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ふたりのフツウ  作者: 月凪


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14.5話 あの日の事

 それは今でも鮮明に覚えている。桜が舞う四月、中学三年に上がったばかりの季節のことだ。


 その日は少し嫌なことがあって、授業をサボり部室に籠っていた。部室の鍵を管理できるのは部長特権である。前部長の推薦で、最初は余り乗り気ではなかったが、他の部員や顧問に背中を押され、断りきれずに引き受けてしまった。その権限を、早速悪用させていただくことにしたのだ。


陰鬱な体育の授業を「頭痛が痛い」と仮病を使って言い逃れ、この世界で唯一と言える心の安らぎの場所へ逃げ込む。それは、茶道部の和室だった。


みんなは僕のことを、しっかりしているだとか、真面目だとか、優しい人間だとか、そう勘違いしている。だが、本当の僕はそんな人間ではない。


僕は――綿貫和哉という人間はもっと汚くて浅ましい。嘘つきだ。

 

 昨日、久々に母を怒らせてしまった。いつもはもっと上手く誤魔化せたはずなのに、つい、こちらもカッとなり言い返してしまったのだ。


*****


「そろそろ、好きな女の子はできたの?」


「あなた、学校でちゃんとしてるの?」


「今、独身貴族とかニュースでやってるけど、あなたも一緒に独身なんでバカなこと言わないでよね」


「ちゃんと素敵なお嫁さんをもらって、家を持って、お母さんに孫の顔を見せて――それが『普通』の人間の人生なの。おばあちゃんにもね」


「もう!うるさいよ!」


*****


 失敗してしまった。こういう時は特に何も言わずに、好きなだけ言わせておくのがセオリーなのに、何故か無性に苛立ってしまったのだ。


 その後、母はものすごい迫力で怒鳴った。あなたのためを思ってとか、偉そうに口答えするなとか、そういったことを数時間叫び続けていた。


 僕が幼い頃からずっと母はこうだった。

一言言い返せば十で返してくる。ある程度体が大きくなると、「叩くこっちが痛い」と言って暴力を振るってこなくなったのは、不幸中の幸いといえるだろう。


 周りの子より出来ないことがあれば、すぐに『普通』を押し付けてくる。僕は昔から母の『普通』という言葉が大嫌いだった。幼稚園の時、周りの子より駆けっこが遅かったら「しっかり走りなさい」と言われた。小学生の時、掛け算がいつまでも出来なかったら「どうしてこんなこともできないの」と言われた。


 そう、言われ続けたのだ。


 小さな頃は泣いたり、一人で特訓したりしたが、小学高学年に上がった辺りでパッタリと気にならなくなった。というより、母からの評価も、関心も、要らなくなったという方が正しい。母の言葉は、いつの間にか僕の心に刺さらなくなっていたのだ。


*****


まぁ、そんなことはどうでもよい。


今回、僕が語りたいのは『あの子』のことだ。


僕はあの子に謝らなければいけないことがある。


*****


 母からの言葉を脳から毒抜きするため、和室でイベント用の袴を勝手に出し、身につけて桜を眺めながら心を癒していると、視線を感じた。


(子供……?)


 失礼だが、第一印象は身長だった。

別棟である茶道室の入り口から少し離れた桜の木――そこに、袖の余る学ラン、裾を折ったスラックス、まるで小学生が兄の制服を盗んで中学に忍び込んだのかと思えるような姿がいたのだ。迷子かと思い、思わず声をかけてしまった。


(うーん、子供として対応したら逃げちゃうかな?ここは……)


「一年生君かな?」


コクコク。


(あ、頷いてくれた。)


 和室に招き入れて、話を聞いてみると、本当に一年生だった。学生証もしっかり持っていた。


 その子の名前は久我湊くん。

新入生なのに仮病で授業をサボってしまう、ちょっと悪い子だ。


 栗色のサラサラした髪に、琥珀色をそのまま瞳に閉じ込めたような大きな目。抹茶を飲みながら「美味しい」と言いつつも、渋そうにしている少し尖った八重歯が見える口元――。


 愛らしい。ついそう思ってしまった。


*****


その子はたびたび和室に来て、授業をサボるようになった。良くないとは思いつつも、僕もついつい、今日は来ないかなと茶室で待ってしまうようになったのだ。


 初めての感覚だった。一緒にいるだけで心が安らぎ、早く会いたい、話したい、そう人を求めてしまう感覚。


 この感覚を、この気持ちを「知らない」と言えるほど、僕は清くも純粋でもない。


 僕は彼に恋をしてしまっている。


 まだ会って一年も経たず、大して長い時間を過ごしたわけではない。それも同性に。


 それはきっと『普通』から大きく外れた感情だろう。


 そしてもう一つ、気づいてしまったことがある。彼の目が、彼の態度が、あからさまに好意的なのだ。自意識過剰かもしれないが、かなり――こちらが恥ずかしくなるほど――好きな人に対するそれなのだ。


 でも、ずるい僕は気づかないふりをした。


 怖かったのだ。これ以上近づくのが。


*****


そして、僕は中学を卒業した。

もう終わり。これで授業をサボったふたりのちょっと特別な時間は終わってしまったのだ。


 そう、思っていたのに。

 

 湊は来た。


 新入生に向けた部活の紹介。ステージの上から新入生の列を、台本を読みながらぼんやりと眺めていると、見つけた。直ぐに見つけてしまった。


 あのサラサラの栗毛の髪を。頭ひとつ低い位置で、視線の先に――。直ぐに湊だと思った。心臓が止まりそうだった。嬉しい気持ちと「どうして?」という気持ちで、部活の説明をやめてしまいそうだった。


 会いたい。話したい。声を聞きたい。


*****


久々に話したら、少し声が低くなっていた。まだ男にしては比較的高い方だと思うが。身長も少し伸びたのだろうか。


 久々に話した湊は、中学の時より好意のあからさまさが増した気がする。ちょっと近づくとビクッと反応したり、こちらを見つめてボーっとしてたり。それを見て、楽しいと思ってしまう僕は悪いやつだね。


 その気持ちに応える気もないのに。


 なのに、つい答えたくなってしまう。


 それでこちらからLINEの交換を提案したり、ゴールデンウィークの後半、二人で出かけたり、手を繋いだり、最後にプレゼントを渡したり――。


 よくない。本当に僕、よくない。これでは湊を弄んでいるようなものではないか。


 だが、楽しかった。それだけは本当だ。

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