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夏颯記  作者:


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5-5 相模 小田原城5

 孫九郎が左馬之助殿を引き連れていくと、勘助はちらりとこちらを見てから、あっちへ行けと言う風に手を振った。

 ……いや違うな、ちょっと待っていろか?

 孫九郎にとってはいつものこと、側近たちにとっては不満もあるが慣れた対応だ。だが、その場にいたおおよそ半数の者たちには衝撃的だったようだ。

 ぎょっとしたように孫九郎を見て、もう一度勘助を見る。

 その目が、驚愕から不審に、やがて懐疑に至ったのは当然の成り行きだと思う。

 孫九郎はあえてそれに気づかないふりをした。

 影武者だとでも勘繰られたに違いないが、それはそれで構わない。

「勘助」

 数秒、部屋に入ってすぐのところで足を止め、状況を確認してから声を掛ける。

「待ってください」

 勘助はおざなりにそう言って、手元の冊子に顔を近づけている。

 日が陰ってきて室内は薄暗い。片方しかない目を悪くしたらどうするんだ。

「ろうそくを」

 孫九郎がそう言うと、同じ部屋にいる北条衆を凝視していた者たちが、はっとしたようにこちらを見た。

彼らは勘助の護衛であり、介助人であり、側近だ。

 ろうそくの明かりに目をしばたかせた勘助が、ようやく孫九郎のほうを向く。

「通夜ではなかったのですか」

「休憩中だ。話がある」

 勘助の態度が横柄に見えるのは、もともとの態度もなくはないが、片脚がないからでもある。

 故に孫九郎は気にしないし、側付きたちも文句は言わない。

 だが、何も知らない者たちの目には、違ったものに映るだろう。

「こちらの話はあらかた済みました。堀を深くし、土塁を高く積みます。韮山よりも堅固な城にしてみせます」

 勘助はまったく気にせず、孫九郎に向き直った。

 わざとやっていると言うよりも、相手を毛ほどにも気にとめていないようだ。

「仕事が早いな」

「敵に攻め込まれてはかないませぬ。急務です」

 急務というよりも、承菊に負けていられないと考えたのだろう。

 こいつも承菊も、築城について造詣が深い。いや造詣が深いというよりも、クリエイティブな興味が向くのだと思う。

「ここは左馬之助殿に任せるべきだろう」

「ご冗談を」

 勘助は唇をへの字に曲げた。

「御屋形様が銭を出すのですから、御屋形様の仕切りであるべきです」

 いや、孫九郎の仕切りではなくお前の仕切りだろう。

 そう言ってやりたい気持ちを押さえ、おとなしく「そうか」と返す。

 殊勝な顔でこの様子を聞いている北条衆は、中堅どころ以下の者たちだ。通夜に出ている重臣らではなく、もっと下の。

 勘助はやはりわかっているのだろう。

 風聞を広く早く広めるためには、こいつらぐらいにネタを落とすのが一番いい。

 この部屋をでた彼らは、いち早く周囲にこの話をするだろう。一目散に重臣に進言する者もいるはずだ。

「……面白いことを考えるな」

「魚を釣るには、相応の仕掛けが必要なのです」

 臆面もなくよく言う。

 孫九郎は、ひそかに喉の奥で笑った。

「まあよい。軍議だ軍議」

 勘助はちらりと左馬之助殿を見上げ、その周囲も見た。やたらと目つきが悪い。

「それは承菊殿が戻られてからのほうがよいのでは」

 孫九郎は無言で、扇子を口元に当てた。

 勘助はピクリとも表情を変えず、我儘を言われたと言わんばかりの態度で首を振る。

「わかりました。少々お待ちを。こちらの仕事を済ませてから……」

「急ぎだ」

 楽しそうに蜘蛛の巣を張り巡らせようとしている勘助に、釘を刺す。

 優先順位を間違えるなと。

