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夏颯記  作者:


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3/13

1-3 駿河 賎機城2

 孫九郎が近づくと、白桜丸がブルリと鼻を鳴らした。

 美しいたてがみに映えるはっきりとした色合いの組紐が、風に揺れている。

 こいつを見るたびに、踏み台がないと乗れなかった頃を思い出す。

 今でも、乗る前に撫でなければ不満そうにされるが、さすがに台は不要になった。

「待たせたな」

 そう声を掛けてポンポンと首筋をさすると、ふんふんと荒い鼻息が頬に当たる。

 相変わらず気性は荒めだが、孫九郎の指示には忠実に従ってくれる。可愛い奴だ。

 轡を握っていたのは逢坂家の少年だ。まだ若く、この一族にしては背が高い。

 緊張気味の表情なのは、孫九郎と初対面だからだろう。孫九郎目線そう感じないのは、強い血族色を感じる顔立ちのせいだ。

「御屋形様」

 白桜丸の耳がぴくぴくと動いた。せかせかと男が近づいてきたからだ。

 気性の荒さを知っているから、尻側からではなく視界に入る位置から近づく。この馬には必須の気遣いだ。

「申し訳ございませぬ。しばらくお待ちいただけますか」

 すでにあぶみに足を掛けようとしていたのだが、護衛の統括をしている谷の表情を見て黙って足を下ろした。

 身体は成長してきたが、武士としての資質は熟練者に劣る。そういう自覚があるので、プロの指示には素直に従うことにしている。

 小柄な谷の背後から、同じ装束を見にまとった馬周り衆が整然と現れ、孫九郎の周囲を固めた。

 彼らの目が外側に向いているのは、用心するべき何者かがいるのだろう。

 かつてはそういうことを大げさだと思っていたが、最近は考えを改めている。

 それほどしょっちゅう、招かれざる客がくるからだ。

 刺客の場合も多いが、それはまだ可愛いもの。それよりも厄介なのは……

「治部大輔様!」

 にこにこと、無害をアピールしながら近寄ってくる男。……名前は何だったかな。

 ここで気づかなかったふりをして馬に乗ればいいのだ。そう思いはするが、常識が邪魔をする。

「このようなところでお目にかかるとは、偶然にございますな!」

 わざとらしい笑顔だ。

 ああ、思い出した。武田太郎殿に頻繁に会いに来る男だ。

 名前が出てこないのは、当の太郎殿が「会いたくない」と拒絶しているからで、まだ問題が多い甲斐衆の「良くない」ほうの一派だと記憶している。

 わらわらと、その背後から旅装の武士たちが現れる。孫九郎の護衛の数よりも多い。それに体格が良い連中かりで、長物の武器を持っている事にもわざとらしさを感じる。

 間違いなく挑発行為だが、そう指摘しても無意味だ。

 小心者だとか、器量が小さいとか、そんな陰口を叩かれるのはわかり切っている。

 こいつらがこんな無礼な真似をできるのには理由があって、甲斐武田家の本家筋が、今川家の一門衆の派閥に組み込まれたせいだ。

 それは本来、孫九郎が意図した融合政策の一環ではあるが、正直失敗だったかもしれないと思っている。

 そもそも、孫九郎と今川一門衆の多くが、感情的に近くはないのだ。

 ちなみに一門衆には、先代の庶子が養子に入った家を含む。

 多くはないし、たいして勢力もないから好きにさせているが、最近目に余ることが増えてきた。

「何用か」

 問うたのは、三浦藤次郎。最近今川館で、渋沢と人気を二分する優男だ。

 その明らかな塩対応に、相手はムッとした表情を隠さず、鋭い目つきで藤次郎を睨んだ。

 甲斐衆はまとまりがないが、気性の荒さは共通していて、扱いにくいことこの上ない。

 はやく太郎殿に成長してもらって、しっかり手綱を握ってほしいものだ。

