8-9 相模 鎌倉3
達磨僧侶、円覚は、一瞬でも気を飲まれたことにますます腹を立てた。
真っ赤な顔で怒鳴りつけようと息を吸ったが、勢いよく背後から押されてつんのめった。
ちなみに、うちの連中ではない。
同じ坊主頭の僧侶がタックルをするようにしがみついたのだ。
「ええい放せ! 放さんか!」
わらわらと達磨僧侶をその場に押しつぶしたのは三人。
その者たちのあまりにも必死な形相に、思わず笑いがこぼれてくる。
ちらりと、大宮司がこちらを見たのがわかった。
……失礼。笑い事ではなかった。
孫九郎は、駆けつけてきた谷らに目配せをした。
手早く団子状態の坊主どもを引き離し、離れた場所に座らせる。
達磨僧侶はなおもその手を振り払い、孫九郎に向かってこようとしたが、谷がその肩に手を置いただけで身体をこわばらせた。
刀を突き付けたわけじゃない。ただ……小柄な割に馬鹿力だからな、あいつ。
「おや、御屋形様。このようなところでお会いするとは」
しれっとそんな声が聞こえた。
姿は見えずともわかる。承菊だ。
どこにいるのかと視線を巡らせると、新たに現れた坊主軍団の先頭に立っていた。
坊主頭の率が高くて、普通に紛れてわからなかった。
「御祈祷でしょうか」
目が合って、何をしていると詰問する前に、そう返された。
……余計なことは言うなという意味か?
孫九郎はおとなしく口をつぐんだ。
承菊は相変わらず、にこやかな表情だ。
だがその背後に並ぶ高僧たちは、どれも深刻な顔だった。こわばり、青ざめ、まだ怒鳴りつける気満々な円覚に険しい目を向けている。
どうやら八幡寺の高僧、あるいは別当かもしれない円覚と、鎌倉の他の寺との揉め事がおこっているようだ。
いや……ようだ、ではない。絶対に承菊の仕込みだろう。
その承菊の仕切りで、話し合いの席が作られる。
一番の上座に大宮司というのは順当だが、当たり前のように孫九郎は次席に据えられ、僧侶たちは下座に座らされた。
上座の対面には円覚。どう考えても一番の下座だ。
その頃になってようやく、奥から慌てた様子の足音がして、幾人かの神職が現れた。なんとかそれらしい装束は着ているが、大宮司のようにパリッとした身なりではなく、烏帽子も傾いている。
取り繕った神妙さで脇に控え、そわそわと視線を泳がせている。
円覚は、当たり前の顔をして孫九郎の脇に座った承菊をもの凄い目で睨んでいた。
「大宮司様」
少し離れた場所に座った高僧が、静かに口を開く。
「このたびの不始末、どうお考えか」
孫九郎は首を傾げたくなるのを堪えた。不始末? 承菊に切りつけた件だろうか。
「北条に倉に蓄えていた米を渡したそうですな」
まだ谷に肩に手を置かれた円覚が、ぐいと身を乗り出した。
「あっ、あれはお預かりしていたものだ!」
ああ、なるほど。今更その話か。
正直、坊主どものやり取りに興味はなかった。だが承菊が、何をネタに騒動を誘発したのかわかってしまった。
「北条家はこのたび、恐れ多くも公方様の姫君をご正室に……」
ものすごい音量でまくしたてる円覚の言葉は、正論の仮面をつけたただの自論だった。
今川家が小田原を奪ったことを責め、北条を擁護する。言いたいことはわかるが、それはあくまでも円覚個人の考えだ。
北条家に肩入れすることを、鎌倉の五山は認めていなかったのだろう。黙って聞いている高僧たちの表情は険しい。
鶴岡八幡宮もそうだ。特定の家門に組することはなく……というのは建前かもしれないが、立場としては中立を掲げているはずだ。
円覚の言っていることはあくまでも彼の主張であり、鎌倉全体の意思ではなかったということだ。
「なるほど。それではお認めになるのですね」
承菊が、孫九郎の補佐の席に座ったままで問う。
「待たれよ、これはあくまでも八幡寺の独断です」
高僧のひとりがはっきりとした嫌悪の表情で円覚を睨む。
「そのとおり。今川に敵対する意図はございませぬ」
五山の高僧たちが口々に同意をしたので、円覚はますます分が悪いと思ったのだろう、腰を浮かせかけた。
だが、すかさず谷が肩に手を置いたので、また「ぐっ」とくぐもった声を上げる。
「そういえば」
承菊が柔らかな口調で言った。
「治部大輔様を『小僧』とおっしゃいましたね」
「えっ」と思ったのは、孫九郎だけではないだろう。
正直なところ、この揉め事に巻き込まれたくなかった。だが承菊を止めるよりも、谷が円覚の肩を強く握るほうが先だった。
たちまち上がった苦痛の声は、もとよりこの男一人が騒いでいる場ではあったが、ひどく大きく異様に響いた。
「本殿での狼藉はやめられよ」
大宮司がそう声を上げた。
谷はすぐに手を放したが、床に転がる円覚の悲鳴は止まない。
肩の骨を砕いたんじゃないだろうな。
……仕方がない。
「当家の者が失礼をした」
孫九郎は渋々と口を開いた。
「だが昨日も、八幡寺の者が承菊に切りつけた。どうやら我らは歓迎されておらぬようだ」
大宮司がはっとしたように孫九郎を見た。
「八幡宮に礼をもって詣でようとしていたのだが」
さあ、こちらの立場は示したぞ。
差し出した手を取るか否かは、大宮司の心ひとつだ。