 勘助は孫九郎をもう一度見て、ため息をついた。

 芸が細かいな! ……いや本気だったりして。


「新井城ですか」

 人払いをした部屋で、勘助が首を傾ける。

 むっと唇をすぼめ、何かを考えていたが、やがて手元にあった冊子をかき分け、そのうちのひとつを取る。

「残った北条衆には小田原城の普請を頼もうと思い、国人たちのことを調べておりました。三浦ではなく、新井という名ならあります」

 それを聞いて、左馬之助殿が大きく頷く。

「三浦一門は、十五年ほど前に父が討ち滅ぼし、分家や末端は家臣として召し抱えたのだ」

「なるほど」

 勘助は納得がいったという風にそう言って、孫九郎に冊子を差し出した。

 どうやら、年貢収支の関係書類のようだ。

「小田原が落ちたと聞いて、いかにも蜂起しそうな家門ですな」

 孫九郎もその冊子に目を通し、パラパラとめくる。

 見たところかなり強い支配だったようで、国人領主という扱いではなく、ほぼ直轄領だ。

 蜂起するだけの余力はない。勘助の言外の判断に、孫九郎も同意する。

「忍びを走らせた。明日中には状況がわかるだろう」

「……長綱殿でしょうな」

「やはりそうか」

 簡単には退いてくれないだろう。そう思ってはいた。

 承菊が対峙している援軍たちも、三浦蜂起の情報も、北条家が落ち延び再起をはかるために必要なのだろう。

「北条家がどこの勢力を頼みにするか。これでおおよそわかってきました」

「鎌倉じゃないのか?」

 勘助の義足が、ゴツンと床を鳴らした。

 違うのか。だとすればもっと東か。

 ふと頭をよぎったのは、江戸。

 いや、北条はずっと江戸城を攻めあぐねていた。江戸は北条の勢力下ではない。だが……。

「……援軍」

 孫九郎の口から、ポロリとこぼれた言葉は無意識だ。

 だが、勘助が渋い表情のまま頷いた。

 承菊が対峙している援軍は、今川軍に対抗するために駆けつけてきたのだと思っていた。

 いや、古河公方や山内上杉はそのつもりだっただろう。

 だが、その軍勢を見た江戸勢はどう思う?

 もちろん、必ずしも援軍が江戸を経由したとは言い切れない。だがあの長綱殿だぞ? 攻めあぐねていた江戸を、大軍で囲むふりぐらいするのではないか?

 ああ、わかった。江戸攻めをしている北条軍と援軍とを、多摩川近辺で合流させたのかもしれない。そうすれば自然に、圧倒的兵数で江戸城を囲むことができる。

 孫九郎は勘助と目を見交わし、互いの認識が同じ着地点にあることを確認した。

「……転んでもただでは起きぬ男だな」

 思わずそう呟いた孫九郎に、左馬之助殿はついてこれない様子で首を傾げる。

「つまりどういうことだ?」

「我らの目を三浦に向けさせ、江戸城まで逃げ切るつもりだということです」

「……江戸? いやだが江戸城はまだ」

 よくわからないと困惑の表情をする左馬之助殿に、どう説明するべきだろう。

 あくまでもまだ、これは推測に過ぎないのだ。

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― 新着の感想 ―
今川家を裏で動かしているのは勘助と勘違いさせることによって 暗殺者、あるいは北条からの内応の誘いをおびき出してる →蜘蛛の巣を張り巡らせる →魚を釣るには、相応の仕掛けが必要 江戸城は援軍のおかげで…
「今川の殿は家臣に舐められていて傀儡に過ぎない」と流したいのでは? 長綱にはバレてるから、騙したい相手はそれ以外として、何を企んでいるやら
うーん、なるほど 三浦半島にちょっと目を向けさせておいて、 その隙に落ちた相模の代わりになる場所を攻め落とすつもりなのか ……いやでも、気付いちゃったら、ねえ? 策ならずに逆に大ピンチになるんじゃな…
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