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第2話ー マコジー、冷血の名を背負う者

十九億という途方もない金額で「理想国へのチケット」を買った企業の大老。


しかし待っていたのは夢の国ではなく、ジャガイモへの変身でした。


彼はこの異界でどう生き延びるのでしょうか。

ここは一体、どんな場所なのでしょうか。


読者の皆さん、どうか肩の力を抜いてください。


この異想天開な商業大老の異界サバイバルを、ぜひ笑いながら見届けてください。


(◔‿◔)

「しっかりしなきゃ!早くここから逃げないと!」


歯を食いしばり、全力で走った。


けれど……どれほど必死に足を動かしても、地面に貼りついているみたいで、まったく前へ進んでいる感覚がない。


あの貪欲にこちらを見つめる奇妙な虫との距離は、少しも開かない。


体はどんどん重くなっていく。


(なんだこれ?走ってるのに、その場でエアロバイク漕いでるみたいじゃないか!)


前の人生では、ロードレースの常勝者だった。


百二十歳になっても、楽々と完走できたのに。


どうして今はこんな有様なんだ。息は荒く、足も動かない……。



「涙なんて……いけない!俺は冷血のエイクだ、泣いてちゃだめだ!」


崩れ落ちそうな瞬間、混乱した感情が一気に押し寄せてきた。


無理やり飲み込んで、必死に押さえつけた。


「もっと力を出せ!」


再び走ろうと足を踏み出したその時……


視界が、変わり始めた!?


地面がどんどん遠ざかり、俺の体は上へ伸びていく。


目の前の草むらは、もう視線より低い。


強風が正面から吹きつけ、まるでジャガイモみたいに――いや、違う、俺自身が!


味わったことのない爽快感が、全身を駆け抜けていった。


(なんだこれ、まるでVIP扱いの風だ。ジャガイモ専用のアップグレード版ドライヤーみたいじゃないか!)


思わず考えてしまう。もしかして、俺は元の姿に戻ったのか?


さっきまでのあれは、ただの幻覚だったのか――。



それとも、これはただの夢なのか?


(夢なら夢でいい。少なくとも夢の中ではまだ走れるんだ。)


とにかく、ひと息ついて、この広大な新しい世界に向き合う覚悟を決めた。


(もし目が覚めてジャガイモ畑にいたら、本気で泣くぞ。)


――その時。


強烈な回転感が突然、俺を巻き上げた。


視界は一瞬で歪み、目が回る。


(この回転感……前世で乗ったジェットコースターよりもずっと激しい!しかもチケットなんて買ってないのに!)



眼前の景色が一瞬で逆さまになり、さらにぼやけながら回転していく。必死に意識を保ち、再び目を開けたその瞬間――


正面に、巨大な目が現れた!


「ママ、ここに『マコジー』がいるよ。」


黒々とした大きな瞳が、じっと俺を見つめていた。



(ぎゃーー!なんだこれぇぇぇぇぇ!!!)


冷血タフを気取っていた俺が、まさかまた鋭い悲鳴を上げるなんて……いや、今回は心の中で絶叫しているだけだ。


この圧倒的な迫力に、冷や汗が止まらない。


やがて視界が徐々に焦点を結び、その少女の顔がはっきりと見えてきた。


彼女の肌は黄金の輝きを放ち、まるで陽光に金箔を塗したかのように煌めいている。だがその光沢は静止したものではなく、流動する質感を帯びていた。液体の金流が表面をゆっくりと巡り、呼吸に合わせて揺らめく――まるで全身が光そのものになっているかのようだ。


黒曜石のような大きな瞳は、その金色の輝きに溶け込み、瞳孔の縁では微細な光が瞬いている。まるで夜の闇に燃え立つ炎のように。


その眼差しはただ見つめるだけではない。燃え盛る炎のように俺を包み込み、逃げ場のないほどに全身を照らし出していた。



(マジか……!俺の身体を弄んでいる、この好奇の笑みはいったい――)


俺は動けない。心臓は見えない手に握り潰されるように締め付けられ、冷たい汗が背中を伝って落ちていく。呼吸は荒いのに、声を出すことすら許されない。圧迫感はさらに強まり、まるで目に見えぬ壁が迫ってくるかのようだ。


その視線の下で、俺は塵のように小さく感じる。だが同時に、舞台の中央へと引きずり出される焦点にもなってしまう。


(なぜ……よりによって俺なんだ?)


