9-4 相模 玉縄城3-4
さらに夜が更けた深夜。
臥所で横になって目を閉じていると、コツンと音がした。
さっと動いたのは宿直たちだ。
孫九郎はまだ完全に覚醒していなかった。
「御屋形様」
弥太郎の声がした。
孫九郎は目を閉ざしたまま、小さく唸る。
身体を起こして目をこすり、それでようやく目が覚めてきた。
今何時ごろだろう。
季節柄完全に木襖が閉められているわけではないので、かすかに月明かりがあるのはわかる。
生き残った貴重な障子の向こうに、くっきりと濃く人影が見えた。
「……お休みのおころ申し訳ございませぬ」
その声は、風魔小太郎のものだった。
このような時刻に何の用だとか、明日にしてくれとか、そんな事を口にはしない。
後回しにしていいことなら、そうしただろう。
わざわざ深夜に来たということは、あの場では話せなかった何かがあるか、本当に急用だということだ。
臥所から離れ、胡坐をかく。
孫九郎が頷くのを待ってから、弥太郎が障子を開ける。
小太郎は両手を床について、非礼を詫びるように一礼した。
「……よい。入れ」
孫九郎がそう言うと、顔を上げた。
「いえ。すぐに小田原に発たねばなりませぬ」
暗すぎて表情はわからない。
だが、言いたいことはわかった。
「始まったか」
「はい。おおむね予想通りに」
今川兵の三分の二が不在の間を狙って、相模衆が動くだろうと思っていた。
「規模は」
「五百程だそうです」
それを聞いて、顔をしかめた。
小田原に残っている兵は三千を越える。たった五百で蜂起しても大したことはできない。そんな計算すら出来なかったのか。
あるいは、計算ができる者はまだ早いと思ったのかもしれない。
いずれ孫九郎が率いる兵は駿河に引き上げる。それを待ってからでもよいと。
「殿が軽くいなして終わるかと」
小太郎のその言葉に、首を傾げた。
本当にそうだろうか。
何かを見落としている気がした。
今回の挙兵が、長綱殿が絵図を書いたものだったとしよう。その目的はなんだ?
あの男は今、それどころではないはずだ。
事前に敷いた地雷が発動したのか? あるいは、このタイミングを狙ったのか?
兵をあげたのは五百。小太郎が言う通りなら、多くはない。
だが楽観は危険だ。
相手にもならい数での蜂起など、正気とは思えない。他に目的があるのではないか。
頭をひねってもわからない。あの男の考えを読むのは簡単ではない。
ではどうするか。
答えがわからない以上、論理だててそれなりの道筋を考えるしかない。
孫九郎が取れる手段はいくつかある。小田原に向かうか、ここにとどまるか。
さらに言えば、相模にとどまるか、移動するか。
複数の道を考えて、その最適を……いやせめて最悪のカードを引かないようにしなければ。
「取り急ぎ、小田原の様子を見てまいります」
小太郎の言葉に、ぱちりと瞬きをする。
孫九郎は軽く手を上げて、待てと押しとどめた。
小田原には左馬之助殿もいるし、勘助もいる。五百の敵の相手をするには十分すぎる布陣だ。
だが孫九郎の直感が、しきりに違和感を訴えている。
しばらく考えて、ひとつの結論を出した。
「戻り次第、今回動かなかった者たちのほうを調べよ」
それはかすかな予感だった。
そしてそれは正しかった。
数日後、孫九郎は日課の鍛錬にいそしんでいた。
ここでは文書仕事もほとんどないので、思う存分好きなことが出来る。
たとえば乗馬だったり、刀や弓の腕だったりは、日々の鍛錬こそが大切なのだ。
もともとの才能に乏しい身としては、だからこそ日々欠かしたくない日課だった。
最近は背も伸びてきて、体力もついてきた。できることも増えてきた。
今川家の当主として必須の技能ではないが、少しづつ上手くなっている実感があるので、これからも励みたいと思ている。
小小姓に交じって汗を流していると、今日の手ほどき役の土井がふと遠くを見た。
ここは玉縄城の縄張りの中で、燃え落ちてなにもなくなった三の丸あたりの瓦礫を撤去して作った場所だ。
縄張り内なので警備は厳重だから、侵入者が来たとは思わない。
だが土井が、少し緊張した雰囲気になったのが気になった。
振り返る。
最初はわからなかったが、木々の間から数騎の馬影が近づいてくるのが見えた。
少し離れた位置で馬を降り、几帳面に一礼。
それが誰かわかったのは、かなり近づいてからだった。
「治部大輔様」
聞こえてきた声は、見た通りの人物のものだ。
だが少し様子がおかしい。
「負傷したのか」
「たいしたことはありませぬ」
松永は、片方の目に布を当て、片方の腕を吊っていた。
目は失明したわけではなく、瞼の上からこめかみあたりまでを切りつけられたらしい。
孫九郎は、手ほどき役から側付きに戻った土井から、手ぬぐいを受け取って汗を拭いた。
小田原の蜂起は、無事収束したと聞いている。
左馬之助殿からも、勘助からも、小太郎からも。
だが松永の様子を見るに、それだけでは終わらなかったようだ。
「お知らせせねばならぬことがございます」
懐から出した書簡は三通。
「何があった」
「相模衆の目的がわかりました」
孫九郎は差し出された書簡に目を向けて、頷いた。




