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夏颯記  作者:


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7-7 相模 玉縄城4

 雨がぱらついてきた昼下がり。

 土塁の上に立った孫九郎の目にも、その軍勢の姿が見えてきた。

 軍勢? 確かに軍勢ではある。

 ただ、色とりどりの旗指物に、軍旗。こうまで細かく統一感がないのは初めて見た。

「……二千?」

 目を凝らしながらそう問うと、傍らで渋沢が「言い過ぎたやもしれませぬ」と頭を下げた。

 数的には、確かにそれぐらいいるかもしれない。まだ全容が見えていないので、断言はできないが……「多めに見積もって二千」と言っていいのだろう。

「土井、どうだ?」

 人一倍目のいい男に問うと、土井は天候のせいで稜線がかすむ山並みに目を凝らした。

 晴れているときほど遠くまでは見えない。だが、目の前で展開している軍勢が烏合の衆だというのは、旗指物の色だけではなく、その動きからもはっきりとわかる。

 烏合の衆ということは、つまりこれは、公方の号令により集まった者たちだ。

 おそらく武蔵の国人衆。もしかすると東相模の者たちもいるのかもしれない。

 答えを待っていると、土井の目が丘の一点に据えられた。目をすがめてその方向を凝視し、小さく首を傾ける。

「……あの方向に、やたらと派手な幟があります。なんでしょう。あまり見たことがないです」

 孫九郎は、土井が指さす方向に目を向けた。

 言っているようなものはまったく見えない。だが、派手と聞いて心当たりはある。

 小田原城にいる使者殿。あれと同じ出所だろう。

 ちなみに、死んだという知らせは聞いていないから、まだ息はあると思う。

 公方側は、今川が使者を手にかけたと思っているのかもしれない。

「……なるほど」

「どうされますか。先制攻撃をしかけるのもよいかもしれません」

 渋沢の、生真面目な武人らしい問いかけに、孫九郎はするりと顎を撫でた。

「確かにあの様子だと、少しつつくだけで崩れそうだな……いや」

 少しずつ強まってくる雨足に首をすくめ、雨宿りする場所のない攻め手をじっくりと見まわす。

 じわじわと、柵も門もない城郭に迫ってくる軍勢の姿は、本来なら緊張感をもって見るべきなのだろう。

 だが何故か、まったく危機感を覚えなかった。

「仕掛けてくるまで待とう」

 それは、公方と敵対する口実を作らせない為というよりも、強まりそうな雨の中で長時間待つなど気の毒に……という、少々意地の悪い感情も含んでいた。

 谷戸の集落の多くが燃え落ちたので、雨を凌げそうな場所はあのあたりにはない。

 わざとではない。文句があるなら、村を襲撃した野盗どもに言えばいい。

「御屋形様!」

 ちょうど野盗の事を考えていたところに、田所恭一郎の声がした。

 視線を土塁の内側に落とすと、建屋の横でぶんぶんと手を振っている小柄な少年がいる。孫九郎が気付いたと知るや、ぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。

