12話 本番とハプニング
「〜♪」
湊はご機嫌に、少し音程のズレた鼻歌を歌いながら信号待ちをしていた。
今日はゴールデンウィークの後半、5月5日。和哉とのデート――正確には恋人同士ではないので「二人きりでのお出かけ」の当日だ。
湊と和哉の予定をすり合わせてこの日になったのだが、湊にとって今日は別の意味でも特別な日である。
5月5日は湊の16歳の誕生日だ。
偶然とはいえ、最高の誕生日プレゼントである。和哉先輩と一日中一緒にいられる。これ以上の贈り物があるだろうか。
子供の日なのは少し不服ではあるが、祝日に文句を言うのも無謀なことだ。
小学生の時はカレンダーに睨みを効かせていたこともある。「なんで俺の誕生日が子供の日なんだよ」と。
だが今はもう大人だ、そんなことはしない。黒ペンで「子供の日」の文字を塗り潰せば気にならない――今年もしっかり塗り潰してきた。
今日は母から誕生日プレゼントとして現金5000円を贈呈された。湊が中学に上がってから母は毎年、現金派だ。「好きなものを買いなさい」と言って封筒に入れて渡してくれる。
この5000円があれば、「ここ俺が奢るよ」ができる。とても彼氏らしい。絶対する。カフェ代くらいは出せるだろう。いや、昼食も奢れるかもしれない。先輩に格好いいところを見せるチャンスだ。
そんなことを考えていると、信号が赤から青に変わる。
(先輩の私服、楽しみだな〜)
制服姿の和哉先輩も素敵だが、私服はまだ見たことがない。どんな服を着てくるのだろう。想像するだけで胸が高鳴る。
湊は少し音程のズレた鼻歌を歌いながら、待ち合わせの駅前に向かった。横断歩道を渡る足取りは、自然と軽くなっていた。
*****
駅前の広場には、すでに多くの人が行き交っていた。ゴールデンウィークの真っ只中とあって、家族連れやカップル、友人同士のグループなど、様々な人々で賑わっている。
湊は待ち合わせ場所の時計台の前に立った。スマホで時刻を確認する。約束の時間まであと5分。少し早く着きすぎたかもしれない。
深呼吸をする。緊張で手のひらが汗ばんでいた。ズボンのポケットに手を入れて、何度も拭う。
(落ち着け、落ち着け)
自分に言い聞かせる。
今日は完璧にエスコートするんだ。事前に下見もした。プランは完璧だ。映画を見て、美術館に行って、カフェでお茶をする。
ポケットの中のスマホが震えた。メッセージだ。
『今、着いた。どこ?』
和哉先輩からだ。心臓の鼓動が速くなる。
『時計台の前にいます』
返信を送って、周囲を見渡す。人混みの中から、見覚えのある姿を探す。
そして――見つけた。
「先輩!」
手を振ると、和哉がこちらに気づいて歩いてくる。湊は息を呑んだ。
和哉は白いシャツに、ベージュのチノパン。その上から深緑色の薄手のカーディガンを羽織っていた。シンプルだが、和哉の雰囲気にとても合っている。いつもの眼鏡に、少し癖のある黒髪。柔らかな春の日差しの中で、和哉はいつもより大人っぽく見えた。
「待った?」
「いえ、今来たとこです」
嘘だ。10分前から待っていた。でもそんなこと言えるわけがない。
「そっか。じゃあ、行こうか」
和哉が微笑む。
その笑顔に、湊の心臓は跳ねた。
(今日一日、頑張ろう)
湊は決意を新たに、和哉の隣を歩き始めた。
*****
「えっと、まず映画からだったよね」
駅の構内を歩きながら、和哉が確認する。
「はい。10時半からの回を予約してます」
湊は胸を張って答えた。
事前にネットで予約しておいたのだ。これで当日慌てることもない。完璧だ。
映画館は駅直結のショッピングモール内にあった。
エスカレーターで上階へ向かう。
「湊は、この映画見たかったの?」
「それもありますけど、先輩が好きそうかなと思って」
「そうなんだ。ありがとう」
和哉が嬉しそうに笑う。その笑顔を見られただけで、映画選びは成功だったと思えた。