(この笑みは、恩寵なのか……それとも未知なる裁きなのか?)


丸々としたジャガイモのような身体は、彼女の太い指に挟まれ、宙に浮かされている――完全に身動きが取れない。


(この体勢……株主の派閥に挟まれた取締役会よりも苦しいぞ。)


(マコジー……?)


その不可解な言葉を耳にした瞬間、脳裏に恐怖の閃光が走った――。



(なんてことだ……!この子は俺を、子供が遊ぶ擬人化ジャガイモのおもちゃだと思ってやがる!)


違う、これは遊びなんかじゃない!


俺は必死にあがき、指先の圧迫から逃れようとする。だが、このジャガイモのような体には、まるで力が宿っていない。


(くそっ……俺が子供の指に負けるなんて。冷血タフのエイクの尊厳は完全に崩壊だ。)


「気をつけて、手を汚さないで!」


母親の苛立った声が、足音とともに背後から響いてきた。



「おお……」


少女は小さく応じると、気にも留めない様子で俺の体をひっくり返した。


両方の親指でそっと撫でながら、まるで医者の真似事でもしているかのように、異常がないかを細かく確かめている。


「俺はマコジーなんかじゃない!冷血タフのエイクだ!」


心の中はすでに大混乱。俺は必死に叫んでいる――だが声にはならない。


……本当に声を出す勇気がなかった。


まるでドラマに出てくる、人間に捕らえられた異種のように――最終的には解体される運命から逃れられないのではないかと恐れていた。


その瞬間、俺ははっきりと悟った。


すべての声も、表現も、そして体の支配権すら――


完全に奪われてしまったのだ。


残されたのは、心の中でのもがきと、声にならない叫びだけ。



(終わった……!泣き声すら力なく、砂粒みたいに儚い。冷血タフのエイク、ここまで落ちぶれるとは――笑えるほど惨めだ!)


過去、ほんの少しでも 不快で、不機嫌で、不満を感じれば――


俺の声は鋭い刃そのものだった。


ひとたび放てば、周囲の人間は震え上がり、息を呑んで、二度と余計な言葉を吐けなくなる。


なのに今は、まるで力が抜けられた。声も体も、まるでもちみたいにふにゃふにゃで、頼りなく崩れそうだ。


――そうか、これがあいつらの感じていた絶望か。



「ママ、このマコジー、なんかちょっと違うよ。」


少女は地面にしゃがみ込み、ゆっくり近づいてくる母親を見上げると、首をかしげて小さな声で問いかけた。声には新鮮な驚きと期待が満ちていた。



「どこが違うの?下位世界からの転生に失敗した生き物なんて、みんな同じじゃない?」


母親は気のない調子で答え、言葉の端にわずかな苛立ちを滲ませた。



「でも……このマコジーは、ほかのより色が濃いし、それに……」


少女の指先がそっと俺の表面をなぞる。その瞬間、全身に痺れるような感覚が走り抜け、宝石のように大切に弄ばれているかのように感じた。


「それに、震えてるみたい?」



俺は残されたわずかな「呼吸」を必死に止めた。


呼吸器官なんて持っていないはずなのに、俺は勝手に鼻を想像して、必死に落ち着こうとした。


(頼む……冷血のエイクが、少女の手の中でゼリーみたいに震えてどうする。)


だが、少女と母親のやり取りが、再び俺を恐怖の淵へと突き落とす。


胸の奥に、ぞっとする考えが閃いた――


もし彼女が、俺がまだ生きていることに気づいたらどうなる?


瓶に閉じ込められ、観察用の標本にされるのか?

それとも、専門家に渡されて研究されるのか?


そう思った瞬間、数え切れないほどの恐ろしい光景が脳裏に押し寄せてきた。


解剖され、切り裂かれ、ただ彼女たちの好奇心を満たすためだけに弄ばれる――


そんな未来すら想像してしまった。



なんてこった!商界の大物からジャガイモのスライスだなんて、この転落はあまりにも荒唐無稽だ!


冷たく絡みつく恐怖が、蛇のように心を締め付ける。しかも――「下位世界からの転生失敗」って、一体どういう意味なんだ!?