「先触れもなく会いに来るなど、非礼であろう」

 そんなんだから、本来の主君である太郎殿に避けられるんだよ。

 空気が読めなくともわかる副音声に、男はたちまち顔を赤黒くしたが、ここで事を荒立てるのはまずいという自覚はあるのだろう、わざとらしく咳ばらいをしている。

「い、いや偶然近くを通りかかりまして」

 苦しい言い訳だ。

 ここは賎機山城。駿府の町から徒歩圏内ではあるが、偶然通りかかるような場所ではない。

 孫九郎を怖がらせようとしたのか? 威嚇しようとしたのか? 

 何をしたいかよくわからないが、こちらの護衛よりも数を集めたのは意図的だろう。

「最近、よからぬ噂を聞きました」

 ほうほう、噂か。

「桃源院様がご隠棲する庵に、甲斐武士が出入りしていると」

 藤次郎の声は平坦で、むしろ穏やかと言ってもいいのに、うっすらと笑う表情は冷たかった。

「そっ、それは」

 露骨に動揺した男をちらりと横目で見て、孫九郎は小さく首を振った。たとえ図星だったにせよ、顔に出すのは下手だ。明らかに謀には向いていない。

 わざわざ藤次郎が指摘したのは釘を刺すためだろうが、その必要もなさそうだった。

「やりたいようにやらせてやれ」

 孫九郎は、少し離れた位置にいる男たちに聞こえるように声を張った。

「桃源院様も気が紛れて丁度よいだろう」

 だがわかっているのだろうか。行動には責任が伴う。問題が起こったら、それを背負うのは甲斐衆全体だ。

 今の甲斐は、今川家の支配も緩やかなものだが、今後もそうだとは限らない。

 孫九郎は、構わず白桜丸のあぶみに足を掛けた。

「お、お待ちくだされ!」

 話をする価値無しと態度で示したのに、それをわかっていても食いついてくる。

 甲斐衆のそのガッツを不作法ととるか、熱心ととるかは個々の受け取り方次第だろう。

 少なくとも孫九郎はうんざりしていた。これ以上時間を割く気はない。

 引きも切らずやってくるこの手の奴らが言いたいことは、「自分たちをもっと重用しろ」「権力を寄越せ」。そのどちらかに尽きる。

 桃源院様関係の厄介なところは、先代の庶子、最年長だと三十歳を越える連中が、今更血の正当性を掲げて世に出てようとしていることだ。

 だが、それらの相手はしないことにしている。

 今川家が攻め込まれ、苦しい状況にあるときには黙っていて、今更何を言っているのか。

 来るなら堂々と、正当な手段でくればいい。

 刺客を送ってくるなどの手段をとるのであれば、こちらも相応の態度で応じるだけだ。

「伊田」

 ようやく思い出した名を呼ぶと、甲斐衆の男はギクリと身をこわばらせた。

「山内上杉と組むのはやめておけ」

「……えっ」

 孫九郎が馬上から掛けた言葉は、伊田の表情を困惑に染めた。

 なんだ違うのか、とは思わない。

 最近武田家がそちらとつながりつつあるのはわかっている。

 伊田が知らないのは下っ端だからか。あるいは、対孫九郎役なだけかもしれない。

「次はない」

 言い置いて、馬の腹を蹴った。

 引き留める声はなかった。

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― 新着の感想 ―
甲斐武田の太郎殿は信玄なのかなぁ?そろそろ、そこら辺もわかってくるのかな?太郎殿は孫九郎にどうしたい?と聞かれて「強くしたい」と応えたよね?真田家や徳川家の若い世代を保護して育てているよね。どうなって…
待ってました!!
相変わらず甲斐衆は癖が強い。 今川の先代が統治を諦めたのも納得の面倒くささがいい味を出しています。 その甲斐衆をあしらい颯爽と白桜丸で駆けていく孫九郎、成長が著しいですね。
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