15.
婚約者の観察に注力していたため、フィリベルトは花束の用意を忘れていた。
いつもなら行きがけに花屋に寄って買ってから、トッリ男爵邸へ向かっていたというのに。気付いたのは家に送ろうと彼女を馬車へ乗せたときだった。
彼女に待つようにいったが、顔に焦りがでていなかっただろうか。行動を不審がられていないか心配になる。
早々に戻ろうと、すぐ近くにある見知った花屋へ向かった。いらっしゃいませ、と店員が迎える声に応えずフィリベルトは並んだ花をみる。遅くなったことや今待たせている詫びもあるから、彼女に喜んでもらえるものを用意したい。色とりどりの花を一通り見まわし、ある花で視線がとまった。
オレンジ色のガーベラだった。ドレスを贈るとき、彼女は自分と揃いにしたい色をオレンジ色で要望した。彼女から具体的な要望は珍しいから覚えていた。もしかしたら好きな色なのかもしれない。
好きな色でなくとも、ガーベラの咲きぶりといい、明るいはっきりとしたオレンジの色味といい、彼女に似合う、彼女らしい花に思えた。
「この花をメインに似た色で花束を作ってもらえるか」
「はい、かしこまりました」
注文を決めると、あとは花束ができるのを待つだけだ。店員はオレンジや黄色の花を中心にいくつかとると、さっそく作業にとりかかる。待っている間、手持ち無沙汰なのでフィリベルトはその作業を眺める。
「なんだ?」
花束を作る店員がやけに楽しげなので、どうしたのかと問いかけると、作業の手をとめずに店員が答える。
「いえね。お客さん、いつも出来あいのものしか買っていかなかったから、贈りたい人のことお好きなんだろうな、と……」
そういえば、ちょうどいつも立ち寄る花屋だった。店員からすると毎週のように買いにくるフィリベルトは常連客のひとりだ。すでに出来上がっている花束から店員におすすめをきいて買っていくばかりだった彼が、いちから作ってほしいと注文した。
「作ったのを気に入っていただけるのも嬉しいんですけどね。その人のためだけの花束を作るお手伝いするのは楽しいんですよ」
既製品購入が悪いわけではない。こちらの腕を認めてもらえている証明で嬉しくはある。けれど、仮に結果として同じ出来になったとしても誰かのために作られたものは、贈る相手だけの特別なものだ。
「お誕生日なんですか?」
「いや」
自身で選んだのは特別な日だからかと問われれば否だ。彼女の誕生日は過ぎている。詫びと理由付けをしはしたが、店員からの問いにより自身の心境の変化だと気付く。そうしたいだけの相手なのだと指摘されれば、面映ゆさを覚えてしまう。
「喜んでくださるといいですね」
「ああ」
話している間にできあがった花束を店員は手渡す。フィリベルトは礼と代金を渡して、店員の祝福が添えられたそれを受け取った。
店員の言葉があってか、自分で選んだからか、渡す前から彼女の反応が気になってしまう。戻る道中、気に入るだろうか、と妙な緊張がもたげる。馬車のドアに手をかけ、一息吸ってから引いた。
渡す瞬間までは恐怖にも似た緊張があったにもかかわらず、受け取った彼女の笑顔が咲いた瞬間、小さな感動を覚えた。
好きな色だときき、この色を選んでよかったと安堵する。
ニナは本当に気に入ってくれたようで、馬車のなかで手元の花束を見つめてばかりなものだから、酔わないか心配になったほどだ。嬉しげな婚約者の様子に、この顔がみたかったのだとフィリベルトは感じた。
翌日の金曜日、フィリベルトは、騎士団長のリザンドロとともに団員騎士に訓練の指導をしていた。その合間の小休憩で、隣に問う。
「私は薄情な人間なんだろうか」
「どうした、突然」
不意の問いかけにリザンドロは首を傾げる。彼には唐突であっても、フィリベルトには考えた末に浮かんだ疑問だった。
婚約者のニナと向き合うほど、自分がどれだけのものを見落とし取りこぼしていたのか気付かされる。これまで令嬢らから送られる秋波に辟易していたが、なかには彼女のように真摯な想いも含まれていたのだ。それらに一元的な対応しかしてこなかった。
