6-4 相模 三浦半島 城が島
その日、相模湾は静かに凪いでいた。
孫九郎は突き出した半島の突端に立ち、目を細めた。
いや突端というには語弊がある。
ここは島だ。
相模湾の入り口であり、東京湾の入口でもある。
半島とはつながっていないので、来るには多少苦労するが、立地はすこぶるいい。
真っ先に思ったのは、防衛拠点として優秀だということだ。
逆を言えば、ここを押さえられると、少し厄介なことになる。
……いや、岩の島であるここを奪われたとしても、敵が長く維持するのは難しいだろう。
まず掘っても真水が出ないそうだ。ところどころで岩肌が露出している上に、風が強い立地なので米作には向かないだろう。
補給を前提としてでないと、真価を発揮できない島だ。
美しい海が、キラキラと陽光を反射している。
視力は普通レベルの孫九郎の目でも、波間に船が行き来しているのがよく見える。
浦賀水道を出入りする船も、相模湾に向かう船も、ここで監視することができるだろう。
「……なるほど」
孫九郎が呟くと同時に、谷が動いた。
動いたと言っても、ジャリと草履を鳴らして刀の柄に手を置いただけだが。
きらめく海は美しいが、ずっと見ていると目が焼けそうだ。
そう思い視線を足元に戻すと、先ほどまでは片膝をついて控えていた男たちが、その場でうつ伏せに倒されていた。
谷が育てた孫九郎の馬廻り衆は少数精鋭。どの者も若いが、尖りすぎなほどに腕が立つ。
最初渋沢にすすめられた時には、谷に人員育成が可能なのか不安だったが……悪くはない。
孫九郎は少し首を傾け、睨んでくる虜囚の目に視線を返した。
「どこと組んだ?」
その問いに対する返答は、肌が切れるほどの憎悪だった。
せっかく復興を果たしたというのに、即座に討たれた。その忸怩たる思いからだろうが……それを孫九郎に言われても困る。
北条家は確かに江戸に退いた。三浦家を復興させる絶好の機会だった。
ただ、情勢を読み損ねた。
更に悪いのは、負けが確定しているにもかかわらず、隠そうともしないその態度。
組み伏せられているということは、抵抗しようとしたか、為にならない感情を覗かせたのだろう。それは潔さとは到底呼べない、ただの無謀だ。
「九兵衛」
少し離れた場所から、身を乗り出すようにして海を見ていた男を呼ぶ。
清水九兵衛はさいしょ聞こえなかったようで、崖から飛び込みそうなほど一心不乱に房総半島のほうを見ていたが、お付きの者に腕を捕まれはっとしたようにこちらを見た。
「この島に砦を作る。そのほう、やってみる気はあるか」
おそらく、孫九郎の言葉の意味をすぐに理解することができなかったのだろう。
不安そうな表情で、バシバシと複数回瞬きをした。
お付きにもう一度、今度はもっと強く肘でつつかれて、ようやくはっとしたように背筋を伸ばす。
「こ、この島は風が強うございます」
口ごもりながらそう言って、視線を泳がせる。
だができない、無理だとは言わなかった。
この男は過剰なほど自己肯定感が低く、できることでもできないと言い張る。逆ならつまり、可能だということだ。
孫九郎は頷き、唇の端にわずかな笑みを浮かべた。
「銭は出す。やりたいようにやれ。ただ……」
穏やかな風が頬を打つ。
今に限って言えば、風も波も穏やかだ。だが半島の先端は海が荒れやすく、強風も吹く。
「砦は石組みがよいやもしれぬ」
「は、はい。むき出しの木材ではすぐに痛みます」
今でも櫓や柵はあるが……一度の台風で吹き飛びそうだ。
孫九郎は、見晴らしの良い海をもう一度眺めた。
「背を高くしすぎると崩れそうだな」
「風を流すつくりがよいと思います」
おっと、口ごもらなかったぞ。
「本島側にもっとしっかりとした船着き場をつくれば、迅速に船団を出せるようにできそうです」
次第に熱が入ってきて早口になり、子供のように目が輝いている。
この男は誰がどう見ても技術者だ。実際の指揮者というよりも、実務専門の。
海図だけではなく、地形図までも詳細に書き出す能力は稀有なものなので、その技術をぜひ確立させて周囲に伝えて欲しい。
「三浦」
唐突に孫九郎が名を呼ぶと、組み伏せられていた男たちがもがくのをやめた。
「聞いての通りだ。新井城には伊豆清水家がはいる」
獣のような唸り声。魂を引き裂くような悲嘆を見れば、かつての孫九郎であれば多少なりとも同情を寄せたかもしれない。
「恨むなら、己らの力不足を恨め」
三浦家は家門を復興させるにはこの時しかないと挙兵した。利用されていることは、わかっていたはずだ。それでもいいと踏み切ったのだから、最後までその覚悟を貫くべきだ。
「御屋形様」
さて新井城に戻ろうか、と踵を返した孫九郎に、これまで無言を保っていた藤次郎が声を掛けてきた。
なんだ? と見返すが、珍しく視線が合わない。
片膝をつき頭を下げた藤次郎の姿に、孫九郎は眉間にしわを寄せる。
「お願いがございます」
藤次郎がそんな風に切り出してくるのは珍しい。
「……申せ」
「整理がついた後で構いませぬ。生き残った三浦一族を、某が引き取ってもよろしゅうございますか」
一度深く頭を下げた藤次郎が、再び孫九郎を見上げる。
その真剣な表情に、渋い顔をしたのは、「否」と言いたかったわけでも、藤次郎の申し出を不快に感じたからでもない。
同じ三浦姓なのは偶然だと思っていたが、違うのかもしれない。
だとしても、すでに今川家当主の側近中の側近である藤次郎が、今更遠い親戚を保護する必要はないはずだ。
あえて面倒ごとを背負いこもうとしている事への心配は、驚愕の表情をしている三浦衆の顔色を見ていや増したが、それこそここで問うことでもなかった。
「三浦藤次郎」
「はい」
「この者たちには、もはや相模に居場所はない」
「はい。承知しております」
毅然としたその態度は、普段通りの、孫九郎がよく知る藤次郎のものだった。
それはつまり、よくよく考えた末の申し出だということだ。
「……まあ、よいだろう」
孫九郎はしばらく藤次郎の顔を見つめてから、頷いた。
「命身一つ。家族の同行も許す。ただし。他はすべて置いていけ」
片膝を立てていた藤次郎が、その場で両膝を土に付けた。
両手を太ももに置き、両膝立ちの姿勢で深く頭を下げる。
若い馬廻り衆に組み伏せられたままの三浦衆が、みっともなくぽかんと口をあけている。
孫九郎はそれに厳しい目を向けた。
恩を仇で返すなよ。
心の中でそう念じておいたが、伝わったかどうか。
しばらくは気にして見ておく必要がありそうだ。




