08.
騎士団長にてずから送られ、ニナは萎縮する。
裏門までの道中、気さくに世間話を振られるがどれもあいまいに頷くしかできなかった。こないだ食べたどこそこの店が旨かっただとか、立場上苦手な書類仕事があって大変だとか、リザンドロ自身の身の上話がほとんどで相槌を打ちやすくはあった。フィリベルトとの関係について根掘り葉掘り訊いてくるようなことはない。婚約に至った経緯を知っているからだろう。
フィリベルトから叱られていた場に乱入したことや、今わずかな道のりを歓談で和ませているのも、ニナを気まずいまま帰さないようにとの気遣いだろう。彼の親切にニナも気付いており、おかげで気がまぎれた。一人だったら、きっと反省会をしながら気落ちしたままだっただろう。
裏門に着き、彼へ笑みを添えて礼を述べる。
「送ってくださり、ありがとうございました」
「またいつでも遊びにおいで、お嬢ちゃん」
名乗った名でなかった。
「はい」
ニナは笑顔を作る必要性がないと知る。
そうだ、この人は知っているのだ。自分の右腕にとって、自分がどうでもいい相手だと。替えが利く、誰でもいい存在。だから、名前を覚えるに値しないのか。
笑みの失せたニナに、リザンドロはわずかに瞠目した。
それから踵を返して、ニナは門番と笑みを交わしながら退出時刻を確認してもらい、門の向こうへ去っていった。
その背が消えるのを見送ってから、リザンドロは副団長の執務室へ向かう。ノックなくドアを開けると、フィリベルトは書類と向き合い、次々と処理をしていた。
「悪ぃ、まずったかも」
「何がだ」
リザンドロが無遠慮に入室してくるのはいつものことなので、フィリベルトは書類から視線を動かすことなく、声だけで対応した。下手を打ったというが、何に対しての謝罪なのか。
「いやぁ、俺までお嬢ちゃんを名前で呼んだら、お前が面白くない顔しそうだと思ってさぁ」
だから、フィリベルトの許諾なく名前で呼ぶのを避けた。しかし、それがかえって彼女に見限られる要因を作ってしまったようだ。
「呼称ひとつにそこまで気を回す必要があるのか?」
なぜ自分からの許可が必要だと思っているのか不思議で、フィリベルトはさすがにリザンドロの方を見遣った。ずいぶん情けない顔をしていたと思ったら、信じられないものをみる目へと変わる。
嘘だろ。あのとき、どういう顔してたのか解ってないのか。カルロが、彼の婚約者の名を口にしたときの表情に自覚がないらしい。リザンドロが気遣ってやったというのに、無自覚とは。
「とりあえず、次お嬢ちゃんに会ったら、単にお前が妬かないよう気ぃつかっただけだって謝っておいてくれ」
「すぐに気付いたなら、その場で謝罪すればよかっただろう」
「こーゆーのはお前からの方がいいんだよ」
即座に謝ったとて、言いつくろっているだけだと受け止められかねない。だから、リザンドロは言伝を頼むことにした。婚約者同士で話した方が、齟齬のすり合わせができていいだろう。
業務交渉においては自分の方が得意だが、人付き合いに関してはリザンドロの方が長けているので、フィリベルトは一応の納得をして、言付かる。
与えた誤解が解ける算段がついて、リザンドロは小腹が空いた。さきほどの籠をみつけて、蓋を開けて手を差し入れた。だが、中身をとるはずだった手は空を切る。
書類に視線が戻っているフィリベルトをみる。
「お前、全部食べたのか」
「そこまで甘くなかったし、大した量もなかったからな」
「へーぇ、ほーぉ、ふぅーん」
それはつまり、婚約者の彼女が甘いものが苦手なフィリベルトに合わせて作ったということで、普段なら多くて二口分程度で済ませる菓子をフィリベルトが何個も食べたということだ。
「……何だ」
「別にぃー」
妙に癇に障る笑みだとフィリベルトは感じる。だが、リザンドロは訊いても説明する気はないらしい。
用も済んだなら居座るなと、業務に戻るように促すと、やる気の薄い返事をしてリザンドロは自身の執務室へと戻っていった。覇気なく気さくさの克つ親しみやすい騎士団長だが、あれでやるときは真面目にやるし、集中しだしたら書類処理速度はフィリベルトと同等なのだ。
賑やかし要員が去って、フィリベルトはひとごこちつく。ふと空となった籠を一瞥し、書類処理を再開するのだった。






