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夏颯記  作者:


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5-9 相模 小田原城9

 やがて部屋は片づけられ、いくらか血の臭いが引いた。

 死者、四名。切りつけられたが息がある者はひとりしかいなかった。

 その者とて、生き延びることが出来るかはわからない。仮に命を拾ったとしても、腕を飛ばされているので、武士として刀を握ることは二度とないだろう。

 自らの配下の者たちに対して、随分と思い切ったことをしたものだ。

 孫九郎は、うなだれる左馬之助殿をみながら、その心情を考えた。

 いや、あの者たちは厳密な意味では左馬之助殿の家臣ではなかった。

 それぞれの家門が歩もうとした道は、左馬之助殿が望むものではなかったからだ。

 うなだれていた左馬之助殿が、唐突に顔を上げ、立ち上がった。

 息を飲んだのは北条衆。

 一斉に身構えたのが今川衆。

 特に渋沢と谷の動きが顕著で、刀を抜き孫九郎との間に立ちふさがったが、正直この距離で相手が左馬之助殿なら危なかったと思う。

 だが……左馬之助殿だぞ。

 立ち上がったことにぎょっとしたのは孫九郎もだが、それほど心配していなかった。

 甘すぎる? いや、左馬之助殿という男をよく知っていると言って欲しい。

 物々しく身構える者たちの中でもひときわ屈強で、ひと際大柄な男は、やおら部屋から飛び出し庭に降りた。裸足で。

 そして土の上に両膝をつき、ガバリと平伏した。

「すまぬ!」

 誰もが呆然として、その土下座姿を見つめた。

「よう言うて聞かせる故に、勘弁してくれ!」

 本来みっともなく、情けなく、見苦しいはずの姿なのに、孫九郎が感じたのは「まあ左馬之助殿だし」という感想だけだ。

 そしておそらくそれは、今川衆の多くにとって同じだったのだと思う。

 軽い呆れが含まれた、仕方がないという許容の雰囲気が流れる。

 しかしそれは、葵殿や腹に一物抱えた北条衆にとっては屈辱的に映ったのだろう。

 憤懣の表情を隠せず、だが声を上げることもできない。……彼らは、左馬之助殿の行動の意味をまったく理解していないのだ。

 仕方がないので、パフォーマンスに付きやってやることにした。

 北条衆はともかくとして、葵殿は理解するべきだ。あれは家臣の諫言ではなく、甘言だったのだと。危うく、彼女だけではなく、左馬之助殿を含む北条衆全員が滅びの道を歩むところだった。

 孫九郎は、脇息をわきによけ、立ち上がった。

 無表情だった谷が、眉を寄せる。

 大丈夫だと一瞥し、いや危険だと睨み返されて、瞬き数回の間に電波を飛ばし合った末に、渋々と引いたのは谷のほうだ。

 孫九郎はそのままスタスタと廊下に出た。

 普段なら見上げるほどの巨躯なのに、今は庭先に額を擦りつけて小さくなっている。

 ここから喋るのはちょっと遠い気がして、護衛が難色を示すのも構わず数段の階段を下った。

 さっと草履を並べたのは次郎三郎だ。

 無表情なようでいて、その肩の筋肉が張っている。

 気が利くというよりも、いざという時には肉壁になる気なのだろう。

 心配しなくてもいい。左馬之助殿はそんな男ではない。

 それは信頼ではなく、理解だ。

 孫九郎に手を掛ければ、今川衆の怒りが容赦なく小田原を、いや相模全域を焼き尽くすとわかっている。そういう計算が、きちんとできる男だ。

 孫九郎は、平伏する左馬之助殿の前に立った。

 ひと息に孫九郎の首をひねり上げることできる武人との、護衛を介さない距離。

 周囲は緊張していたが、孫九郎はリラックスして頷いた。

「……よい」

 声を張ってひと言。そして、その逞しい肩に手を置き、いくらか声を低くして囁く。

「まだ、何も起こっておらぬ」

 強調した「まだ」の部分で、左馬之助殿の肩の筋肉がぐっと張った。

 しばらくして力が抜けて、ほっと息を吐く音が聞こえる。

 孫九郎は顔を上げ、部屋を振り返った。

 大勢の視線がこちらに向いていて、さながら物理的に突き刺さるようだ。

 中でも、北条衆の視線が不穏だった。

 納得していないのが丸わかりだ。

 ここまでわかりやすいと、逆に対処しやすい。 

「勘助」

 相変わらず面白くなさそうな顔をしている勘助と視線が合う。

「あとは任せる」

 おそらく、もっと大規模な造反を期待していたに違いない男は、面倒そうに「はい」と返してきた。


 ようやく元の居室に戻ってきたときには、おそらくもう明け方近かった。

 さすがに眠くて、あくびまじりに寝床へもぐりこむ。

「夜着を」

 夜番たちがなにやら言ってくるのをおざなりに追い払い、天井を見上げて首元まで掛布の小袖を引き上げる。

「弥太郎」

 宿直が距離をあけるまで待って、呼ぶ。

 返事はなかったが、カタリと天井裏で音がした。

「誰が焚きつけたか調べよ」

 再び小さな音が返ってきた。

 孫九郎は暗い天井をしばらく眺めてから、目を閉じた。

 眠いし、すぐに睡魔が迎えに来てくれそうではあったが、頭の中は先ほどの出来事について思いを巡らせていた。

 北条衆が反発するのは、降伏した後にペナルティを課さなかったからだ。

 今川家の家風として、新しく家臣になった者たちへの公平さがあるが、それも場合によってだな……と、方針の転換を考える。

 領地が広がれば仕事が増える。それは自明の理だ。新しく召し抱える家臣がいなければ、やっていけない。

 だが、すべての場所で警戒が必要となれば、それこそ手が回らなくなる。

 ふっと脳裏に、三河風魔衆を率いる男の顔が浮かんだ。

 あの時、三河に領地を与えたのは思い付きだったが、結果は悪くなかった。

 うつらうつらしながら、反抗的な者たちを移封することについて考える。

 たとえば甲斐者を相模に、相模の北条衆を甲斐に送るとか?

 簡単にいく話ではないし、むしろ荒唐無稽に近い思い付きだったが、そんなことをあれこれ考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

信長や秀吉が強かったのは、兵農分離をして常備軍を置いたことと、土地に根付いた国人領主の力を削ぎ、自らの直接支配体制を確立したことによります

孫九郎は無意識にそれをやろうとしています

強硬にではなく、反抗的な場合のみという形から

家康のように、遠方で勝手に強くなられるのは困りますけどね

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― 新着の感想 ―
遠方の縁もゆかりも無い地に褒美だと言われて放り込まれて力を発揮し続けた秀吉、何も無いマイナスの地で腐らず無限ファーム出来た家康 ふと後者の内部統制のしんどさというか、甘言を漏らさず律儀者で通した強かさ…
そうなのです。戦国時代に国を平和に治めるためには武力だけでは無いですよね。コメントしていただいた様に相手の力を削ぐ政策が史実でも行われて時代が動いていったと思います。孫九郎さんの国づくりの手腕はいかが…
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