16.
火曜日、ニナが王宮外壁の裏門へ向かうと面を食らった。
「フィリベルト様?」
馬車をおり、裏門へ視線をあげたら門番よりさきに、佇む彼の姿があった。
「ニナ嬢」
「こんにちは。いかがされたんですか?」
裏門にいるからにはどこかしらにでかけるのだろうか。訪れるタイミングが悪かったかと、ニナが問うと、フィリベルトはさらりと答えた。
「いや、君を迎えにきただけだ」
「へぇ!?」
驚きすぎて変な声をあげてしまった。わざわざ自分の訪れる時間を見計らって待っていてくれたというのか。異例の事態すぎる。
心の準備ができていなかったニナはあわあわと狼狽え、二の句が継げないでいた。身嗜みは大丈夫だろうか。いつもなら門番に声をかける前に、一通り確認するが、すでに彼が待っていたためそれも叶わない。
フィリベルトはその様子をじっと観察するだけだ。ここまで驚くことだろうかと、内心首を傾げる。ここにいる目的が彼女だと伝えただけで、頬を染める様は心がくすぐられるものがある。自分だけにしかしない反応だと分かるだけに。
「あのー、入らないんですか?」
独り身の門番が目の前の光景にいたたまれなくなり声をかけると、ニナはぱっと反応した。
「はっ、はい! 入ります!」
彼女が記名するのを待って、いこうか、とフィリベルトが促すと籠を大事に抱えながらニナはついてゆく。追いつくまで小走りになる様子がまるで雛鳥のようだった。
ニナはすぐに彼の隣にたどり着き、副団長執務室まで並んで歩く。すぐ追いつけるほどゆっくりとした歩調で待っていてくれたことも、以降自分の速度に合わせて歩を進める彼にとくりと鼓動が跳ねた。上背もある彼の方が歩幅が大きいはずなのに。それが嬉しいと感じる。そして、夜会のエスコートやデートのときも同様ではないかと自身へ指摘し、彼が誰に対しても紳士な対応をとるであろうことに寂しくなり、しゅんとしょげてしまう。けれど、今日はわざわざ迎えにきてくれたと自身を励まし、かえって疑問が湧き、今度は疑問符でいっぱいになった。
それを横目で確認していたフィリベルトは、喋ってもいないのによくこれだけ百面相できるなと感心していた。頬を染めたと思ったら眉をさげ、かと思ったら困惑が占めた表情になる。最後の表情の理由は分かる。木曜日もこちらが婚約者の観察を始めたことに戸惑い通しだったから、今回も自分の行動の理由が分からず不思議なのだろう。
あまりにも弱った様子だったのと、自分がみすぎると彼女と視線が合わなくなるので、今は控えている。ただ、婚約者がいくら眺めていても飽きない存在だとは認識した。くるくると変わる表情がすべて自分に向く想いゆえと感じると、くすぐったい。
廊下の向こうから団員がきて、通り過ぎてゆく。副団長のフィリベルトとすれ違う際、彼は静かに会釈をしてこちらが過ぎ去るのを待つ。上官に対する当然の態度だった。
「こんにちは」
そんな団員に、ニナは微笑んで挨拶した。彼女としては婚約者の職場の人間に対して愛想よくするのは自然なことだった。なのに、フィリベルトはさきほどまでとは違い、意図的にむつりと黙り込んでしまう。
彼女の肩を引き寄せ、こちらを向かせたくなった。しても問題ないと感じ、むしろ、そのときの彼女の反応もみたくもなり実際に手が動くが、肩に触れる前にとめた。牽制にはなるが、自分に向ける彼女の表情を他の者に晒すのはいただけない。
そこまで考え、フィリベルトは自身を恥じる。部下に牽制する必要などないのに、どうかしている。幼稚な衝動を堪えるために、拳を握った。
そんなささいな葛藤をしているうちに、執務室に着いた。
ドアを開け、彼女をなかに誘う。彼女が自分の前を過ぎ、その小さな背がみえるまでの間に、たとえばこの瞬間に抱き締めたりしたら彼女はどれだけの反応をみせるだろうと興味が湧いた。悪戯心のようなその思いつきは、行動に表れはしないもののフィリベルトを戸惑わせた。
自分は婚約者へ誠実にあろうと努めていたのではないか。
そのために観察するほど彼女と向き合い、配慮が足りなかったと反省した点を改善しようと訪れる彼女を迎えにいった。ほぼ男所帯の騎士館内をこれまでひとりで歩かせていた方が問題だったのだ。そのはずなのだが、正当な理由が白々しく言い訳めいているように感じてしまう。