(蛇に巻き付かれるならまだいい。少なくとも蛇は動ける。俺はもう、身じろぎすらできない……。)


「まあ、ただのマコジーでしょ。」


母親は気の抜けた声で答え、まるで興味を示さない。


彼女にとって、この「転生失敗」の生き物は取るに足らない存在で、観察する価値すらないらしい。


その瞬間、俺は胸の奥で小さく安堵の息をついた。だが同時に、自分がこの危機の中でどれほど卑小で取るに足らない存在なのかを痛感した。



(よかった……失敗作ですら面倒がられるなんて、冷血エイクの尊厳は徹底的に踏みにじられた。)


しかし……少女はまだ手を離そうとしない。


その視線は俺に釘付けになり、長い間逸らされず、瞳には異様な光がきらめいていた。


ついに顔を近づけ、微笑みながら耳元で囁く。


「連れて帰ってもいい?もしかしたら……復活できるかも。」


(復活?頼む、俺はペット扱いだけは勘弁してほしい。)


(えっ……待てよ、復活ってどういう意味だ!俺は生きてるはずだろ!?)


全身が震え、心臓は太鼓のように激しく鳴り響く。絶望が瞬時に押し寄せてきた。


それは、唯一の逃げ場を失うことを意味していた。


この好奇心旺盛な子供に連れ帰られる――。



俺はもはや抵抗する力もなく、少女の大きな手にぎゅっと挟まれ、そのまま背負い袋へと放り込まれた。


暗く、狭く、絶え間なく揺れ続ける空間。壁のように迫る圧迫感と、硬い物が表面にぶつかる衝撃が途切れなく襲いかかる。



(うわっ、うわっ、うわぁぁ!もう少し優しくしてくれ、俺は植物人間じゃないんだぞ!)


(いってぇぇ!この痛み、トレーナーのスパルタ指導よりリアルだ……!)


(どうやら、爆ぜるジャガイモ姿で幕を閉じる運命らしいな。)


牢獄のような空間は呼吸すら困難にさせる――鼻孔なんて持っていないはずなのに。

この道中、俺の心に響く唯一の声はただひとつ。


「ここが俺の終点じゃない!俺は冷血エイク、決して誰かの玩具にはならない!」


だが、暗闇と圧迫は止むことなく迫り続け、拘束される無力さが骨の髄まで染み込んでいく。


もしかすると……


俺はただの転生失敗の「マコジー」にすぎず、やがて人々に忘れ去られ、この異世界で静かに消えていくのかもしれない。



(偉大なる神よ!俺は信じていないのに、よりによって新しい幕開けでこんな荒唐無稽な仕打ちを与えるなんて……。)


(もう信じるってば、いいだろ?お願いだ、至高の力を発揮して、俺を百五十歳に戻してくれ。)


(杖をついて、膝を震わせ、頭は禿げ、皮膚は皺だらけで毛もなくても構わない!)


(そして……自然に死にたいんだ。)


(お願いだ、お願いです、頼む、頼むよぉーー!)


俺は必死に小さな目を見開き、涙を浮かべながら袋の口から漏れる微かな光を見つめ、狂ったように祈り続けた。



……


………




--------------



しかし、何の応えもない。



(そうか、冷血エイクの祈りは神にすら無視されるのか。)



「イェ〜ヤーーン、ララ〜」


「ドン、ピン」


俺の絶望に対してまるで逆のように、黄金色に輝く少女は、奇妙な小唄を口ずさみ、軽やかにステップを踏んでいた。



俺は彼女の足音に合わせて進むうちに、外の声を聞き取り始めた。



「シチャッ――アフ/」

「’§&#π@#$――」



それは人間の街のざわめきではない。


奇妙な合唱のように響き渡り、世界全体が巨大な生き物の呼吸で満たされているかのようだった。



「な、なんだ……あれはーー」


その声に全身が震えながらも、抑えきれない好奇心が胸を突き破る。


俺は必死に体を揺すり、両側に押し付けられた散らかった物をかき分け、袋の中に垂れ下がる細い紐を掴んで、力任せに上へとよじ登った。


「!……」


激しい揺れに翻弄されながらも、ようやく袋の口へ辿り着く。背負い袋の縫い目から漏れる隙間を覗き込んだ瞬間、目に飛び込んできたのは――


起伏する大地が柔らかな光を放ち、まるで無数のクリスタルの欠片を繋ぎ合わせた緑の絨毯のように広がっていた。

その表面は呼吸するかのように、ゆっくりと膨らみ、沈んでいる。


(この床……呼吸してるだと?)


(物理法則を完全に無視してるじゃないか!)

