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ふたりのフツウ  作者: 月凪


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13/22

11話 下準備 後編

 少しして、美術品の鑑賞を終えた湊と雪の二人は美術館の外に出た。

 薄暗い館内から出た二人の目に、春の昼の光が差し込む。一瞬、眩しくて目を細めた。


「んー、意外と時間かかったなぁ」


 湊はスマホを見て呟いた。思ったより長く見ていたようだ。 


「本当だ、もう12時。2時間くらい見てたね」

 

 雪も驚いたように自分のスマホで時刻を確認する。


「腹減ったな…あ」

 湊は思い出したように雪を見た。


「水野、時間あるなら昼飯一緒に行くか?」


 湊は事前に調べておいた店を提案した。

本当は和哉と来る予定だったが、まあ下見だと思えばいい。むしろ、一度誰かと来ておいた方が、当日スムーズに案内できるかもしれない。


「いいの?」


「もちろん。俺も腹減ったし」


 それに、せっかく一緒に美術館を見たのだ。このまま別れるのも、なんだか中途半端な気がした。


美術館から歩いて5分ほどの場所に、その店はあった。


『Café Beauvoir』


 手書き風のフォントで書かれた看板が、蔦の絡まる壁に掛かっている。建物は古い洋館を改装したもので、レンガ造りの外壁には時の流れを感じさせる風合いがあった。レンガの一つ一つに、歴史の重みが刻まれているようだった。


 入口のドアは深緑色に塗られ、真鍮のドアノブが鈍く光っている。ドアノブの形も凝っていて、アンティークな雰囲気を醸し出していた。ドアを開けると、カランカランとベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 柔らかな声で店員が迎えてくれる。品のある物腰の、淡いグレーのエプロン姿の中年女性。その笑顔には、この店を大切にしている気持ちが表れていた。


 店内に足を踏み入れた瞬間、湊は思わず息を呑 んだ。写真で見るよりずっと雰囲気がいい。いや、雰囲気がいいというより、格式が高いというべきか。


店内は照明を落としていて、天井からは小さなシャンデリアが下がっていた。中世ヨーロッパ風のBGMまで流れていて、もう完全に高校生の来る場所じゃない。クラシックのピアノ曲が、静かに空間を満たしている。


 ちょっと背伸びしすぎたかもしれない…

湊は内心で少し後悔した。

床は使い込まれた木のフローリングで、歩くたびに優しい音がする。その音さえも、この店の歴史を物語っているようだった。


 窓は大きく、午後の陽光がレースのカーテン越しに降り注いでいた。窓際には観葉植物が置かれ、葉の隙間から光が漏れている。ゴムの木やモンステラなど、手入れの行き届いた植物たちが、心地よい空気を作り出していた。


 店内は広すぎず狭すぎず、適度な距離感でテーブルが配置されていた。テーブルは一つ一つ違うデザインで、アンティークの家具を集めたような統一感がある。椅子も様々だ。木製のもの、アイアンのもの、背もたれに彫刻が施されたものまで。どれも味わい深く、長く使い込まれた風合いがあった。


 壁には絵画や古い写真が飾られている。風景画が多いが、中には抽象画もあった。

 どれも額縁まで凝っていて、まるで小さな美術館のようだ。さっきまで本物の美術館にいたのに、またここでも絵を見ることになるとは思わなかった。


 カウンター奥の棚には、様々な種類のカップやグラスが並んでいる。アンティークのティーカップ、北欧風のマグカップ、色ガラスのグラス。どれも店主のこだわりを感じさせる。一つ一つが違うデザインで、どのカップで出されるのか、それも楽しみの一つなのだろう。


「窓際の席へどうぞ」


 案内された席は、大きな窓のすぐそばだった。外の緑が目に優しい。木々の葉が風に揺れていて、その動きを見ているだけで心が落ち着く。


 湊と雪は向かい合わせに座った。

テーブルの上には小さな花瓶が置かれ、白い花が一輪挿してある。優しい香りがした。


 メニューを開くと、ランチプレートやパスタ、サンドイッチなどが並んでいた。どれも手作りで、地元の食材を使っているらしい。

 