問題改善をはかって、別の問題が発生してやしないか。今度はニナでなくフィリベルトが疑問符を浮かべる番だった。だが、わかりやすいニナと異なり、考え事をしながら座ったように映る。なにやら難しいことを思案しているのだろうとニナは受け取ったが、彼女にしか関係しないことだとは知りようもない。
「今日はスノーボールを作ってきました」
クッキーの一種ではあるが、アーモンドで軽やかな口当たりとなり食べやすいと思いニナは作ってきた。彼が仕事の片手間に口にすることを考慮して、なるべく一口で食べられるものを選ぶため作るものはクッキー類になりやすい。
前回同様、差し入れとしてもってきたそれをフィリベルトはニナとの茶の席でそのまま食べ始める。彼女にもすすめるところも同じだ。ニナもやはりひとつを受け取り、一口で食べられるものを数口に分けて食べていた。
小動物のように食べる婚約者を眺めながら、フィリベルトは完食し美味しかったと感想を述べる。そうすると、嬉しそうなニナの笑顔が咲く。
「珈琲にも合いそうだな」
「そうなんです。わたしはよくカフェラテと一緒に食べるんですよ」
書類作業を抱えやすい副団長の彼は、きっと珈琲の方をよく飲むだろうとそういった点も考慮して作るものを選んでいる。だから、自分がカフェラテを飲むときによく食べる菓子にしてみた。
ささいな意見の一致だが、ニナにはそれが嬉しかった。
眠気覚ましの効果を狙って常備しているもののため、騎士館では何も入れずに珈琲を飲むのが通常でミルクは来客用に仕入れる程度だ。婚約者も来客のうちではあるが、毎週という頻度に対して心許ない量だ。フィリベルトは、今後ミルクの仕入れ量を増やすことを検討する。
白いものを思い浮かべていたからか、フィリベルトは気付く、彼女の口元にも白いものがある。おそらくスノーボールの粉砂糖だ。自分と違い、一口で食べていなかったため付きやすかっただろう。
「付いている」
「え。どっ、どこですか?」
フィリベルトが指摘すると、恥じらったニナの顔が赤くなり余計に白がわかりやすくなる。だが、焦る彼女の指は検討違いの箇所を拭った。
「ここだ」
だから、フィリベルトは向かいの席から乗り出し、該当の箇所へ手を伸ばした。頬の輪郭に手を添え、親指で拭うと、意図せず唇の端にも触れた。多少の弾力とやわい感触を指の腹に感じた。
予想外だったのかエメラルドの瞳はまんまるだ。一瞬どころか、わかるように唇を指でなぞったら彼女はどんな反応をみせるだろうか。素直すぎる反応をさらに引き出したい欲求が湧く。
フィリベルトの手がすぐに退かないものだから、ニナはどうしたらいいかわからない。指が長く自分より大きい掌は簡単に頬の輪郭を覆う。触れられている喜びに、自分からきっかけとなるような発言ができずに困る。何が離れる理由になるかわからないので、ただひたすら動かないように意識する。気付けば呼吸すら止めていた。
不自然に生まれた間に、互いに次の動作をとれずにいる。
そこにドアがノックされた。
「副団長、会計書類をお持ちしまし……っわぁ! すすすみません! 出直してきます!!」
ドアを開けた団員騎士は、書類を取り落としそうになる。赤面して大慌てで下がるものだから、入室時よりドアを閉める音の方が大きかった。
婚約者へ身を乗り出す体勢がどういう誤解を与えたのか気付き、フィリベルトはそっと彼女の頬から手を離し、元通りソファへ腰を落ち着けた。
ニナの顔はさきほどより真っ赤になり、俯いている。特段何があったわけでもないのに、まずいところをみられた居たたまれなさが胸中を占めるのは、どうしてか。
「ま……まぎらわしかったみたいですね」
「そのようだな」
具体的な明言は避けた。口にするのも恥ずかしい誤解であるし、もし彼の認識と違ったらはしたないと思われるやもしれない。ニナは彼に嫌われたくないのだ。
平静な風にフィリベルトは返したが、自身の行動が不思議でならなかった。誤解された内容に、その選択肢もあったと思ったのだ。行動どころか思考も不可解すぎる。
頬に両手をあて、熱を冷まそうとする婚約者が可愛い。そう感じる。そう思うことは初対面からあったが、心がくすぐられ、場合によっては高鳴りも覚えるようになったのは最近だ。
彼女を裏門まで送るのは、少なくとも頬の赤さが治まるまで待たねば。でなければ、他の者の目に触れてしまう。この顔は自分だけがみていいものだ。
頬の熱を治めようと懸命な婚約者を眺めて、フィリベルトは待つのだった。






