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夏颯記  作者:


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7-8 相模 玉縄城5

 敵側の士気が低いのは、雨のせいだけではないだろう。

 渋沢隊が腹に響く怒声を上げただけで、目に見えて隊列を下げる。

 弥太郎ら忍び衆による恫喝が効果を発揮しているのだと思う。

 いやいや、恫喝というのは言い過ぎだな。耳元で彼らの名を囁いただけなのだから。

 それをどう受け取ったかなど、そんなものはこちらにはかかわりない事だ。

 玉縄城の、城を城たらしめる堅固な防備は役に立たないが、敵がびくついているので追い払うのに苦はなかった。

 敵の大将は、ひどく苛立っているそうだ。

 長綱殿ではない。武蔵の国人なのか公方の直臣なのかよくわからない、聞いたことがない名の大将だった。

 声を大にして軍勢を鼓舞しているそうだが、孫九郎のところまで微塵もそんな気概は伝わってこない。

 いくら旗を振っても士気が振るわないのは、つまり古河公方もその程度ということだろう。

 孫九郎は本丸を囲う土塁の上から戦況を眺めつつ、この膠着状況がどう行きつくのか考えた。

 敵は公方の号令で集まった国人衆だ。

 おいそれと退くことはできないだろう。

 だからといって、長々と戦を続けていけるほどの補給はないはずだ。

 前の出陣から一か月とたっていない。不服も多いだろう。

 振り回される中間管理職。

 そんな彼らの心情に、気の毒だという思いはかすかにある。

 だが、そこできちんと趨勢を読むことが出来ないのなら、これもまたこの先のゲームで生き残っていく資格はないということだ。

 さて、ここで有利なのはどちらだ。

 今川軍は、川により本隊と分断されている。

 だが、兵糧も拠点もあるし、士気も十分に高い。

 対する連合軍のほうも、川に阻まれこれ以上の援軍は見込めない。兵糧の事情はわからないが、大規模な小荷駄隊はないそうだから、多くはないだろう。

 孫九郎は、雨にけぶる城郭の向こう側に目を向けて、笠の下で首を傾けた。

 ……まあ、負ける要素はないな。

 問題は、勝ちすぎると厄介ごとが増えるというだけだ。

 堀の向こうから、ドッと怒号が響き渡った。

 搦手門側で、渋沢隊が敵左翼と衝突したようだ。

 傍らで谷が身を乗り出すのがわかった。谷だけではない、馬廻り衆の若い連中も、側付きたちも、冷たい雨に濡れてもなお上気した顔で戦況を見守っている。

 敵の腰は退けている。渋沢は手を緩めない。

 城攻めの攻めている方が及び腰という、珍しいパターンで戦況は推移し、やがて雨が強くなってきたので競り合いは中断した。

「退きましたね」

 藤次郎の言葉に、孫九郎は同意の頷きを返す。

 さて、これから敵がどう出るか。

 雨が止むのを待ってまた戦端が開かれるか、停戦の申し出があるか。

 孫九郎は、攻め手が粛々と退いていくのを確かめてから、踵を返した。

 雨が更に強まってくる。ざあざあと笠に雨粒が当たる音が、周囲の物音を遮断する。

 まずは退いてきた渋沢隊の怪我人を手当てし、飯と寝床をやろう。

 一貫して戦況は優位で進んでいたから、それほどの死傷者は出ていないはずだ。

 彼らは十分に務めをこなした。

 これからが、孫九郎の仕事だ。


 少し前から修繕を進めていたとはいえ、人数分の寝床を確保することは難しく、全員が屋根の下に入ることが出来るのがせいぜいだった。

 だが、濡れないだけでもけっこうなアドバンテージはあると思う。

 何しろ敵は、ずぶ濡れだ。

 もちろん少しずつ、木陰や板を張った仮設の屋根の下に入っているだろうが、全員ではない。

 雨が長引けば長引くほど、体力はそがれ士気は下がる。怪我人の治療もままならないだろう。

「よくやった」

 孫九郎がそう言うと、頬あてだけをつけて、鎧兜を外した渋沢が一礼した。

 見たところ怪我はしていない。

「所感はどうだ」

「やる気がないですね」

 それは遠目に見ているだけでもわかる。

 つまりは、熱心に戦っているふりをしているということだ。

 孫九郎は頷き、濡れた小具足姿の男前を見上げた。

「とはいえ、手控えていると言う感じでもないのだろう?」

「はい。こちらが攻勢を緩めたら、踏み込んできます。玉縄城が欲しいのでしょう」

「城が欲しいというよりも、今川を退かせたいのだろう」

「退かせたいのなら、もっと本気で掛かってくるべきでは?」

「……言うてやるな」

 孫九郎は苦笑した。

 古河公方の願望はわからなくもない。

 大国の相模進出を許してはならぬ、そう意気込んでいるのだろう。北条に姫を嫁がせたのも、今川から小田原を取り返す口実にするつもりだったからだ。

 だがいかんせん、その熱量に武蔵の国人衆がついていけていない。

「まだしばらく、付き合わされるやもしれぬ」

 孫九郎が苦笑しながら言うと、頬あて越しに渋沢の溜息が聞こえた。

「申し上げます! 御屋形様!」

 土塁の上に残してきた土井が、転がり込むように孫九郎の傍まで走ってきた。

「使者が門前近くまで来ております!」

 その時の孫九郎は、古河公方の軍勢が早くも根を上げたのかと思った。

 だが違った。

 使者は公方陣営からではなく、扇谷上杉家からのものだった。

 停戦の調停。

 堂々とそう言われて、呆れてしまったのは孫九郎だけではないだろう。

 扇谷上杉家は、古河公方の被官だ。

 中立とは言えない立場で何を言うと突き返しても良かったが、えらく必死に懇願されて考えを改めた。

 扇谷上杉家は、ずっと北条と敵対していたから、ひそかにやり取りして関係を途切れさせなかった相手だ。

 鉾をおさめる口実にはなるかと思った。

 もちろん、今川家として退くわけにはいかない。

 きっと古河公方陣営も同じ考えだ。

 これをどう調停するつもりなのか、興味がわいた。

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― 新着の感想 ―
扇谷の当主が参陣してるとは思えないから、埼玉川越から鎌倉の玉縄城まで使い走りさせられる家臣は大変だ。不遇にあって上杉朝興に頭が上がらなそうな面白キャラ・・北条大嫌いマン太田知楽斎に1000点。
長綱の首でもくれるなら城くらい譲っていいかな 長綱いる限り和解は無理でしょ
ゲームとか言っちゃった?!
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