、すかさず補足してくれる。


「両手をハの字に床につき、肘を伸ばします。背筋を伸ばしたまま、肘を曲げて頭を下げる——これが、正式な礼の仕方です」


 なるほど、と湊は心の中で頷く。ただの土下座ではなく、きちんとした作法があるのだ。


「七瀬さん、ありがとう」

吉野が顔を上げて、七瀬に微笑みかける。


「お辞儀は、相手がしたら自分もする。これが基本です。覚えておいてくださいね」


「はい」

 一年生たちは、揃って返事をした。


「では次は、部長さん、お願いします」


「はい」


 和哉が、少し緊張した面持ちで姿勢を正す。


(先輩の自己紹介……!)


 湊は、期待で胸がいっぱいになる。

いったい和哉がどんな言葉で自分を紹介するのか。

どんな表情を見せてくれるのだろうか。

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