17.
頬の赤みが落ち着いた婚約者を送ろうかというとき、慌ただしい足音が近付いてきて、勢いよくドアが開いた。
「失礼します。副団長、緊急事態です!」
「どうした」
緊迫した様子の団員に、フィリベルトが立ち上がり報告を促す。
「西方のメヴェル領でカヴァレッタが大量発生して蝗害が起こり、その影響かドラゴンが人里にくるようになったと……!」
蝗害は人間の畑へ甚大な被害を及ぼし飢饉に陥れるだけではない。家畜含めた他の草食類が餓死しやすくなり、食物連鎖の上位にいる生物にまで普段とは異なる行動を引き起こさせる。蝗害による人々の不安は魔物を引き寄せやすくなり、魔物の発生率もあがっているはずだ。
メヴェル領は麦畑面積も広く、畜産も盛んな地域のためかなりの打撃だろう。無事な畑もいつ被害に遭うかと人々の不安が増幅するのは必至。
「収穫期に、とは間が悪すぎるな。団長は?」
「王宮です。報せを遣りました。ほどなくお戻りになられるかと」
「陛下に報せる手間が省けたな」
自分に報告にくると同時に騎士団長へも送ったとのことだ。各の隊長各位も可能な限り収集し、会議の準備を併行して進めているとも団員騎士は添えた。十数年平穏であっても、騎士団では緊急時の対応は年に二度訓練を欠かさず行っている。それが功を奏し、団員たちは俊敏に動いていた。
メヴェル領の山に棲むドラゴンは、周辺の町村の者に崇められている存在だ。知性が高く、普段なら人里を襲いはしない。冬眠準備が整わず気が立っているところに、人々の不安で増した瘴気に当てられたのだろう。
「ドラゴンの火では通常の消火対応では追いつかない。指示系統も不慣れだろうし、本部から支援部隊を送る。陛下からの指示を仰ぐため団長は残らねば。水属性に長けた者がいくらかいるな。私も行こう」
騎士団長のリザンドロは戦闘能力に秀でた人間で、魔法もある程度なら使えるが得意とする属性は火や風だ。今回の鎮火対応には向かない。ドラゴン同様カヴァレッタを焼く効果は期待できるだろうが、今回はその後の被害を最小限にとどめる方が主だ。ドラゴンの討伐は最終手段で、可能な限り棲み処の山へ還さねば。
フィリベルトは魔力量が多く、自身も水属性の魔術を得意とする。鎮火部隊を統制するには、指示する側も水の魔術に精通していた方がいい。今回はリザンドロより自分の方が適任だと、フィリベルトは判断した。
「わかりました。その方向で準備します」
「頼んだ。私も彼女を送り次第、会議室へ向かう」
指示を仰いだ団員騎士は、副団長のフィリベルトの決めた暫定対応に従い、踵を返し退室していった。
突如として緊迫した空気に、固唾をのんで見守っていたニナは、指示を終えた彼が振り向いたことにびくりと肩を跳ねさせる。
「どたばたしてしまい、すまない。さぁ、行こうか」
「お忙しいなら、ひとりでも……」
「いや、誰かとぶつかっては危ない。その方が私も安心だから、送らせてほしい」
慌ただしい状況だからこそ、駆ける者が増える。ここで別れれば、かえって彼女が怪我をしないかフィリベルトの方が心配だった。懇願されればニナも彼の言葉に甘えるしかなくなる。
裏門までの道すがらは確かに普段より騒がしく。そこかしこから足音が巡っていた。時折ニナがすれ違う団員と接触しないように肩を引かれた。
「いつ発たれるんですか?」
「支度でき次第だが、遅くとも明日には。早ければ今夜だな」
鎮火作業が必要のため、可及的速やかに動く必要がある。被害範囲を最小限にとどめなければ。不備がない限りは今夜中に発てるだろう。
「木曜日に戻ってこれたりはしない、ですよね……」
「その頃には現地に着いてるかどうかだな。往復も入れて半月は……」
王都から往復に一週間かかる距離だ。往きは急ぐとしても、最低でも現地での体制が整うまではフィリベルトが指揮をとらねばならない。それに一週間は確実にかかる。
所要時間の逆算をしていたため、フィリベルトはなぜ曜日指定だったのか気付くのに遅れた。木曜日は彼女と遠乗りの約束をした日だ。ニナが意気消沈した声音になるのも致し方ない。
「すまない。戻ってからになるが、構わないだろうか」
「はい、もちろんです。けど、セディナちゃんでしたっけ。フィリベルト様のお馬さんも走れなくて残念ですね」
「愛馬は軍馬だから、私とともに行く」
いざというとき、乗り慣れた馬の方がよいため、愛馬を騎士団に登録している。そのための訓練も愛馬は熟しているのだ。愛馬の彼女にとっては、気安い散歩が昼夜問わず駆けるハードな予定に変更されただけだ。
「セディナちゃんは行けるんですね。いいなぁ」
最後はぽそりとニナは呟く。呟きは、騎士たちの駆ける足音にそれはかき消された。彼の愛馬もお留守番仲間だと思っていたので、勝手に裏切られた気持ちになる。
