18.
木曜日、てるてる坊主を作った甲斐あってか快晴だった。婚約者はいない。
フィリベルトは無事目的地へ到着しただろうかと、ニナは窓から晴れ渡った空を見上げる。雨天では足場も悪くなるので、晴れてよかった。天候も味方したのだからきっと無事着いただろう。それとも、数日かかる距離なので向こうでは悪天候だったりするのだろうか。火災も憂慮されていたので、むしろ目的地は雨天の方が好都合かもしれない。
見知らぬ地へあらゆる可能性が浮かび、ニナはかえって混乱した。思考の沼にはまり、てるてる坊主を作ってよかったのかすら怪しくなり始める。
そこへ、親友のエリデがトッリ男爵邸に訪ねてきた。婚約者の遠征を耳にし、ひとりだとロクなことを考えないだろうと見越しての来訪だった。まさしくその通りだったため、ニナは彼女に感謝し出迎えた。
庭園にでてお茶にする。ニナが贔屓にしている菓子店のマドレーヌが手土産だったので、それをお茶請けにした。好物を頬張るときは幸せそうな表情をする親友に、エリデは小さく笑った。好物ひとつで機嫌が回復するのが彼女の長所だ。
「エリデがきてくれてよかった」
「本命を持ってきたから?」
「ううん、エリデに聞いてほしかったの」
親友に話したいことがあったので、彼女がこなかったら、ニナの方から会いにいっていた。何だとエリデが聞く耳をもってくれたので、堪らずといったようにニナは話し出す。
「あのねっ、偶然居合わせただけだけど、フィリベルト様が副団長してるところをみれてね。切迫した状況で、そう思うのは不謹慎だったのかもしれないけど……かっこよかったの!」
きゃあとニナは染まった頬を両手で隠す。
冷静に、かつ迅速な判断をして指示をだすフィリベルトの様子を間近で拝めた。普段よりさらに表情を引き締めた横顔がとても凛々しかった。明らかに深刻な状況であったのであの場では到底口にできなかったが、内心は彼自身が赴くときいて安否の不安が半分、今目の前の彼の勤務態度に見惚れるのが半分だった。
騎士団の内情も含んでいてはいけないから、きいた内容は極力伏せ、そのうえで彼の采配の様子がいかに素敵だったかを熱弁しだすニナ。
これでこそニナだと、話半分にききながら紅茶を飲む。親友には悪いが、いかにかの婚約者の魅力を伝えられても興味はない。まぁ、魅力が解っては恋敵が増えるだけなので、恋人以外の男に興味のない自分が聞き役には適任ともいえる。ただ、ニナの場合そこまで穿った読みはなく、純粋に親友にきいてほしかっただけだろうが。
「あと、それとねっ」
「はいはい、何?」
熱弁して興奮冷めやらずといった様子なので、いいたがっている追加情報を促す。
「フィリベルト様がわたしの前だとあんまり笑わなくなったの!」
それは意気揚々と報告する事実ではないのではないか。エリデが片眉をあげたので、誤解させたと気付き、ニナは経緯を足す。
「フィリベルト様、婚約してからずっとわたしの前だと笑ってくれてたの。それがなんだかお客様扱いみたいで寂しくて……、でもね、婚約の理由をわたしが知ってるのを知って、そういうのがなくなって。気まずいだけかもだけど、フィリベルト様が笑いたいときに笑ってくれるのが嬉しいの」
それはエリデが彼に腹を立てていた要因のひとつだった。ニナに紹介される前から、夜会によっては婚約後につれ立つ二人をみかけた。婚約者へ向ける笑みがあからさまな愛想笑いでしかなく、みかける都度苛立ったものだ。
ニナから紹介を受け、直接挨拶したときは自分の嫌悪を隠さない態度ゆえに対外用の笑みでないのだと思っていたが、どうもそれだけではなかったらしい。
「びみょーすぎるわ」
親友の感想に、ニナは小さくショックを受ける。よかったと返してくれるとばかり思っていたのに。
外面でなくなっただけだ。微妙な点の改善とはいえ反対する要素を減らしつつあるのが気に食わないし、それだけの変化にはしゃぐニナも志が低すぎる。ニナからの期待値が低い男だという評価自体は揺らがない。
親友はもっと過大な期待をすればいいし、あの婚約者もそれに応えるべきだ。そう感じる自分の要求は人並みのはずだ。
「あの男を困らせるぐらいでいいのに」
目を据わらせるエリデに、ニナは苦笑する。
「ありふれた恋が叶うのが、わたしには奇跡だもん」
欲深くなるよう推奨してくれる親友の思いやりは嬉しい。けれど、ニナにはもともと望みの薄い恋だったのだ。
欲しいと願わずとも、素敵だと話題にした流行のものを定期的に彼から贈られた。スレア王朝時代のアンティークバレッタ、黎明の蝶がモチーフの指輪、ナドゥク国のカメオなど、高価なものがほとんどで物によっては入手困難だったものだ。それだけの時間と金と労力を割いてくれただけでも感謝している。流行り物に素敵だといった言葉に嘘はない。手に入ったら嬉しいものを好きな人から贈られたら、ニナは喜ぶ。贈り物には、義務感からだとしても自分のことを考えてくれた時間がこもっているから。
彼の傍らで想うことを許されている。嫌われないように努めているおかげか、やっぱり無理だと断られる様子は今のところない。おそらく婚姻後のことを視野に入れてか受け入れようとしてくれているようにも感じる。触れられる機会が増えたように思えるのは、きっとそのためだ。
このままいけば無事、彼の妻の座に就ける。充分ではないか。
親友の憂慮を払うため、ニナはぱっと表情を明るくする。
「でもね。最近いいことばかりなの。作ったお菓子は美味しいって言ってくれるし、偶然だけど花束は好きな色だったり、延期にはなっちゃったけど遠乗りにもつれていってくれるって」
本当に嬉しいことが多くて、その度にもしかしたら、と期待が湧いてしまい弱る。自意識過剰になりそうで、彼の親切をはき違えないよう必死な最近だ。
口の端に触れた親指とそのときの眼差し、ハンカチの刺繍をなぞって浮かべた微笑みや交わしてくれた約束、思い出すと期待に胸が騒いでしまう。だからニナは、胸元を抑える頻度があがった。
「手紙、書いても大丈夫かな……」
事前にハンカチを贈ったとはいえ、できれば当日に祝いたい。突然の訪問が許してもらえたのだ。誕生日に届くように彼の遠征先へ手紙を認めてもいいだろうか。
「やっぱり気に入らないわ」
奇跡と呼ぶほどに低い可能性ではないと、手紙ひとつで迷惑になることはあり得ないと、エリデがいくらいったところで親友には届ききらないのだ。叶わないことが当たり前だった彼女の半生を完全に否定できるのは、現時点でひとりしかいない。
中途半端に期待だけさせて親友を放置となっている現状に、エリデは彼女の婚約者を見直すのをやめる。致し方のない状況で彼に非がなくとも、間が悪いことには違いない。
溢れそうになるものを抑えるように胸元に手を当てる親友が、我慢する必要のない未来をただ願った。