 その左右にいるのは、気のせいでないなら田所家の者たちだ。

 孫九郎は少し考えて、軽く手を上げて返答した。

 ――何か出たな。

 その直感は、間違っていなかった。


 雨がどんどん強くなる。

 孫九郎は差し出された手ぬぐいで顔を拭った。

 あれからすぐ本丸まで引き上げたのだが、かなり濡れてしまった。

 雨が降って少し気温が下がり、肌寒い。

 だが、ニコニコ笑顔の恭一郎の周囲だけは、別の季節のようだった。

「……それで?」

 孫九郎が問いかけると、まるで「褒めてくれ」と言いたげにえくぼが深くなった。

「はい! 三人を尋問しました。一人からいい話が聞き出せました!」

 恭一郎の弾んだ表情は、何も知らない者の目には微笑ましいものに映るだろう。

 だが、この場に残っている皆は神妙な顔だ。田所家がどういうものか、知っているからだ。

 恭一郎は、「すう」と息を吸って、肺を膨らませた。

「命じられて、村を襲ったそうです!」

 無邪気な、破壊力のある笑顔だった。

 だが孫九郎は、その奥に、秘められた怒りを感じ取った。

「浪人崩れどもは徒党を組んで、組織的に動いていたようです。どの村をいつ襲うのか、日時の指定もあったようです」

 恭一郎はひときわ深くえくぼを刻み、くっきりとした二重の目を三日月形に細めた。

「このたびの城攻めに時を合わせたかったようです」

 孫九郎はぎゅっと目を閉じた。

 必死に乞うていた庄屋、悲嘆にくれる村の様子、薄暗い中ひとりで山道をかけてきた童子……思い出すたびに、嫌な感情が湧き上がってくる。

「長綱殿か」

 そうかもしれないし、違うのかもしれない。ただ、誰かがこのタイミングで村の襲撃を計画したのなら、それは今川軍の分散あるいは混乱を画策したものだろう。

 だがうまく時がかみ合わなかった。雇われ者に任せるから、そんなことになるのだ。

 いや、城に迫っている二千の軍勢の足が遅かったのかもしれない。

 あるいは、野盗騒ぎが一晩で片が付くとは思われていなかったか。

 静まり返った広間に、孫九郎が扇子を開閉する音がしばらく続いた。

 誰もが神妙な顔で、この先の判断を待っている。

 孫九郎の指示があれば、たとえ敵が公方と分かっても、迷いなく刀を抜く者たちばかりだ。

 迷いがあるのは孫九郎のほうだった。

 大勢の家臣を連れていく先に、間違いがあってはならない。

 しばらくして、考えはまとまった。

 最後に一度、パシリと扇子を閉じる。

「……女子供の避難は済んでいるな?」

「はい。村に来ていた御坊が、保護をかってでてくださいました」

 谷戸の村はひとつではない。複数の村にいる全員を集めるのは時間がかかったはずだ。特に、敵が来ている方向の村がどうなっているか不安だったが、雨が本降りになる前に移動を始めたそうだ。早いうちから指示を出していて正解だった。

「籠城する」

 「えっ」と誰かが声を上げた。籠城を選ぶほどの敵の数ではないし、そもそも玉縄城は城の体をなしていないからだ。

 孫九郎はじっとこちらを見ている渋沢に頷きかけた。

「ただ、こちらに閉ざす門はない。攻め込まれたら押し返せ。空堀を越えられそうなら、うまく退けよ。容赦は不要」

 おそらく何度かの小競り合いの後に、先方が使者を立てるだろう。

 公方の名を掲げ、何と言ってくるか聞いてやろう。

「弥太郎」

 孫九郎はコツンと一度、床を叩いた。

 声もなく、部屋の隅にいた男が頭を下げる。

「細かい仕事になるが、敵の軍勢の詳細を調べよ。どこぞの何者が我らに刃を向けるのか」

「攻撃を手控えるよう文を書きますか?」

 そう言った藤次郎の声は、冷ややかだった。

 きっと孫九郎の声も同様だろう。

「……いや」

 孫九郎は、弄んでいた扇子を腰に戻した。

「それぞれの耳元で、名を囁いてやるだけでよい」

 視界の片隅で、弥太郎の口角がにゅっと引き上げられるのがわかった。

ちなみに、少し前に藤次郎の配下になった三浦衆の一部は、今川軍に同行しています。女子供は別行動だったかもしれない。

彼らの視点で、この戦はどう見えているでしょう

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― 新着の感想 ―
武田はほぼ支配下においているし、三浦半島まで手を伸ばしてきている今川。関東諸勢力にとっては西に大きな壁が生まれた事と理解しているのでしょうね。孫九郎としては、そのように感じさせずに関東諸勢力は各々で争…
田所家好きです♪ 色々癖が強い一家にまさかの子犬系が!!(笑) 漫画購入しました!! 小説と漫画、両方応援しています!!
耳元で名前を囁くだけで済ませるなんて、優しいなぁ(棒)
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