(あそこに見えるのは……石の塔か?)



遠くに見える建築物は灰色の石塔ではなく、透明な立方体と弧を描くアーチが絡み合うように積み重なり、その表面には虹色の光脈が流れ、生きているクリスタルのように輝いていた。


塔楼は陽光を浴びて七色の光を散乱させ、都市全体が巨大な楽器であるかのように、一呼吸ごとに光と影の律動を奏でていた。


街路の両側に並ぶ壁は冷たい石や鋼材ではなく、半透明の花弁のような構造で、風に揺れながら淡い香りを漂わせている。


(この都市……歌っているのか? それとも俺の幻聴か?)


呼吸と歌声が交錯するこの街では、光と影が潮のように押し寄せていた。


心臓が高鳴り、奇妙なリズムに合わせて打ち鳴らされそうになる。



ちょうどその時――


少女の姿は「光の都市」の中で軽やかに映えていた。彼女は転生に失敗したマコジー(つまり俺)を背負い、奇妙な虫の文字のような刻印が施されたアーチをくぐり抜ける。


母親は冷ややかに前を歩き、まるでこの異様な美にすでに慣れきっているかのようだった。


俺は背負い袋の中に閉じ込められ、短い手で必死に紐を握りしめながら、この世界の正体を見極めようとする。


心臓は奇怪な合唱と光影の交錯に呼応するように、速く、強く打ち鳴らされていた。



(ま、待て……なぜ……ジャガイモに心臓の鼓動があるんだ!)


腹に目をやると、規則的な起伏が繰り返されている。


その瞬間、俺はまるで母親の胎内で誕生を待つ赤ん坊のように、自分の腹の律動を見つめていた。


――不思議で、言葉にできない感覚がそこにあった。



(母さんも、俺を産んだ時はこんな感覚だったのか……母さん……)


脳裏に浮かんだのは、優しく慈愛に満ちた母の顔。


「エイク」と呼ぶ柔らかな声が、幼い頃に遊んだ芝生の記憶を呼び起こす。


振り返れば、いつもそこに母がいた――。


涙を滲ませながら振り返った瞬間......


そこには何もなかった。


荒唐な思いが閃き、自分でも可笑しくなってしまう。


「ハ、ハハ……あ……」


乾いた笑いが背負い袋の縫い目を突き破ろうとする。

だが次の瞬間、この「光の都市」の合唱に押し潰された。



現実は変わらず。



理想国も変わらず。




そして俺は――


ただ、背負い袋の中に閉じ込められた失敗者だった。



「それを浄化へ持って行きなさい。」


母は無表情に言った。



(いったい何をするつもりなんだ……)


その言葉はまるで裁きのように落ち、胸を締めつけ、全身に言葉では表せない寒気が走った。


その時、少女に動きを気づかれないよう、俺はすぐに紐を放し、ジャガイモの全身を自由落下させた。


少女は背負い袋に手を差し入れ、指先は太くて柔らかく、暗がりの中で手探りを続け、ついに俺の体を見つけて二本の指で挟み上げた。


袋の口が開かれ、一筋の光が瞬時に俺の目を突き刺す。

本能的に身を震わせ、細い瞳孔は急速に収縮し、眼球は火で焼かれるような痛みに襲われた。


俺は息を止め、視覚が徐々に順応するのを待った。

その光はただ明るいだけではなく、温度と香りを帯び、液体のように眼底へと染み込んでいく。

それは単なる光ではなく、意志を持つ存在だった。


俺にはもう分からなかった......


光が震えているのか、それとも俺自身が震えているのか。



視界がようやくはっきりしたとき、俺は見た――


空間全体が、背の高い巨大な透明の花弁で形づくられていた。

花弁の紋様の脈絡には紫や赤、黄色の液体が流れ、光の流れと混じり合いながらゆるやかに移動している。


まるで血管が呼吸しているかのようだった。


液体は花弁の間を行き交い、時には光点となって集まり、また時には細い糸となって散っていく。


その様子は、空間そのものが巨大な有機体であるかのようで、律動のたびに異様なざわめきが響いた。


(こ、これは……)


(もしこれが花なら、花とは一体何なのだ?)


