07.
翌週の火曜日、ニナは王宮へ赴いていた。
正確には王宮敷地内にある騎士団の騎士館を訪ねてのことだ。一番外側の城壁にある裏門は二つあり、荷車なども通過できる搬入用の大きな門と王宮敷地内勤務者の通勤用の人がすれ違える幅の門だ。搬入用には二人、通勤用には一人、それぞれに門番が常駐していた。
ニナは通勤用の門番に挨拶し、出入帳に記名する。勤務者は部署ごとに紋付の制服やバッジなどを見える場所へつける決まりとなっている。そのため、勤務者の縁者であっても部外者は記名が必要なのだ。
門番との通過儀礼は慣れたもので、門番もにこやかに通してくれた。副団長の執務室へ直接向かわず、道中にある訓練場へニナは立ち寄る。訓練場の端の木々に木陰ができており、ちょうどそこで涼んでいる団員がいた。
「カルロさん」
目的の人物をみつけて、ニナは声をかける。
「あれ? ニナさん、こんちわ」
「こんにちは」
「なんか久しぶりっすね」
毎週顔を合わせていた相手だったので、カルロは開いているのかわからない糸目を和らげつつも、小首を傾げた。一週間寝込んで数日療養していたのだから、ニナも彼と会うのは半月ぶりだ。詳しい理由はいわず、ちょっと色々あってとニナは苦笑を返す。
「それで、今日も毒味をお願いしてもいいでしょうか?」
手にしていた籠を多少持ち上げて、おそるおそる訊ねると、カルロは気前よく笑った。
「いいっすよ。前から思ってたんすが、食えるモンの味みるのも毒味になるもん?」
「カルロさん以外の方が胃腸を悪くする可能性があるなら、毒味ですっ」
実はニナはフィリベルトと婚約してからというもの、毎週火曜日に騎士団へ訪ねている。目的はフィリベルトへの差し入れだ。初めてデートした翌週、次のデートまでに婚約者に会いたくなって、差し入れを口実にしようとしたのだ。
しかし、いまだ差し入れするに至っていない。せっかくなら手作りしようとしたのがいけなかった。
それまでお菓子作りなどしたことがなかったニナは、カップケーキを二度焦がし、三度目の正直でキツネ色にした。よい焼き色になったことに喜んで意気揚々とここまで訪れたはいいが、味見をしていなかったことを思い出し、一口かじり生焼け具合に呻いていたところでカルロに出会った。
とても婚約者に渡せないと、ニナが嘆いていたら、捨てるぐらいなら自分にくれ、とカルロが生焼けのカップケーキをぜんぶ平らげたのだ。
食べきったカルロを心配するも、彼は鉄の胃袋の持ち主だった。草でも虫でも食用の範囲になるものはなんでも食べるので、騎士団で一番戦場での生存率が高い男といわれている。
カルロは正直な男で、どう美味しくないのかやどういう点を失敗したのか感想を述べてくれる。反省点が明確になり、次回の改善に活かせるとニナは出会ったばかりの彼に今後の毒味協力を依頼した。食料が得られるならなんでもいいカルロはそれを了承して現在に至る。
カルロからの合格を得てはじめて、フィリベルトへ差し入れようと決意したニナは、毎度絶妙に失敗するものだから、いつもならここでUターンになるのだ。
「今回はマドレーヌだ。キレイな焼き色っすね」
「焼き色は、ね……」
ニナが作る菓子は、見た目だけはまともなのだ。焦がしたかどうかぐらいは彼女自身で判断できるから、というのもある。
カルロは一口で一個食べ、もぐもぐと咀嚼する。ニナは、彼が嚥下しきるまでを固唾をのんで見守った。
「ど……どうでしょう?」
「うまいっす」
もう一個いいか、と籠に手を伸ばそうとするカルロの手首を掴み、止める。ニナはそれより先に確認しなければならない。
「ほんと、ですか……!?」
「普通にうまかったっすよ。砂糖でジャリジャリもしてなかったし、ダマになって粉っぽいところもなかったし、生地が生ってることもなかったっす」
食べられなくはないが、絶妙に美味しくなかったこれまでの失敗例をあげ、いずれにも該当がなかったとカルロは述べた。彼から失敗していないという保証を得て、ニナの脳内に祝福の鐘が鳴り響いた。
「やったぁっ、ありがとうございます!」
お礼をいいながら、ニナは要求されたおかわり分を渡す。なんでも食べられるカルロだが、口にするなら美味な方がいいので喜んで二口目を咀嚼した。
籠をさげ、ニナは立ち上がる。
「これでフィリベルト様に持って、いって……」
それでいつもの微笑みで対応されるのだろう。婚約者の反応が容易に予想がついてしまう。
「あんま嬉しそうじゃないっすね。副団長ってニナさんにも厳しいんすか?」
踏みとどまる彼女に、カルロは怪訝に問う。団員にとっては規律に厳しい副団長だ。団長のリザンドロが大らかなので、飴と鞭のうち副団長のフィリベルトが鞭の役割を担うことが多い。理由なく厳しい訳ではないが、将来を約束した相手でもその厳格さが発揮されているのだろうか。
「いえ、優しいですよ。きっと笑顔で受け取ってくれると思います」
おだやかな彼の微笑み。その表層の笑みで迎えられるぐらいなら、記憶を失くしていた頃の笑っていない正直な表情の方がいいな、と思ってしまった。
「ニナ嬢……?」
静かだかよく通る低めの声。耳に馴染んだ声に、ニナは即座に振り向いた。
「フィリベルト様っ、この時間は執務室にいらっしゃるんじゃ!?」
「そうだが、速達でだす手紙があって……、というかなぜそれを知って? それに、どうしてここに」