 説明書きを読むと、契約農家から仕入れた野菜を使っているとのこと。ドリンクメニューも充実していて、コーヒーだけでも十種類近くある。ブレンド、ストレート、アイス、ホット。どれを選んでいいか迷うほどだ。


「な、何にしようかな」


 雪が真剣な顔でメニューを眺めている。その表情には、選ぶ楽しさが表れていた。

 他の客は二組ほど。窓際で読書をしている女性と、奥のソファ席でゆったりと話し込んでいる年配の夫婦。皆、この空間を楽しんでいるようだった。急かされることのない、ゆったりとした時間が流れている。


「わたし、季節野菜のキッシュプレートにする」


「じゃあ俺は…ローストビーフサンドで」


 店員を呼んで注文する。飲み物は雪がカフェラテ、湊はアイスコーヒーを頼んだ。店員はにこやかに頷いて、厨房へと下がっていった。


「いいお店だね。どうやって見つけたの?」 


「ネットで。美術館の近くで雰囲気のいい店って検索したら出てきた」


「へえ、久我君ってそういうの調べるんだ」

 少し意外そうな顔をする雪。


「まあな」


 本当は和哉のために調べたのだが、それは言わないでおく。デートプランを立てるために、かなり時間をかけてリサーチしたのだ。


 ほどなくして、飲み物が運ばれてきた。

雪のカフェラテは陶器のカップに入っていて、表面にはラテアートが施されている。葉っぱの模様だ。繊細な線で描かれたその模様は、見ているだけで芸術作品のようだった。


 湊のアイスコーヒーは背の高いグラスで、氷がカラカラと涼しげな音を立てる。

グラスの表面には水滴がついていて、触れるとキンッとした冷たさが伝わってくる。


「わあ、綺麗」


 雪が嬉しそうにカップを両手で包む。その仕草が可愛らしくて、湊は少し微笑んだ。

湊はアイスコーヒーを一口飲んだ。

苦味の中にほのかな酸味があり、苦い。予想以上に本格的な味だ。湊は速やかに右手をシュガーポットに伸ばす。角砂糖を二つ、グラスに落とした。


「美術館、楽しかった?」


「うん! すごく楽しかった。久我君と来られて良かった」


 雪が笑顔で答える。その笑顔は屈託がなくて、本当に楽しかったのだと伝わってきた。


「俺も。正直、最初は絵とかよくわかんないと思ってたけど、実際に見るとまた違うな」


「そうだよね。本物を見ると、印刷じゃわからないものが伝わってくる」


 雪の目が輝いている。美術の話になると、彼女は本当に生き生きとする。その表情には、好きなものを語る時の特有の輝きがあった。


「水野は絵、描かないの?」


 ふと気になって聞いてみた。あれだけ絵が好きなら、自分でも描いているのではないかと思ったのだ。


「…もう描かないよ。趣味程度だし。友達みたいに上手くないし」

 

 雪は目を伏せて答える。その声には、どこか諦めのようなものが混じっていた。


「見てみたいな」


 純粋にそう思った。そんなに美術品が好きで絵も描けるのだから、勿体ない。きっと素敵な絵を描くのだろう。


「え…」


 雪の頬がほんのり赤くなる。メガネの奥の目が、少し揺れていた。


「今度、部活に持ってきてよ」


「そんな、恥ずかしいよ…」


 雪は俯いてしまった。でも、その表情は嫌がっているようには見えなかった。

程なくして料理が運ばれてきた。


 雪のキッシュプレートは彩り豊かだった。黄色いキッシュの隣には、色とりどりのサラダとスープが添えられている。パンも焼きたてらしく、ほのかに湯気が立っていた。レタス、トマト、パプリカ、ブロッコリー。野菜の色が鮮やかで、食欲をそそる。


