8-7 相模 鎌倉1
――少し出てまいります。
そう書置きをして承菊が出かけたのは、翌日。
近所にコンビニがあるわけでもないので、行くところは限定されており、案の定、向かったのは鎌倉だった。
孫九郎はグリグリとこめかみを揉んだ。
弥太郎を見張りに付けて正解だった。何をする気かは知らないが、大ごとになる前に火を消しに向かうべきだろう。
「放っておかれては」
幾分冷やかな口調で言うのは藤次郎。他の側付きたちもおおむね同意見のようだ。
「わざわざ御屋形様が行かずとも」
だが、放っておいて大火になったらどうする。
一応配慮はして、軍勢を引き連れて町に入るのは控えた。
とはいえ、町から見える位置に陣を敷いたから、それを圧力に感じはするだろう。
それ以上の配慮は不要だと思う。
孫九郎は、二十人ほどを引き連れて鎌倉に入った。
名目? 鶴岡八幡宮への参拝だとも。
武家なのだから、八幡様へ詣でるのはおかしなことではないだろう?
ついでに承菊と合流するつもりだが、どこにいるのかな。
孫九郎はきょろきょろと周囲を見回した。
鎌倉は、これまでに見たどことも違った空気があった。
広々とした道は京を思わせるが、両脇に並ぶ町並みは京ほど整然としていない。
人は多い。荷を担ぐ者、馬を引く者、僧、旅人。武士も浪人もいる。
雑多な属性の者たちが行きかう通りは賑やかだった。
やけに僧侶が多いのは、この町には五山をはじめとする多くの寺があるからだろう。
そんな事を考えながら歩いていると、人の流れが割れた。
わらわらと行く手を塞いだのは、見るからに屈強な体格をした、頭はつるつるの連中だ。
「止まられよ」
そのうちの一人が、声を張る。
顔に大きな傷があり、肩幅が広く、腕が太い僧侶だ。露骨な武装はしていないが、衣の下に固いものを仕込んでいるのがわかる。
「これより先は、武具をはずして頂きたい」
その左右にも、同じような男たちが立ちふさがり、なおも人数は増えていく。
あっという間に、孫九郎ら二十人を越えて、更に増えつつあった。
すっと藤次郎が前に出た。
「八幡宮参拝に参った。槍や弓は持っておらぬ。まさか刀を取り上げようというのか? 御身に万が一があった時にどう責任を取る」
ざっとその場の空気が凍り付いた。
僧侶だけではない、道行く者たちまでも。
それらの視線が、孫九郎に集中する。
他の者たちは軽い武装の上に素襖。一人だけ、立ち烏帽子に直垂だ。
……いや、身なりよりも、小柄な少年だという事が何より目を引くのだろう。
自分で言うのもなんだが、孫九郎は有名人である。
名乗らなくても、正解の名がそこかしこから聞こえてくる。
広く周囲に知られているのは、若くして駿河遠江伊豆の国主となり、三河甲斐相模も勢力圏に持つこと。その多くが、親から受け継いだものではないこと。
年齢を鑑み、優秀な側近がいるのだろうと囁かれているが、それは実際に孫九郎を見たことがある者からよく漏れ聞く話だ。
またその評判が加速するのだろうな……そんなことを思いながら、こちらを見ている僧侶たちに愛想よく笑みを向ける。
「気遣いは要らぬ。さっと詣でで戻る故、通っても良いか?」
武具を外して、というのは通常長物のことであり、最低限脇差、場合によっては刀までの所持は許されることが多い。それは、この時代では当たり前に命のやり取りがあるからだ。神域とはいえ無防備ではいられない。
その理由の延長線上に、武装する僧兵がいる。
僧兵が許されているのだから、安全の配慮が必要な身分の者もそれにならう。
当り前のように、屈強な僧侶の背後には、おおぶりな薙刀を持つ者たちがいる。
ちらりとそれに目をやると、露骨に怯まれた。
孫九郎は小さく首を傾けた。
非力な少年になにを臆している? 同行者も、目立って威圧的な体格はしていないのに。
だが少しして理解する。
鎌倉の外には数千の兵が陣を敷いている。町中の者たちはまだ知らないのかもしれないが、行く手を遮った僧たちはそれに対抗したいのだろう。
だが、最初に穏便な方向を選ばなかったのはそちらのほうだ。
横柄な態度はまだしも、承菊に切りつけた事実は消えない。
……おそらくこの者たちは、そんなこと知りもしないだろうが。
「それとも案内してくれるのか?」
孫九郎が愛想よく問うと、先頭にいる屈強な僧侶の喉ぼとけが上下した。
真正面から視線を合わせると、相手の気性がある程度はわかる。悪い男ではない。少なくとも、理不尽に暴力をふるうようには見えない。
ただ、強いものに首を垂れる癖がしみついている。
「御坊」
孫九郎は優しく言った。
「我らは八幡宮へ参りたいだけだ」
背後でジリと草履が土の上をすべる音がした。近いので、連れてきた誰かだろう。
孫九郎側で誰かが身構えたとか、刀に手を当てたとか、そういうことではない。
それぐらい、いつの間にか周囲が静まり返っていた。
通行人も足を止め、目前の僧侶たちも固まっている。
ただ風が吹き、乾いた土が舞った。
カツン。
その時小さな音がした。
カツン。
それは、踏み締められた硬い地面に、木の杖を突く音だった。
「だ、大宮司さま」
震える声がどこからか聞こえた。
通りの先から、人の並びがわずかに割れた。
押しのけられたのではない。誰かが声を上げたわけでもない。人々は自然と左右に分かれて、丁寧に頭を下げていく。
やがて、立ちふさがっていた屈強な僧侶たちも、こわばった表情で道をあけた。
現れたのは、小柄な老人だった。身長は孫九郎より少し大きいぐらいだろう。
その身体がまとうのは、濃い縹色の狩衣と高烏帽子。杖を使って身体を支えているが、背中はしっかりと伸びている。
ただ、そこに“来た”というだけで、周囲が自然と首を垂れる雰囲気。……逆立ちしても孫九郎には無理な芸当だ。
老人の歩みはゆっくりだが、止まらなかった。
迷うことなく、まっすぐこちらへ来る。
そのまま孫九郎の前まで来て、わずかに頭を下げた。
「お待ち申しておりました」
声は大きくないが、はっきりと届く。
周囲に、吐息のようなざわめきが広がった。
「御身を、八幡宮へお迎えいたします」
陽光が狩衣を照らし、濃い縹色を青のようにも紫のようにも見せる。
孫九郎は目を細め、頷いた。
「出迎え痛み入る。手間をかけたな」
互いに視線が交錯したのは数秒間。
その後そっと逸らされた。
関東における鶴岡八幡宮の立ち位置は、政治的な色合いが強いものだったそうです
おそらく力がある家門の次男以下の受け皿だったりもしたでしょう
もちろんそればかりではなく、武士たちの精神的支柱でもありました
たとえば、戦勝を祈願したり、勝った時にはお礼に詣でたり




