05.
騎士団での勤務を終え、帰宅したフィリベルトはまっすぐに前日までと同じように足を運ぶ。
向かった先の客室では、メイドたちが清掃をしていた。すでに婚約者のために用意したものたちはなくなり、その痕跡が消えていた。その光景をみて、入室前に足を止める。
もう帰ったんだったな。
朝見送ったというのに、つい身体が客室へ向いてしまった。一週間以上通っていたため、習慣化してしていたのだろう。フィリベルトはあらためて、婚約者が帰宅した事実を確認する。
不意にメイドたちの会話が耳に入る。
「ニナ様、帰れてよかったわね」
「本当に。毎晩、帰りたいと泣いていらしゃったものね」
ニナを思い、安堵し喜び合うメイドたち。しかし、その内容はフィリベルトには寝耳に水のものだった。
「彼女が泣いていたって!?」
思わずメイドに詰め寄ると、メイドたちは雑談していたのを咎められたと詫びる。
「申し訳ございません。私語をしてしまい……」
「それぐらいはいい。それより、彼女が毎晩泣いてたとは」
「は、はい、目覚められてから毎夜、帰りたいと泣き伏せられておりました」
「朝には笑顔をみせてくださるので、私どもに気遣ってくださっていたのだと思います」
何かあればすぐ応えられるよう、交代で控えていたメイドたちは、人知れず泣く婚約者に心を痛めていた。自分たちが控えていたとは気付いていないようだったので、せめて朝のフェイスケアを丁寧にして目のむくみなどが残らないようにした。だから、フィリベルトの前では常に顔色のよいニナだったのだ。
フィリベルトはこの半年、婚約者が悲しむところをみたことがない。観劇で感動の涙を流すことはあっても、何をするにも何を贈るにも喜んでいた。彼女が悲しむ姿が想像できない。
なのに、記憶がないときですら帰りたがっていたとは。
「どうして私に言わなかった」
なぜ報せなかったのかと問われ、メイドたちは互いに顔を見合わせ、小首を傾げる。
「フィリベルト様は体調しか伺われませんでしたので」
「ニナ様も、フィリベルト様にはご相談されているとばかり……」
婚約者には頼っているだろうとメイドたちは思っていた。毎晩二人きりで話していたのだ、きっとささいなことも彼は相談され把握しているから、自分たちへは体調のみの確認だと認識していた。
だが、フィリベルトの前でもニナは泣き言をいわなかった。困りごとがないか訊けば、みんなよくしてくれているから不自由していないと、むしろ感謝が返った。目覚めた時点で婚約者であることを伝えたのに、頼る相手とみなされなかったのだ。
頼られなかった事実に、フィリベルトは少なからずショックを受ける。騎士団副団長の立場上、部下や民など、困っている人間から常に頼られていた。その自分が、婚約者から相談されなかった。しかも、ひとりで泣かせていたのだ。
帰る場所がわからず帰郷の思いだけが募るのはどれだけ辛いのだろう。婚約者の隠していた涙の理由を考えると胸が痛む。記憶を失くした彼女に寄り添う努力をしたつもりでいたが、寄り添えていなかったのだ。
彼女の両親と交わした約束通り、目覚めてすぐに家に帰してやればよかったのか。そんなに帰りたがっていたのなら、記憶がなくとも自分をよく知る家族に囲まれれば安心できたことだろう。振り返り確実に対処を誤ったといえるのはそこだ。ただ、他にも見落としているような気がしてしまう。
自分は何をどこまで間違ってしまったのか。
ひとり自問自答するも、明確な答えがでず、腑に落ちない心地だけが残った。
トッリ男爵家には、回復が確認できたのでニナを帰宅させたことと、後日あらためて怪我を負わせた謝罪をする旨を出勤後に手紙に認め送っている。執事から返信の手紙が届いていると報告を受けたので、自身の書斎でさっそく確認した。
そこには、謝罪は不要だが世話になった礼をいいたいので、婚約者との逢瀬の前に少し話したい旨の記載があった。男爵家宛と、婚約者のニナ宛どちらの返信にも、訊ねるのはこれまで通り、自分の休日である木曜日でよいとのことだった。
木曜日は明後日だ。明日にでも詫びにいきたい心持ちであったフィリベルトは、もどかしさを抱えたまま一夜と水曜日を過ごした。
ようやく訪問日となり、フィリベルトがトッリ男爵邸を訪ねると、男爵夫妻が出迎えてくれた。
「やぁ、早めに来てもらって悪かったね」
「いえ、この度は私がついていながら、お嬢さんに怪我をさせてしまい申し訳なく……」
「いやいや、ニナからも聞いたけど、自分で階段踏み外したんだろう? 単に打ちどころが悪かっただけさ」
「ですが……」
「そうよ。娘がドジ踏んだだけなのに、お抱えのお医者様をすぐ呼んでくださっただけでなく、手厚い看護までしてくださったそうで感謝しかありません」
「僕たちのことを思って、元気になってから帰してくれたとニナから聞いたし、感謝しかないよ」
「それは当然のことです。念のため、しばらくはうちの医者を送らせていただきたいと」
「ありがとう。すっかり元気だけど、お言葉に甘えようか」
「ほんとピンピンしてるけど」
談笑するトッリ男爵夫妻には感謝されてしまい、フィリベルトは謝罪する隙を与えてもらえなかった。彼女自身が明かしていない様子なのに涙させた点について、自分から謝罪を切りだしてよいものか、迷う。
そうして話している間に、婚約者のニナがやってくる。
「フィリベルト様、いらっしゃいませ」
「あ、ああ」
「わぁ、今日のお花も綺麗! ありがとうございます」
贈り物がない日は、花束を手土産に訪ねるのがフィリベルトだった。道すがらにある花屋に寄って、店員に見繕ってもらった花束だ。自分をみつけた瞬間から喜色にあふれた表情で、笑顔で嬉しそうに花束を受け取るニナ。
あまりにもこれまで通りすぎて、フィリベルトは肩透かしを食らう。倒れる前と何ら変わりない彼女だ。
せめて本人には事実確認をしたかったが、ニナの笑顔をまえにうまく切り出せず、その日は彼女とお茶をして終わるのだった。