 湊のローストビーフサンドは、バゲットに挟まれたローストビーフがはみ出しそうなほどボリュームがある。付け合わせのポテトもカリッと揚げられていて、食欲をそそった。ローストビーフはピンク色で、柔らかそうだ。 


「いただきます」


 二人は手を合わせてから、食べ始めた。

サンドイッチに齧りつくと、柔らかいローストビーフの旨味が口の中に広がる。バゲットの香ばしさと、わさびの効いたピリッとしたソースが絶妙だった。噛めば噛むほど、肉の味が染み出してくる。


「おいしい」


 思わず声が漏れた。期待以上の味だ。


「こっちも。キッシュ、ふわふわで美味しいよ」


 雪が幸せそうに微笑む。フォークで一口サイズに切り分けて、大事そうに食べている。

窓の外では風に揺れる木々の葉が、キラキラと光を反射していた。店内は穏やかな時間が流れている。BGMのピアノ曲が、心地よく耳に届く。


 二人はゆっくりと食事を楽しんだ。急ぐ必要はない。こういう店は、ゆっくり時間をかけて味わうべきなのだろう。


「ねえ、久我君」


「ん?」


 湊はサンドイッチを食べながら顔を上げた。


「今日、一緒に回ってくれてありがとう」


「いや、偶然会っただけだし」


「それでも嬉しかった。美術館も、このカフェも、一人では来ないだろうし」


 雪がそう言って微笑む。その笑顔には、心からの感謝が込められていた。

 湊は少し照れくさくなって、アイスコーヒーを飲んだ。冷たい液体が喉を通り過ぎていく。角砂糖のおかげで、ちょうどいい甘さになっていた。


(綿貫先輩とは、どんな話をしよう)

 そんなことを考えながら、湊は窓の外を眺めた。映画の話をしようか。それとも美術の話の方がいいだろうか。先輩は茶道部の部長だから、伝統芸術に興味があるはずだ。きっと絵画も好きに違いない。


 当日が楽しみだ。きっと和哉も気に入ってくれるだろう。この美術館も、このカフェも。二人でゆっくり時間を過ごせたら、それだけで幸せだ。 


「ごちそうさまでした」


 食事を終えて、二人は店を出た。

カランカランとベルが鳴る。振り返ると、店員が笑顔で手を振っていた。「またお越しくださいませ」という声が、背中に届く。


 外に出ると、午後の陽射しが心地よかった。少し暑いくらいだ。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」


「うん」


 帰り道、雪と他愛もない話をしながら駅まで歩いた。部活の話や、学校の話。最近見たテレビの話まで。特別な内容ではないけれど、そういう何気ない会話が心地よかった。

 今日の下見は成功だ。美術館の雰囲気もわかったし、カフェの味も確認できた。道順もバッチリ頭に入った。


 あとは当日、和哉を完璧にエスコートするだけ。湊の胸は期待で高鳴っていた。ゴールデンウィークまで、あと少し。その日が待ち遠しくて仕方がない。


 駅に着き、改札で雪と別れた。

「今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました」


「こっちこそ。また部活でな」


「はい!」


 雪は元気よく返事をして、改札を抜けていった。その後ろ姿を見送りながら、湊は思った。

今日は予想外の一日だったけど、悪くなかった。むしろ、いい予行演習になった。


(さあ、あとは本番だ)


 湊は笑みを浮かべながら、自分も改札を抜けた。帰りの電車の中で、湊はスマホを取り出した。和哉とのメッセージを開く。


『先輩、ゴールデンウィーク楽しみにしてます』

送信ボタンを押す。

すぐに既読がついた、『僕も楽しみにしてる』

 

 当日、先輩の笑顔が見られるのが楽しみだ。

窓の外を流れる景色を見つめながら、湊は当日のことを想像した。

 

 きっと、最高の一日になる。

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