6-5 相模 三浦半島 新井城
晴れた日がしばらく続いたのちは、強い雨と風の日が来た。
改めてそれを体感し、城が島は難所だと納得する。
島までは小舟で数分の距離感だが、半島側の岸に立っても「強い風だな」と思う程度なのに、城が島の櫓は屋根が吹き飛んだそうだ。
こんなに雨風が強くても、島に砦を作る作業は続いている。
改めて、急がず安全に作業をすすめるようにと念を押した。
特に清水九兵衛。その才覚は稀有だが、基本ボーっとした奴だから、自由にさせすぎたら怪我をしそうだ。
新井城には五日ほど滞在した。
ここに視察に来た目的は、今後の三浦半島の扱いを決める為だったが、それはすぐに済んだので、あとは実務を少し。
渋沢は勝ったのちの処理を丁寧にしていたが、対処待ちにされていた部分もいくつかあって、それは次に新井城を預ける清水氏がやるべきことだ。
だが、慣れない他国の支配に手間取ることもあるだろうし、孫九郎が決めた事なら不服も出ないはずだ。
そう思って、年貢やそのほか領内の資料に目を通し始めたのだが、すぐに問題にぶち当たった。
ここは確かに三浦氏の拠点だが、もう十年以上北条が支配してきた。
その間の記録が、ひどいものだった。
支配の最初の数年の記録はまっとうなものだ。だが、最後の責任者がこの地に赴任してから、明らかに不正が横行している。
着服? そんなかわいらしいものじゃない。
二つの帳簿を見比べて、顔をしかめる。
通常の年貢は四割六民が妥当なラインだ。一見この地も、その割合のように装われている。だがもう一冊の帳簿では、残りの六割にまた同じ係数がかけられている。
つまり……七割近い年貢を取り立てていた、ということだ。あり得ないどころではない。これでは民は生きていけない。
油を機械で絞り切るように、米を吸い上げていたようだ。
「……ひどいですね」
藤次郎の声が歪んだ。
孫九郎は文机から視線を上げた。顔をしかめて帳面を確認している藤次郎を見て、首を振る。
「ここを預かっていた者の独断か、あるいは北条家からの指示か」
「わざと反発が起こるよう仕向けられたのでは」
「この地に本願寺の寺が多いのも気になる」
「……確定ですね」
これは対三浦ではなく、対本願寺の施政だ。
門徒を徹底的に締め上げ、信仰を手放せば生きていける……そう誘導したかったのだろう。
気持ちのいいものではなかった。何故なら、大勢の餓死者の記載があったからだ。
そうまでなっても、彼らはまだ信仰を手放さなかったのだろう。
宗教というのは、ほんとうに恐ろしいものだ。
「……藤次郎が引き受けた者たちの中にもいるぞ」
孫九郎の心配に、小さな苦笑が返ってくる。
「最近はどこにでもいます。御屋形様の方針で強い排除はしておりませぬから、徐々に増えているように感じます」
「本願寺であろうとも、民は民だ」
「御屋形様の恩情で、今川領内の年貢は三割です。残りをどうしようかは、それぞれの勝手です。ですが、本願寺に帰依している村での暮らしは楽ではないと聞いています」
「残った米を備蓄するのではなく奉納し、あえて修行僧のような暮らしをするというのも、その者たちの選択だ」
今川家の対応としては、冷ややかなノータッチ。
以降の保障などはもちろんしないので、結果的に村の備蓄が足りなくなって困ると言う事態もよく聞く。
隣の村が豊かに暮らし、自分たちが貧しいままだと気付き、本願寺から離れることもある。
たまにだが、隣村を襲撃しようなどという慮外者たちがでることがあり、それは容赦なく処罰することにしている。
「どうする? あ奴らを先に遠江に連れ帰るか?」
藤次郎たちは、今や遠江三浦氏と呼ばれている。中規模の所領を持ち、家臣もそれなりに増えてきた。
だが、新しく抱えようとしている相模三浦一族は、旧臣の数よりはるかに多いだろう。
心配してそう聞いてみたのだが、返答はうっすらとした笑みだった。
「お気遣いありがとうございます。その必要はございませぬ」
次の帳面に手を伸ばそうとしていた孫九郎は、動きを止めた。
そうだった。こいつは育ちの良い好青年に見えるのだが、実態はそうでもない。腹黒というのは言い過ぎだろうが、つまり「甘くはない」。
仮に相模から来た新参者が勝手をしようとしても、自滅するだけだろう。
「……任せる」
「はい」
ちょっとだけ想像してしまった彼らの未来を、頭の中から振り払う。
大丈夫。藤次郎は悪い奴じゃない。
ただ……いや、この先は言うまい。
そのあとの相模三浦衆は、かき消されたかのようにいなくなった。
いや実際は、孫九郎たちが駿河に帰還するまで同じ軍勢の中にいたそうだ。
三浦半島から引き上げる際、男衆だけではなく女子供年寄りまで引き連れて移動したそうだが、孫九郎の視界からは徹底的に排除されていた。
他にも重要な出来事があったから、彼らのことは意識の外に追いやられ、しばらく思い出すこともなかった。
そのうち藤次郎が嫁取りをして、それが旧相模三浦衆の嫡流に近い女性だと聞いた時には、なるほどと感心した。
やり手の藤次郎は、大きな貸しを作って彼らを取り込み、確実に勢力を倍増させたのだ。
のちに今川館に挨拶に来た奥方を見て、孫九郎は内心「やりやがったな」と唸った。
ちょっとどころではなく目を引く美女で、気も強そうなしっかり者だった。
……抜け目なさすぎる。