郵送手配する部署からの戻りに、見覚えのある、だがこの場にいるはずのない婚約者の姿に、フィリベルトは困惑した。
やっぱり帰ろうかと悩んでいた矢先にみつかったものだから、ニナも狼狽する。
「あの、えぇっと……」
「ニナさんは、副団長に差し入れを持ってきたんですよ。ね?」
しどろもどろなニナに代わって、カルロが訪問理由を明かす。フィリベルトは糸目の団員へ視線を移す。彼女が一人ではなく、隣に彼がいたのも不可解だった。
「ほら、せっかく成功したんすから」
「そうですね。あの、このマドレーヌ、わたしにしては上手くできて、よろしければ」
「ああ。ありがとう」
ニナから菓子入りの籠を受け取りながら、彼女と団員を見比べる。やりとりで親しい様子は窺えた。
「毎週差し入れにきてて、やっとっすね」
「毎週?」
フィリベルトが差し入れを受け取ったのは、今日がはじめてだ。情報の不一致に違和感を覚える。
ニナは気まずげに、事情を告白した。
「すみません。わたし、お菓子作り下手で……、カルロさんに毒味いただいてたんです」
「全然食えたんで、毒じゃないっすけどね」
毒物と疑うほどの不味さではなかったと、カルロは念のため補足した。ただ、彼の親切でのフォローは藪蛇をつついてしまう。
「では、これまで私と会わずに、毎週カルロに会っていたと」
事実確認をして、フィリベルトは婚約者を見据えた。
「ニナ嬢」
「はい」
「婚約者である君が、軽率に他の男と二人でいるのは感心しない。しかも、私に会わずに騎士団に通っている事実は、風聞が悪い」
騎士団はほとんど男ばかりだ。婚約者が所属していることを口実に男漁りにきていると誤解されかねない。事情があったとはいえ、事実だけみれば婚約者以外の男に手作り菓子を渡した令嬢となる。
指摘されて、ニナもどう風聞が悪いのか察した。
「あ……」
「ボーヴィ伯爵家に嫁いでくる以上、節度を弁えてほしい」
「はい、申し訳ありません」
「次からは、まず私の許に訪ねるように」
厳重注意を受け、ニナはしゅんとしながら頷いた。本来の目的がフィリベルトへの差し入れであるので、まずも何もないのだが。今後はともかく、これまでに軽率な点があったのは確かなので、以後気を付けると約束を交わす。
婚約者には優しいときいていたのに、団員へ注意するときの雰囲気と変わらない副団長に、自分のせいかとカルロは立ち去るに立ち去れない。
申し訳なさげに、目的を達したニナの方が去る挨拶をする。
「あの、もし余るようなら団員の方にもどうぞ」
「おお、お嬢ちゃんありがとよ」
フィリベルトの肩に腕をのせ、自分が分け前をもらう気満々の感謝が返った。
「リザンドロ!」
一体いつからいたのかとフィリベルトが問うより先に、彼はニナの方へ歩み寄る。
「リザンドロ様、お久しぶりです。ちゃんとご挨拶しておりませんでして、ニナ・トッリと申し」
「堅苦しい挨拶はいいって。男だらけの騎士団で女の子一人じゃ危ないから、裏門まで送ろう」
「え。大丈夫で……」
「いいからいいから」
「お前がしなくとも、私が」
「お前まだ片付ける書類あるだろ、俺に任せとけって」
これまでも一人で問題なかったというのに、急な申し出にニナは戸惑うも、親切からの申し出を断りきれず押しきられる。それなら婚約者である自分がとフィリベルトが名乗りでても、それもリザンドロにかわされてしまった。
唐突に現れておきながら、リザンドロは颯爽とニナをつれ去ってしまった。あとには、圧倒されたフィリベルトと所在なさげなカルロがその場に残される。
騎士団長の彼にも処理すべき仕事があるはずだというのに。フィリベルトは苛立ち混じりの嘆息を零す。どうせいったところで、休憩のついでだといいくるめられるのだろう。
様子を窺うカルロの視線に気付き、上官であるフィリベルトから声をかける。
「ああ、もう訓練に戻っていいぞ」
去る機会を逃していると思いそう声をかけたが、カルロはその細い目をきょとんとさせた。
「え? オレには?」
「何がだ」
予想と違う反応に、カルロは珍しがる。副団長は厳しいが、常に喧嘩両成敗する公平さをもっている。騎士団内で諍いがあったときは、かならず両者の言い分をきき、そのうえでそれぞれの非に対してのみ叱るのだ。どちらかだけを責めるということはしない。
だから、てっきり自分にも婚約者がいるとわかっている令嬢に、親切でも二人になる状況で近付かないよう説教されるとばかり思っていた。
「副団長も、婚約者のことになると冷静になれないもんなんすね」
「私はいつも通りだが」
「だって、状況判断でニナさんだけ責めるなんてらしくないじゃないっすか。まぁ、他の男といたらそりゃ気ぃ悪いでしょ」
勝手に共感され、勝手に納得された。うんうんと頷くカルロに否と返したかったが、自身の行動を振り返ると通常通りではない点も見受けられた。それに、さきほどからニナさんという呼称が妙に耳につく。
少しばかりフィリベルトは思案する。
「私は嫉妬をしていたのか?」
「いや、なんでオレに聞くんすか」
真面目に問われても、カルロには答えようがない。感情の答えは他人からは得られないものだ。
その日、ニナへの対応におだやかな笑みがなかったと、フィリベルトはついぞ気付いていなかった。