俺は苦笑し、神経が錯乱し、意味のない言葉を口走り始めていた。


空気には湿った香りが漂っていた。

最初は甘やかで、やがてほろ苦く変わり、最後には鼻腔の奥に金属のような余韻を残す。


その香りもまた流動しているのが分かる。

霧のように空間を漂い、光と交わりながら奇妙な色彩を織りなしていた。



視覚的には、ここは透明な温室のようでもあり、えぐり取られた巨大な花の内部のようでもあった。


周囲の花弁は高くそびえ、広大に広がっているのに出口はなく、まるでゆっくりと呼吸する牢獄に閉じ込められているかのようだった。



「お母さん、見て! すごく綺麗……」


少女は目の前の光景を指さし、母に声を上げた。


母はまた無表情のままに応じた。


「綺麗?」


「これは浄化の場にすぎない。失敗者の残された魂は、浄化できなければ消滅するしかない。」



(神よ……! 一体何が起きているんだ……!)


俺は全身を震わせ、心臓が激しく打ち鳴らすのを感じた。

この光の広場は荘厳でありながら異様で、まるで盛大な祭典の只中に自分が組み込まれてしまったようだった。


少女は俺を高く掲げ、光に慣れようと必死に目を凝らしたその瞬間、視線の下方に見えたのは――


整然と並べられたマコジーたちが光陣の中に置かれていた。

光陣からは極細の白い糸がゆるやかに漂い出し、彼らの体を絡め取っていく。


その糸はただの束縛ではなく、残された呼吸を吸い取るかのようで、触れるたびに異様なざわめきが響き渡り、空間全体が呼吸を合わせているように感じられた。



糸の色がじわじわ黒くなっていくと、マコジーの体はチカチカと弱い光を放った。


まるで残り火みたいで、花弁が回るたびに皮膚の色がどんどんくすんでいく。

みんなガタガタ震えながら、ビビっていたけど、声は一つも出せなかった。



「ねえ、あんたも浄化されちゃうの?……それとも復活できるの?」


少女はニヤッと笑って手を下ろし、俺の耳元へ顔を寄せてひそひそと囁いた。



「くだらないこと考えないの。こんなの役に立たない。浄化だけが行き先なんだよ。」


母の声が再び響き、また無表情のままに応じた。その響きは冷たく、揺るぎない。


心臓がドクン、ドクンと縮み、目の前の光景に怯え、思わず足がすくんだ。

この街の美しさは、失敗者の消滅を代償として成り立っていたのだ。



(やめろ……やめてくれ……行くな、行くなあああああーーーー!)


少女は歩を進め、俺を抱えたまま光陣へ近づいていく。


正面から吹き寄せる風はひやりと肌を撫で、悪寒を連れてきた。

その風には湿った匂いが混じり、鉄錆と花粉が入り交じったような刺激が鼻腔の奥にツンと刺さり、鋭い痛みを残した。



膝が震え、足の指はまるで空気に釘付けされたように動けなかった。


光陣から漂う白い糸が空中で擦れ合い、じりじりとした微かな音を響かせる。


その音は耳膜に食い込み、呼吸のリズムを強制するかのように心臓を引きずり、制御を奪っていった。


喉は乾ききり、血液は皮膚の下をざわざわと駆け巡る。

ジャガイモの皮は一枚一枚がぶるぶると震え、光は液体のように骨へじわりと染み込み、下方へと引きずり落としていく。


俺は悟った。


自分はこの祭典の一部に組み込まれ、逃げ場を失ったのだ。


それでも体は前へ進み続け、止まることはなかった。


(止まれ……止まってくれ……誰か、この流れを断ち切ってくれ……)