「ひとりひとりに心を配れないのは、不誠実だったんじゃないかと思ってな」
大小はあれどそれぞれが真剣な想いを向けてくれているのだから、それを一緒くたにして取り合わないようにしていた自分は失礼ではないか。最近そう考えるようになり、自責の念が湧くようになった。
「全員に真剣に向き合ったらお前の方がまいっちまう。お前は、有利に運ぶために自分の人気でガチ恋営業できるタマじゃねぇからな」
「なんだそれは……」
「知らね? 劇団の花形はよくやってる手法だぞ」
耳馴染みのない単語の説明を受け、フィリベルトは嘆息しかでなかった。
「私には到底無理だな。ひとりでも手一杯なのに……」
自身に好意を持つ相手からの言葉や贈り物をつぶさに覚え、次回以降にそれを覚えている旨を伝え相手の承認要求を満たし、具体的な言葉を言わないままで自分だけは特別のように錯覚させ、支援を促す。愛されたい性質の人間には、その努力をするだけの価値のある扇動だが、フィリベルトには途方もない作業に感ぜられた。それなら書類の山を黙々と片付ける方がマシだ。とても真似できそうにない。したいとも思わないが。
「そうそ。手に余る奴らにまで気を回すぐらいなら、その分、大事にしたい奴をとことん大事にすりゃいいんだよ」
リザンドロとて、妻とそれ以外の異性を区別している。ただひとりを愛するということはそういうことだ。大事にしたい相手のために、その他の異性に気を持たせるようなことを避けもする。妻を不安にさせるなら、他の異性に冷たくすることもリザンドロは辞さない。ただ、妻が人を助ける自分を好いてくれているから、大らかなままでいれるだけだ。
だから、婚約者を作るまでのフィリベルトの一元的な対応は、相手に気を持たせない意味で正解だ。
「そういうものか」
そういえば、これまで女泣かせだと揶揄されることはあっても、リザンドロから行動を改めるよう指摘されることはなかった。止めなかったということは、応えられないのなら酷いぐらいでちょうどよいと彼も判断していたのだろう。
愛情に分け隔てない公平さはいらないという彼の意見も一理ある。フィリベルトには、媚びを売り大多数からの愛を求める手法よりもずっと腑に落ちた。
「で、手一杯なひとりをそんなに大事したいんだ?」
リザンドロの顔が揶揄いの色を帯びる。揚げ足取りな言い方だが、明らかにそのひとりが誰か分かったうえで確認してきていた。
大多数への対応を反省したようでいて、特定の相手への対応にのみ自責の念を抱えていることを見透かしている。自分の反応を面白がっていることに眉を顰めるが、すでに何度も相談を受けてもらっている彼に文句もいいづらい。
「おそらくな」
フィリベルトは噛みつくことはせず、曖昧に認めた。
婚約者の表情が曇ることを避けたい自分は、悲しませることを覚悟できる彼女の父親の愛情にとても及ばない。自分にみせるのが笑顔ばかりだから、ニナを思い出すときは笑顔だ。彼女の素直な笑みを浮かべると自然と頬がゆるむ。だから、思い出すのが笑顔のままであるよう、努力し続けたいと思う。
口元が笑むだけでなく、目元まで和らげるフィリベルトをみて、リザンドロはいい兆候だと思う。少し前までは自覚すら薄く、認める以前の問題だったのだから。誰を浮かべているかは明らかだ。
「ま。惚気はその辺にして訓練に戻るぞ」
「惚気てなどいない」
真剣な悩みを惚気と一蹴するとは何事だ。否と生真面目な顔つきに戻る片腕の副団長が、リザンドロには可笑しい。婚約者の話題など惚気である方がいいというのに。成長は伺えるが、その点に気付いていないあたり、まだ初心者の域だ。
小休憩を切り上げる頃合いだったので、それ以上食い下がることはなく、フィリベルトは表情を引き締め訓練指導に戻るのだった。
団員騎士たちは、彼もまた指導を受ける身とは知らない。知るのは騎士団長のみだ。






