8-5 相模 玉縄城2-2
その日、玉縄城への訪問者は、それだけではなかった。
承菊らが到着してほどなく、鎌倉から異彩を放つ集団がやってきた。
武士ではないが、堂々と武器を持ち、臆することなく孫九郎を名指ししているそうだ。
うちの下っ端でさえ額に青筋をたてるような、無礼極まりない態度で。
「いつものことじゃないか」
孫九郎はたいして気にせずそう言ったが、渋沢などは問答無用に追い返そうと言い張るし、側付きたちも同意見。
話だけでも聞くべきという考えは、渋られた。
古河公方の軍勢は退いてくれたのだから、一定の価値はあったと思うのだが。
承菊の考えはそのどれとも違った。
「北条に米を渡した者たちですよね」
含み笑いが混じる声に、段々と不穏な空気になっていた者たちが黙る。心なしか顔色が悪いものまでいる。きっと孫九郎の表情も良くはないだろう。
だが、承菊の優し気な笑顔は鉄壁だった。
「甘い顔をするべきではありません」
……笑顔で言うな。怖いから。
孫九郎は若干引きながらも、「ではどうする」と続きを問う。
「相手は武士ではない。敵に回すと厄介ではないか?」
「厄介?」
承菊は心外だという風に眉を上げ、きれいに剃り上げられた頭を傾けた。
「八幡の名を後生大事に掲げておりますが、だからといって何ができるわけでもありませぬ」
それはいくら何でも言いすぎだ。宗教関係に正面から敵対するつもりはない。たとえば、お前が大嫌いな本願寺であろうとも。
「信仰心を甘く見るな」
「それを拙僧に言われましても」
姿かたちは紛れもなく禅僧であり、よく知らない者なら徳の高い良僧だと思うに違いないこの男は、本質の部分では限りなく真逆だ。
「あれはもっともらしく威光を誇示しているだけですよ」
しれっとそんなことを言う承菊に、果たして信仰心はあるのだろうか。
逆に、それを利用しつくす姿のほうがリアルに想像できるのだが。
「武力はなくとも、それを口実に戦いを仕掛けることが出来るなら、一勢力とみるべきだ」
「ああ、非常に御屋形様らしいお考えですね」
この男のことが分かっていなければ、それを強烈な皮肉だと思ったかもしれない。
だが孫九郎は、周囲の渋い表情も気にせず、承菊の顔を真正面から見た。
「鶴岡八幡が今川を敵とみなせば、相模武蔵の国人衆はなおいっそう今川に敵対してくるだろう」
ある意味、古河公方と似たような立ち位置だ。ともに単独での武力はもたなくても、周囲を巻き込むことができる。
「それに何の問題が?」
恐ろしいことに、承菊は本気で言っているのだ。
「逆らってくる者には容赦をせねばよい」
いや、そうなんだけどね。
どんなに鎌倉から声を上げようとも、単独で今川軍と戦えるほどの力はもっていないので、その「ご意思」に従う武家が立ち上がる形になるのだろう。
まったく負ける気はしないが。
「御屋形様は、正面からの諍いを避けようとなさっておいでですが、そうなることを恐れてはおられませぬ。それでよろしいかと存じます」
孫九郎は溜息をついた。
わかっているのなら、意図を汲んでほしい。
宗教関係と揉めたくないんだよ。面倒なことになるのがわかっているから。
彼らは自身の信仰を正義だと信じている。本気でそう思っているのだ。
そういう連中の考えを変えるのは基本的には無理だ。
「拙僧が話をして参りましょう。御屋形様が出る必要はございませぬ」
……大丈夫か? 本気で心配なのだが。
承菊がそのフルスペックで、訪問者たちを横殴りにする姿が目に浮かぶ。
もちろん物理的にではない。
この男は、悪辣極まりないやり方で、敵対するものを容赦なく地獄に突き落とすのだ。
想像して、ぞっと鳥肌が立った。
相手が何を言ってこようが、まともに相手をするつもりはなかった。
適当にいなし、今川に敵対するつもりならわかっているよな?(意訳)と、マイルドに伝えるだけでいい。
孫九郎は何度も念押ししてから、承菊を送り出した。
危機感はあったが、それは相手へのものではなく、承菊の「やらかし」に対してだ。わかっていて何かしでかしそうなのが怖い。
だからといって、ここで孫九郎が出て行くのも問題だ。
断りづらい事を言われたときに、「いったん持ち帰って相談します」と答えるわけにいかなくなるからだ。
相手が武士なら、たいていの物事は力で解決するが、宗教関係は時に言葉が通じない。
増長しないように抑えつつ、一定の距離を保つのが一番いい。
「それほどご心配なさらずとも」
遠ざかっていく承菊を見送っていると、藤次郎が苦笑しながら言った。
孫九郎は焦げた柱の陰に立ち、照り付ける太陽の下でも黒々とした法衣をじっと見て息を吐く。
「心配なのは相手だ」
藤次郎だけではなく、側付きたちがそろって「ああ」と納得した顔をした。
やがて庵原の軍勢がすっと承菊の背後に付き従い、木々の少ない尾根沿いの道を下っていく。
鎌倉から来た者たちは、渋沢が引いた防衛ラインの外で待機しているそうだから、おそらく例の谷戸の村あたりにいるはずだ。
孫九郎はそわそわと身じろいだ。
五歳の子供でも暗い中駆けてくることができる距離だ。いまから追いかけても間に合うだろう。
「なりませぬ」
まだ何も言っていないのに、藤次郎が毅然とした口調で諫めてきた。
孫九郎は肩を落とし、「わかっている」と呟いた。