映画館のカウンターに着くと、湊は予約番号を伝えた。
「10時半の回ですね。少々お待ちください」
女性スタッフが端末を操作する。そして、困ったような表情になった。
「申し訳ございません。10時半の回は満席となっておりまして…」
「え? でも予約してます」
「ご予約は…こちらのシステムには登録がないようで」
湊は慌ててスマホを取り出した。
予約完了のメールを探す。
ーーない。
確かに予約画面までは進んだはずだ。
でも、最後の「予約確定」ボタンを押したかどうか――。
「あの…当日券は?」
「本日はゴールデンウィーク中で大変混み合っておりまして、当日券も完売となっております」
スタッフが申し訳なさそうに言う。
湊は頭が真っ白になった。
完璧なプランの、最初の予定が崩れた。
「あの、夕方以降でしたら、まだ空きがございます」
「本当ですか?」
「はい。18時からの回でしたら、お席をご用意できます」
「じゃあ、それで」
和哉が横から言った。
「え、でも――」
「いいよ。順番変えるだけだし」
和哉は気にした様子もなく、笑っている。
結局、18時からの回のチケットを購入した。予定が大きく狂ってしまった。
映画館を出ると、湊は肩を落とした。
「ごめんなさい、ちゃんと予約したつもりだったんですけど…」
「気にしないで。よくあることだよ」
和哉が優しく言う。でも、湊は自分の詰めの甘さに落ち込んでいた。
「じゃあ、次は美術館だね」
「はい…」
気を取り直して、二人は美術館へ向かった。
*****
美術館に着くと、入口に人だかりができていた。
「あれ?」
近づいてみると、入口に張り紙がしてある。
『ゴールデンウィーク期間中は混雑緩和のため、事前予約制とさせていただいております。当日のご入場はできません。ご了承ください』
「…嘘」
湊は呆然とした。下見の時は普通に入れたのに。まさか予約制になっているなんて。
「久我、大丈夫?」
和哉が心配そうに覗き込む。
「す、すみません。調べが足りなくて…」
「気にしないで。じゃあ、カフェに行く?」
「はい…」
二つ目の予定も崩れた。湊の心は焦りで一杯になっていた。
*****
カフェに着くと――。
『本日、臨時休業』
ドアに張られた紙を見て、湊は力が抜けた。
「…すみません」
「ううん、久我のせいじゃないよ」
和哉が優しく言う。でも、湊は自分の無力さに打ちのめされていた。完璧なプランだったはずなのに。下見までしたのに。全部、全部ダメだ。
「あのね、久我」
和哉が湊の前に立った。
「ちょっと待ってて」
和哉はスマホを取り出して、何かを検索し始めた。
その間、湊はただ項垂れていた。
「あった」
「え?」
「この近くで、グルメフェスとフリマやってるって」
和哉がスマホの画面を見せる。
そこには、広場で開催されているイベントの情報が載っていた。
「少し歩くけど、行ってみない? 色々食べられるし、面白いものもあるかもしれない」
和哉が笑顔で言う。
「でも…」
「映画まで時間あるし。ちょうどいいよ」
和哉は湊の返事を待たずに、歩き出した。
「あ、待ってください!」
湊が慌てて追いかけようとした瞬間、和哉が振り返って――。 手を伸ばした。
「はい」
「え…?」
「人混みで離れたら大変だから」
そう言って、和哉は湊の手を掴んだ。温かい。
和哉の手は、思ったより大きくて、温かかった。
「行こう」
和哉に引っ張られて、湊は歩き出す。繋がれた手から、和哉の体温が伝わってくる。
顔が熱い。心臓がうるさい。
(手、繋いでる…)
現実感がなかった。夢なら覚めないでほしい。
「湊、大丈夫? 顔赤いけど」
「だ、大丈夫です!」
湊は慌てて答えた。大丈夫なわけがない。
でも、これ以上心配されたくなかった。
二人は繋いだ手のまま、グルメフェスの会場へ向かった。




