9-1 相模 玉縄城3-1
その日、孫九郎は、主目的を果たして明るいうちに玉縄城に帰還した。
無事、承菊を連れ戻すことが出来た。
そこだけ見れば「よかった」と言えるが、問題はまだ解決しておらず、相手の陣地にボールを蹴り込んできただだけだ。
孫九郎は改めて承菊の色白の顔を見据えて、顔をしかめた。
更に何をしようというのか、まだやりたいないというのか。これ以上の燃料投下、あるいはふいごを押して火を大きくするつもりだったのは間違いない。
「いい加減にしろよ」
これで何度目だ? 確実に三度目は越えているぞ。
はっきりとした叱責に、周囲の者たちは青白い顔になったが、当の本人は軽く叱られた程度の表情だ。
「なにか、お気に召されぬことでもございましたか」
まったくわかっていない様子で首を傾けている。
いやそんなはずはない。すべて計算の上での行動だったはずだ。
孫九郎は眉間にしわを寄せて首を振った。
「報告、連絡、相談」
ふと、この時代にこういう概念というか、言い回しはあったのだろうかと思いながらも、言葉を続ける。
「それが出来ぬのなら、そのほうがどれほど優れた頭をもっていようとも、“使えぬ”」
「しておりますが」
視線の先で、承菊の綺麗に剃られた頭が傾いている。表情には薄い笑み。困惑の表情。
もしかすると、ほんとうにわかっていないのかもしれない。
「承菊」
孫九郎ははっきりと伝わるように承菊の目を見つめた。
「いくらそのほうでも、首と胴体が離れてしまえば“使えぬ”」
「それはその通りです」
正直、この男は何があっても生き延びはするのだろう。
だがいつか、糸が切れた凧のように遠くに飛んでいきそうだ。
そこでまた大きな爆弾に火をつけて、今川家にも難が及ぶに違いない。
孫九郎は、この先の己の人生に、承菊(の尻ぬぐい)がついて回る様子を想像してげんなりした。……勘弁してくれ。
結果だけをいうと、鎌倉の敵意の矛先を丸めることに成功した。
今川に敵意をもっていた八幡寺を抑え込み、別当の首を挿げ替え、今の鎌倉は友好的と言えないにしても、敵対するつもりはなさそうに見える。
十分な成果だ。
結論だけ見ればそうなのだが、孫九郎はその考えをよしとはしなかった。
「最悪の場合、どのようなことになっていた?」
「拙僧が鎌倉に向かってですか?」
悪いようになるはずはないと、自信たっぷりのようだが、違うから。
「あの場所でそのほうが死ぬようなことになれば、今川は鎌倉を攻めただろう」
承菊の形の良い眉が、数センチ持ち上がった。
「そうなのですか?」
……これ、わかるまで説明しないといけないのか?
ため息をつく。
「その方は今川家の軍師であり、正式にわたしの配下だ」
言語化すると違和感。ものすごい違和感。
「勝手なことをしたいのなら、その名を返上してからにしろ」
そこかしこから、息を飲む音が聞こえた。
この場には、孫九郎の主だった側近たちが控えている。
彼らの目があるところで叱責すること自体が、リスクだった。
承菊は富士山より高いプライドの持ち主だ。こんなことを言えば、反感を持ち今川を離れてしまうかもしれない。
それでも言わなければならなかった。
「そのほうは、今川家という名を背負っている。発した言葉は今川家の総意だと受け取られる。常にその重さを考えよ」
承菊が大きく目を見開いている。ものすごく驚いた表情だ。
……やっぱりわかっていなかったな。
キリキリと胃が痛んできた。
いっそ還俗させるか? この男の首根っこを掴んで離さない、苛烈で正義感のある正妻を見張りにつけるというのも……いや、より被害が拡大しそうだな。
そういう家内の揉め事にせっせと火をくべ、熾火を大火にするのはこの男の得意技だ。
危ない、気の毒な被害者を増やすところだった。
しばらくは傍に置いて、直接目を光らせておくしかないだろう。
鎌倉からの使者が来たのは、翌日の早朝だった。
孫九郎はその時、山内上杉家の状況について風魔小太郎から報告をうけていた。
この男の前で、鎌倉とのもめ事を話すのは抵抗があったが、隠しても知られてしまうだろう。
いや、隠す方が勘ぐられる要素になりそうなので、その場にいることを許した。
広間、というほどの立派なものがあるわけではないが、一応その体をとどめている建屋に、使者たちはいた。
先頭に座っているのは、女だった。非常に美しい、若い女だ。
男装というのだろうか、神職としての装束に身を固め、背筋を伸ばして座っている。
実に堂々としている。
この時代、現代人が想像するよりも女の地位は低い。いや低いというよりも、地位の継承は男性主体であり、多くの場合、女性に権限はあっても地位を得る権利は発生しない。
神職の地位などそのもっともたるものだ。
仮に大宮司に息子がいないのだとしても、娘が継ぐのではなく、娘婿が継ぐことになる。
つまりこの若い女が、いかに神職のような恰好をしていても、実際に宮司や禰宜などではないだろう。
では何者か。
名乗りはまだないが、大宮司の血族、娘か孫あたりだと思う。
孫九郎がその部屋に入ると、娘は軽く頭を下げた。軽くだ。
それ自体に問題があるわけではない。
ただ、じっとこちらを観察するように見る目に、違和感があった。
彼女が座っているのは下座であり、大宮司の使者ならば妥当だ。その事への不満があるようにも見えない。
だったらこの違和感は何だ。
そう思い、逆に観察するように彼女を見つめると、しばらくにらめっこのような状態になった。
しばらくして、女はうっすらとほほ笑んだ。
「鶴岡八幡宮大宮司の名代で参りました。清と申します。お見知りおきください」
女性にしては低い声だ。……えっ、男?
この時代の男は小柄な者が多いので、清の性別は正直わからない。
孫九郎はまじまじと観察し、いや女だなと結論付けた。わざとそう見えるようにふるまっているのだろう。
「この度は、別当寺の者が大変な無礼を致しました。正式な謝罪と、この先の治部大輔様のご存念をお伺いに参りました」
随分とストレートに来たな。だが、それぐらいでちょうどいい。
いろいろとややこしくしたのはうちの承菊なので、あまり強くも責められなかった。
「円覚殿は」
「そのようなものは別当寺にはおりませぬ」
ちょっとばかり不穏ないい方だった。
孫九郎はもう一度言葉を探し、結局黙って頷くにとどめた。
八幡宮側は、別当寺の非を認め、頭を下げてきた。それ以上のことはこちらの領分ではない。
承菊が驚いたのは、孫九郎の言葉にではなく、孫九郎がそれを言語化して認めたことに対してです
たぶん彼は普通に、今川の総意で動いている、という雰囲気を出していたと思います
確信犯です




