9-3 相模 玉縄城3-3
ここから関東は混迷に陥る。
それはもはや予想でも予言でもなかった。
今の盤面を収束に向かわせるだけでも、多くの場所で衝突が起こるだろう。
関東は二分され、あるいはもっと小さな勢力に別れて、生き残りをかけた戦いが繰り広げられるはずだ。
今川が小田原城を落としたことが呼び水になった。
それにより、武蔵の多くの兵が相模に入り、この時を好機ととらえた勢力が動いたのだ。
関東勢が一丸となって、今川家排除に動いていれば、まったく違った展開になっていただろう。
だがそれは限定的な動きにしかならなかった。
山内上杉家という、関東勢屈指の勢力で内訌が起こった。
誰もが、もはや古河公方の権勢は確かなものではないと感じたはずだ。
夜。
蝋燭が燃える音と、遠くの虫の声をBGMに、少人数が一室に集まっていた。
向かいには若い方の風魔小太郎、孫九郎の左右には渋沢と承菊。一枚の紙を囲んで円座の形で座っている。
孫九郎は腕組みをして、風魔衆が調べた地図を見下ろした。
大まかな地図ではあるが、必要なことは書きこまれている。
川と、城と、街道だ。山や丘もある。
現代の地図とは大きく違うが、この時代の人間が感じている距離感と位置関係が把握できた。
小太郎以外の者にとっては、土地勘がない場所だ。
地政学的な関係も、勢力の相関も、まだ飲み込めていない。
「関東管領殿は劣勢か」
「はい」
孫九郎の問いに、はっきりとそう答えたのは小太郎。
しばらくその顔をじっと見据えて、その視線上にいる弥太郎を一瞥した。
小太郎を疑っているわけではない。ただ、孫九郎にとって一番信頼を置けるのは、やはり弥太郎たちのほうだった。
弥太郎への視線の意味に、小太郎は気づいただろう。
だが何も言わない。表情も変わらない。
疑われていると思わないでくれるといいのだが。
そんなことを思いながら、口を開く。
「古河公方は、山内嫡流をどう見ている? そもそも、いずれ管領職を譲るという約束だったのだろう?」
「傀儡にするつもりだろうと息巻いておられるようです」
問題の子は十歳に満たないとのことだ。擁立した勢力の傀儡だと言われてもおかしくはない。
だがこの程度の、つまり幼くして病死することはないとはっきりしてくる年齢で、後継者として擁立したいと考えるのは当然のことだった。
嫡流の子が成長するまで待っていたら、旧臣たちが離れていく可能性もあったのだろう。
あるいは、山内上杉家が別の誰かを嫡男に指名したのかもしれない。だとすれば、後継者にするつもりはないと明言したといってもいい。
中継ぎの当主が、権力を手放さないのはありがちなことだった。
孫九郎は小さく息を吐いた。
「またとない機会ということだな」
今川が相模に来たことにより、古河公方の目がこちらに向いた。武蔵勢の多くがその号令に従い、相模方面に動いた。
「だが、この先はどうなる? 初動で優位に立てたとはいえ、いずれ武蔵勢は戻ってくる」
それぞれが考え込み、沈黙が続いた。
「扇谷上杉の動向が気になります」
しばらくして、珍しく発言したのは渋沢だ。
寺で出会った太田殿のことを思い出して、孫九郎も頷く。
「拙僧は房総が」
承菊がそう続けた。
孫九郎だけではなく、その場にいた全員が整った僧形の男を見る。
「……房総?」
「小弓公方様がいらっしゃいます」
小弓公方か。
ちらりと考えなくもなかったが、イメージ的には古河公方より劣る権勢。いや、古河公方が力を無くせば、小弓公方が強気になるのか?
「御屋形様はどうお考えですか?」
腕組みをして考え込んでいる孫九郎に、承菊がそう問いかけてくる。
孫九郎はしばらく黙ってから、扇子の先で一点を示した。
江戸だ。
「……長綱殿ですか?」
承菊が顔をしかめる。
気にしすぎだと言いたいのだろう。だが、確実に言えることがある。
「簡単に片はつかないだろう」
「つまり、関東管領方が盛り返すと?」
「そこまでは言わない。だが、このまま負けて終わりではないはずだ」
承菊はしばらくまじまじと孫九郎の顔を見ていた。
やがてその綺麗に剃り上げられた頭が、斜めに傾いていく。
節の高い指を顎に当て、こちらも熟考を始めた。
ジリジリとろうそくの芯が燃える音がする。
そのオレンジ色の明かりの揺れが、向き合う男たちの顔に影をつける。
中でも剃髪している頭の輝きがひと際強い。
理由はそれだけではないだろうが、視線は承菊に集中した。
「関東勢がまとまらず、揉めてくれるのは今川家には有利です」
やがて、まだ考え込みながら口を開いた。
「このまま傍観してもよさそうに思いますが、仮に現管領殿が勝利し、つまり江戸北条氏が勢力を持った場合には、厄介なことになるでしょう」
ろうそくの光を浴びても闇に溶け込むような墨色の法衣が、すっと身を乗り出した。
長い指がまずは房総を。次いで扇谷上杉家の主城川越を指し示す。
「扇谷上杉と小弓公方。ここが手を組めば、長綱殿は容易に動けません」
江戸を挟んで、川越城と小弓城とはほぼ同じぐらいの距離だ。だが扇谷上杉家は、古河公方の被官で、江戸城を失ってもなお離反はしていない。
しかし……確かに、小弓公方に組する可能性はゼロではない。
孫九郎は、承菊のその案をしばらく考えた。
「……どちらにも、大きくは勝たせたくない」
口にしてから、それは戦を長引かせるという意味だと思い至り、顔をしかめた。
「長綱殿が武蔵で勢力を広げようとすれば、必ず扇谷上杉家とぶつかる。その結果を見てから考えよう」
太田殿にとって、江戸城を奪った長綱殿は不倶戴天の敵だろう。
簡単にやられてくれるなよ。
心の中で、そうエールを送った。