申し訳なさげな彼を前に、馬を羨む心は隠してニナは空元気で笑ってみせる。
「送ってくださり、ありがとうございました。どうかお気をつけて」
「ああ。君も気を付けて」
裏門の近くで待たせていた馬車に乗り込み、ニナは礼をいう。彼女の気を付けての方が重いと分かりつつ、フィリベルトも彼女へ帰途の無事を祈る言葉を返す。無事に帰るなどと安易な口約束はできなかった。
民の安全を護る騎士団に所属している以上、危険が伴う。彼女が無傷の帰還を願うような女性でなくてよかった。騎士であることを理解してくれる婚約者で助かる。馬車がでたのを確認して、フィリベルトは踵を返した。
騎士団長のリザンドロがほどなくして戻り、遠征している部隊を除く隊長各位とすぐさま会議が行われた。フィリベルトの暫定案にリザンドロも同意し、各隊長に人員を募り支援部隊編成などを詰め、ドラゴン被害対応の過去事例の書類一式を資料室から持ち出す許可申請も通した。
各所への手配と最低限の書類の処理を終わらせた頃には、とうに陽が沈んでいた。
愛馬の回収と着替えなどの自身の支度のため、フィリベルトは一旦ボーヴィ伯爵邸に戻る。先に支度しておくように遣いはやったので、準備された荷物を受け取るだけだ。
とんぼ返りのつもりでフィリベルトが邸に帰ると、家令が鞄を持ち出迎え、いった。
「ニナ様がお待ちです」
「何?」
ずいぶん前に帰宅するのを見送ったはずの婚約者が訪れ、かつ自分を待っているときき、アメジストの瞳をわずかに瞠目させた。鞄を受け取り、それを持ったまま彼女を通したという応接室へ足を向ける。
応接室のドアを開けると、赤みがかった金髪が目に入り、こちらに振り向いた。
「フィリベルト様っ」
「もう日が暮れているというのに、一体どうしたんだ」
夜間に女性ひとりで外出するなど感心しない。彼女の身を案ずるがゆえに、厳しい声音で問い質してしまった。
「ご、ごめんなさい。せめて、これをお渡ししたくて……」
叱られることを覚悟で訪問したニナは、怯えながらもずっと握っていたそれを差し出す。
「少し早いですが、お誕生日おめでとうございます」
栗色と紫の糸でフィリベルトのイニシャルが刺繍されたハンカチだった。不安が拭いきれないぎこちない微笑みをニナは浮かべる。
アメジストの瞳が今度は大きく見開かれる。自分の誕生日が近いことも、遠征先で迎えるだろうことにも気付いていなかった。
騎士には、恋人や伴侶から刺繍入りのハンカチをもらう風習がある。刺繍には無事を祈る想いが込められている。婚約者の名目がある自分も贈っていいだろうか、とささやかな期待を抱いて、ニナは準備していた。完成まであと少しと、急いで仕上げをして持参したため、包装もない状態だ。刺繍が得意という訳ではないから、よくみるといびつな箇所も見受けられる出来である。
「受け取っていただけますか……?」
これまで令嬢から何度もハンカチを贈られたことがあるのをニナは知っている。それらは直接のものはその場で受け取りを断り、邸に送られたものは送り返しているときいた。だからこれまで、婚約以前は、彼に物を贈らないようにしていた。
現在、ニナは彼の婚約者だ。適当に選ばれたとはいえ、今なら贈れるだろうか。無事を祈ることを許されるだろうか。
フィリベルトはハンカチを持つ手元を見下ろしたままだ。ニナは断られやしないか怖くて目を瞑る。
しばらくして、彼は静かにハンカチを受け取った。しっかり掴んでいたものだから、ニナは引力を感じ、手元からハンカチが消えたことを知る。
自身の髪の色と瞳の色のイニシャルをそれぞれ指でなぞる。少しぼこっと凹凸があり、手触りでもいびつさが分かった。どうしてかそれが愛しいと感じた。
「ありがとう」
感謝の言葉を耳にして、きき間違いではないか確認するためニナは瞼を開いた。エメラルドの瞳に、微笑む彼が映り込む。
「かならず君の許に戻ろう」
「……はい、はいっ、どうかご無事で」
涙を堪えるように笑うニナ。不安を押し殺した彼女の精一杯の笑顔に、フィリベルトは最後がこの笑みでないようにしなければと思う。現状の見込みでは命の危険は低い任務だ。死地に向かう訳ではないが、きっと彼女は怪我をしただけでも泣くだろう。五体満足に努めなければ。
騎士の叙勲を受けたとき、父母にはいざというときは帰らない覚悟をしてほしいと願った。危険が付いて回る仕事に就く以上、必要なことだ。その判断が誤りだったとは思わない。しかし、今彼女に誓った。
帰らねばならない場所をみつけたのだ。
何があったとしても意地でも生き抜こうとする覚悟をフィリベルトは得た。これもまた騎士に必要なものなのだろう。
その夜、刺繍入りのハンカチを胸に、フィリベルトはメヴェル領へと発った。