絶望に近い気持ちの中で、かすかな祈りを心の奥に呟く。

短いジャガイモの命は、終焉へと傾いていた。


少女は完全に灰色へと変わり果てたマコジーをひとつ掴み、ちらりと一瞥すると、花弁の壁へと投げつけた。


花弁はぐわりと口を開いたようにそのマコジーを呑み込み、吸収していく。

残されたのは灰暗い塵のわずかな漂いだけ。


それらは光の中できらりと瞬き、ふっと消えた。



「おーーべーージジジーーー」


少女が俺を光陣の上へと持ち上げた瞬間、空気の中に奇妙な旋律が漂い始めた。


それは宗教儀式を思わせるような荘厳さを帯びているのに、どこか調子外れで、耳に刺さる不協和音だった。


音は天井から滴り落ちるように広がり、壁に反射してビリビリと震える。


まるで見えない合唱団が、異なる楽譜を同時に歌っているかのようで、その不揃いな響きが胸の奥をざわつかせ、呼吸を乱していく。


俺は思わず目を閉じた。


しかし旋律は止まらず、むしろ強く絡みついてきて、

光陣の輝きと混ざり合いながら、儀式の場をさらに異様なものへと変えていった。



「ここだよ、あなたは復活するんだ。」


少女はゆっくりと俺を下へと降ろしながら微笑んだ。


その腕は安定しているのに、どこか儀式めいた緩慢さを帯びていた。


俺は下方の光陣から伸びてくる白い糸を見つめる。

それらは互いに擦れ合い、まるで無数の細長い指先が空中で我先にと伸び広がり、俺の身体に触れようと待ち構えているようだった。


(く、ぅるなあーくるなあぁーーー───)



(おお!あああああああああ!ああああああおおああああああああおおおおおああああ────────)



糸が空気を絡め取り、俺を徐々に包み込むその瞬間、

全身に走ったのは、この世界へ入る前に符文の光に撃たれた時の痛みの再演だった。


それは単なる灼熱ではなく、無数の細針が血管へ同時に突き刺さり、骨を伝って駆け巡る感覚。


心臓の鼓動は一つ一つが轟音となり、痛みと震えの狭間で呼吸を奪っていく。


(あああああああ────────ああああ----......)


痛みは断続的に全身を襲い、胸を巨大な力で殴りつけるように打ち砕き、

次の瞬間には無数の針となって肉へ拡散していく。


その痛みと痺れは皮膚の下で層を成し、電流のように神経を駆け抜け、俺の身体を震えの中で完全に支配し、ただこの力の侵襲を繰り返し受けるしかなかった。



(もういい……俺は何も……望まない)


(冷血エイクなんて、愚かしい笑い話にすぎない……)


(理想国なんて.......詐欺だろう......)


抵抗を捨てた俺は、魂を抜かれた殻のように糸に絡め取られ、四肢と胸を締め付けられながら呼吸は途切れ途切れの震えへと変わっていく。


その瞬間、自分がまだ抗っているのか、それともすでにこの滑稽な儀式に完全に取り込まれてしまったのか、判別できなくなった。


呼吸は断裂し、胸腔は狭い空洞へと圧縮され、視界はぼやけていく。

光は砕けた斑点となり、音は遠ざかり、ただ曖昧な反響だけが残る。


(もう駄目だ……本当に耐えられない……なぜこんなものが俺に降りかかるんだ……)


意識は底の見えない闇へと引きずり込まれ、層を剥がされ、思考は散り散りに崩れていく。


(寒い……静かだ……これが終わりなら……沈んでしまえばいい……)


最後に残ったのは空白の静止。

音も、重さも、応答もない。


ジャガイモは短く「あ」と声を漏らし、誰にも聞かれぬまま息を絶った。


巨大な花弁の中で——

まるで洗濯機に誤って放り込まれた芋のように、ぐるぐると回りながら消えていった。



(最後に、冷血エイクは三十分間の高速脱水にさらされ、残ったのはジャガイモの滓……フィルターに引っかかったまま。)



こんな終わり方でも、悪くはない—


——








白糸の牢獄に包まれ、光陣が脈打つたびに痛みが増幅される描写、どう感じましたか。


灼熱ではなく「無数の細針」が血管を走る感覚、そして呼吸が断片化していく過程は、


マコジーが「冷血」という名を背負う—つまり、冷酷さではなく“感覚の過負荷”に押し流される瞬間でした。


終盤のジャガイモと洗濯機の比喩は、儀式の荘厳さをあえて滑稽へ反転させています。


ぐるぐると回りながら消える姿は、権力や金額の重さが異界では無力であることの象徴。


十九億のチケットが約束したのは理想国ではなく、名と肉体の分離という皮肉でした。


「冷血エイク=マコジー」という等式は、外から貼られたラベルが内側の自我を侵食する過程でもあります。


あなたは彼の叫び—「くるなあぁーーー」—を恐怖として読みましたか、それとも滑稽として受け取りましたか。


どちらでも正解です。二つの読みが重なるところに、この話の呼吸があります。


次話では、ジャガイモであることを前提に、どう生きるかが具体的な課題になります。

白糸の支配から抜け出すのか、あるいは利用するのか。


あなたの予感やツッコミを、心の中でぜひ続けてください—物語はその反応を糧に進みます。


(●__●)

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