3-8 駿東 興国寺城2
風呂好き孫九郎の為に、気遣いの男、棚田は風呂の用意をしてくれていた。
湯は沸かしてもすぐに冷めるものだが、むしろ少し温度が高いぐらいの湯加減で、ひと風呂浴びた後は眠気も吹き飛び気分も良くなった。
だが、そんなウキウキ気分は、部屋に戻った瞬間に霧散した。
「ご機嫌ですな」
この男の顔を見れば、一気に湯冷めするのも仕方がない。
「まったく、人使いが荒い」
孫九郎は垂らした髪にさっと指をくぐらせ、後ろに流した。
「……なんだ、使われたくなかったのか?」
勘助はフンと鼻を鳴らして、投げ出していた足の位置をゴトリと変えた。
四肢の欠損や傷跡があることなど、この時代では珍しくもないが、たいていの場合はこれほどの負傷をしたら武士を引退することが多い。
だが勘助は、その首から上の有用性を、周囲にも自身にも証明し続けた。
孫九郎が言う「使う」は、それをきちんと評価してこれからも役立てるということだ。
こう見えて、この男はまだ若い。四十に届かない年のはずだが、顔にある傷跡と身体が不自由なことで、五十を越えているようにも見える。
若くして身体が不自由になり、悔しさもやりきれなさもあるだろうに、人目に付かないところで才覚を研ぐのを忘れなかった。
孫九郎は勘助の、そんな努力を買っている。……口に出しては言わないけれども。
「清水湊の掃除は済みました」
「誤解を招きそうなことを言うな」
孫九郎は部屋に入ろうとして足を止め、ちらりと庭先を振り返った。そこかしこから視線を感じる。中には間者も交じっているのかもしれないが、多くが興国寺城の者たちの好奇心だと思う。
特に勘助は人目を引く外見をしているので、ここまで来るにも目立っただろう。
この状態で、外聞を憚るように部屋に引きこもれば、何か密談をしていると興味を引かれるに違いなかった。
……いや、密談で間違いないのだ。勘助が孫九郎に囁くのは、たいていろくでもない策が多い。
だが、秘密は隠すから余計特別な秘密だと思われてしまう。
「甘味でも食うか?」
先ほど藤次郎の弟の平助が、差し入れの甘味が来たと喜んでいた。
棚田らしい気遣いだ。
そろそろ毒見も済んでいるだろうから、意外と甘党なこの男と食べるのも悪くない。
勘助は、足だけでなく手もうまく使えないので、宴席にも基本参加することはない。
だが甘味程度なら、作法や不格好さなど気にせず食べることが出来るだろう。
運ばれてきたのは、笹に包まれた白い団子だ。小豆を粗く潰した餅も添えられている。
食べにくいかもとちらりと思ったが、勘助は気にせず片手で笹ごと団子を持ち、そのまま口に運んだ。
ほんのわずかに眉間のしわが緩んだから、美味かったらしい。
孫九郎は黒文字で団子を半分にして、餡を少しのせた。
作法云々というよりも、一口で食べるには大きすぎるからだ。
口に入れる前は、笹の青い匂いが強かったが、潰し小豆と甘葛の香りもしっかりあった。
ああ、これは美味い。
「……それで?」
食べ終えてから、雑談の延長のような雰囲気のまま尋ねる。
勘助は、もう少し食べたそうなそぶりで笹を見ながら唸った。
「首尾は上々」
言い方!
甘味というワンクッションを置いても、ろくでもない陰謀を企んでいるようにしか見えない。
「御屋形様の出番です」
「まあ待て」
隻眼を輝かせて前のめりになった男を見返して、孫九郎は濡れ髪を後ろに流したま首を傾けた。
「吉原宿で仕掛けられた話は聞いたな」
「はい」
「北条ではないだろう」
「……御屋形様を殺すことが目的でないなら、相手は絞れますな」
「詳しいことがわかるまで動かぬ方がよいのではないか」
複数の敵がいるのはいつもの事だが、それが同時というのが気になる。
対処できないというわけではない。だが、「できる」と過信するのは油断と同じだと思う。
勘助はひょいと肩をすくめた。この男がやると非常に感じが悪い仕草だ。
「間を置けば、せっかくの仕掛けが台無しになりますぞ」
仕掛けか。
「陰謀を企んでいそう」ではなく、「陰謀を企むのが大好き」な男は、どうやら孫九郎の意見には反対のようだった。
「餌に食いついているうちに引き上げるが吉」
「釣りじゃないぞ」
「御屋形様はこちらの釣りはお上手ですから」
……だから言い方!
孫九郎は勘助の傷だらけの悪相から視線を外し、顔をしかめた。
これではまるで、実際の釣りが下手みたいじゃないか!
その軍勢に旗指物はなく、騎馬に飾りもなく、具足もシンプルで地味なものだった。
渋沢隊ほど黒づくめではなくとも、夜に溶けこむ程度には地味仕様。
そんな者たちが、闇に紛れて興国寺城に入ってくる。
そこだけ聞くとひどく不穏だが、正体は田所家だ。任せた仕事をさっくりと終え、せっかちな勘助でさえ大満足のスピード感で戻ってきたのだ。
「……よう戻った」
孫九郎が出迎えてそう言うと、男たちは見事に統制が取れた動きでその場で片膝をついた。
「一刻ほどで片し終えるとは、急襲に慣れておりますな」
勘助の目が、楽しそうにきらめいた。使い勝手のいい強駒を見つけたような表情だ。
田所は、駿河にいる不穏勢力を一掃してきた。正確には蜂起していたわけではなく、そういうそぶりを見せただけだが、もう二度と首を持ちあげる気にはならないだろう。
孫九郎が望むのは、彼らの家門の断絶ではなく、こちらに刃を向けないことだ。
その為の力の行使として、田所家はしっかり役割を果たしてくれた。
お雪も助け出された。口封じされていなかったのは、身籠っていたからだ。
今は安全な場所で静養しているが、かなり弱っているとか。
無事生まれたら、小原はお雪の子供に継がせる方針でいいな。後見を誰にするか。
ちらりと勘助に目を向ける。
夜にろうそく灯りのもとで見ると、悪夢がそのまま具現化したかのような凶悪な面相。
こいつには、血なまぐさいことだけではない苦労が必要かもしれない。
赤子に変な影響を与えないか心配だが、そのあたりはお雪がなんとかするだろう。
……どちらも嫌がりそうだけど。




