14.
木曜日、定番のデート。フィリベルトが手配した念を押した医師からの検診も、健康そのものの結果だったため今日は外出することとなった。
約束通りの時間にトッリ男爵邸に迎えにきて、そのままフィリベルトの馬車にのって、二人は街の商店がある区域まで向かう。馬車の乗り降りの際に彼が手を貸してくれるところも、そのままエスコートしてくれるところもいつも通りだ。
だが、ニナは困惑していた。頬が火照って仕方がない。なんなら変な汗までかきそうだ。
「……あ、あの? 前を見ないと危ないのでは……?」
迎えにきてから、馬車のなかでも、隣を歩いている今も、ずっと彼の視線が自分にあるのだ。エスコートを受けるために彼の腕に添えている手が震えないようにするのが精一杯のニナだった。
「進行方向は確認しているから問題ない」
「そう、ですか……」
実際最低限の前方確認でも、フィリベルトの足取りは淀みなく、ニナをしっかりエスコートしていた。だから、そう返されれば、彼女も頷くしかない。しかし、いつにない状況にニナの頭のなかは疑問部でいっぱいだった。
これまでは、ニナの方が見つめる頻度の方がはるかに多かった。その視線に気付いてか、ただ必要があってか時折彼がこちらに向くことがあるぐらいで。だから、こうして歩いているときは彼にエスコートされるに任せて、ときどき前方をみるその横顔を眺めていた。
そのときも滅多に視線が合わなかったのにな、とニナがちらりと横を見上げると、ばっちり目が合い、慌てて前方に向いた。
好きな人の視線を浴び続けるのも、いつみても目が合うのも心臓に悪い。
気を紛らわせるために何か会話を、と思うものの、疑問符が占める脳内では話題らしい話題も浮かばなかった。
そんな風にどぎまぎと赤面する彼女の横顔を、フィリベルトは見つめる。わずかな動作も見逃さないように。さながら、動物の生態観察のようであった。
先日、相手に対する洞察力の差を思い知らされたので、彼女をよく観察しようと試みての現在である。反省点を踏まえて行動改善をはかるのはよいことであるが、リザンドロなどがみたら生真面目ゆえの極端さに呆れることだろう。
見つめていていて、あらためて一般的に可愛らしいといえる女性だとフィリベルトは認識する。眼を惹くほどの印象強さはない。けれど、野に咲く花のような視界に入ると和むような愛らしさがある。緊張で俯きがちになっては、自分の代わりに進行方向を確認しなければと発起して顔をあげたり、こちらを気にして横目になるもぱっと視線を前方に戻す様などは小鳥の忙しない首の動きにも似ていた。
全身で自分を意識している様子に微笑ましさすら感じる。数々の令嬢から送られる秋波には辟易していたが、彼女から受ける好意に嫌悪感は湧きようもなかった。
昼下がりのカフェに着き、案内された席に座る。椅子をひく店員に感謝をいってから彼女は座った。そういえば、伯爵邸に泊まっていたときも同様に使用人に礼をいっていた。貴族として当然受ける扱いであっても、彼女は感謝することを忘れないのか。
注文を決めるのは時間がかかるようだ。季節限定メニューを店員からきき興味に瞳を輝かせるも、メニューをひと通り確認するものだから、美味しそうだと思ったものを見つける都度表情に興味が咲き、唸りそうなほど真剣に悩みだす。メニュー選びはほぼ即決なフィリベルトからすると新鮮に映る光景だ。これまでもしばしの間待っていたが、こんなにころころと表情が移り変わっていたのか。
今日は、検討しきった結果、季節の果物のタルトとハーブティーを頼んでいた。
運ばれてきたケーキが目の前に置かれると、彼女は思わずといったように感嘆の声を零す。それに気付いて口元に手を当ててから、美味しそうですね、とこちらにはにかんだ。フィリベルトはああ、と肯きはしたが、皿をみて判断せずに彼女の瞳に映る果物の輝き方でそうなのだろうと感じた。
ガラスのティーカップとともにレモンの小皿が置かれ、ニナは小首を傾げる。訊くより前に、店員から確認を受けた。
「レモンはお好きですか」
「はい。大丈夫です」
「こちらはこのようにお飲みいただくと」
ティーカップを満たしたあと、片手持ちの搾り器にレモン入れた店員は、いいながらレモンの雫を落とす。すると、雫の落ちたところからお茶が真っ青に染まった。
「わぁっ」
魔法のような光景にニナはエメラルドの瞳がきらめかせ、頬を紅潮させた。素直な反応をみせる彼女に嬉しげな笑みを湛えて、どうぞお楽しみくださいと店員はさがっていった。これだけいい反応をされたら、店員も演出した甲斐があるというものだ。
「だから、ガラスのカップだったんですね」
飲む前に眼の高さまで掲げて、ほぅとニナは眺めた。
カップの青を映して、彼女の瞳の緑が濃くなる。その様を眺めていたフィリベルトは、ああと返すしかできなかった。返る反応の薄さがそのまま彼の関心の低さを示していると思ったニナは、ひとりではしゃいでしまったと、照れつつカップに口をつけるのだった。
じぃっと眼差しを受けながらニナはなるべく一口が小さくなるように少しずつタルトを食べる。大口をあけて頬張るところをみられては、恥ずかしい。食べる動作にも気遣ってしまい、会話する余裕がニナにはなかった。
小さく切り取っても、咀嚼回数は多い。味わって食べるタイプなのだと、フィリベルトは気付く。意識して観察してみれば、いくらか気付けることがあるものだ。記憶が戻ったときいた朝食のときはどうだったか。それより以前の相伴のときはどうだったか。もっと早くに知れただろうに、と惜しく感じた。
目が合うことを恥じらって俯きがちになる彼女の頬は、頬紅がなくとも赤い。全身で好意を示されているのを感じ、フィリベルトに疑問が湧いた。
「君は、どうして私を好きになったんだ?」
思いがけない問いの内容に、ニナは最後のひとくちをごくんと飲み込んでしまった。驚いて見返すと、アメジストの瞳は答えを待っていた。
問われた理由はわからないが、訊かれた以上はとニナは正直に答える。
「一目惚れ……みたいなもので、顔が」
想定された回答だったはずなのに、フィリベルトは失望を覚えた。彼女も自分の容姿で気に入ったのだと。よく見惚れられていたので、知っていたはずなのに、一体どんな答えを期待したのか。
「その、何度か見かけててかっこいい方だと知ってはいたんですが、凱旋祝いのパーティーで、騎士の皆さんと一緒にいたときの笑顔が素敵で……、あんな風に笑うところを見れたらいいなって」
令嬢をあしらうときの表面的な微笑みしかそれまで知らなかった。魔物討伐で遠征していた騎士団のための祝宴だったため、団員の騎士が多く参加していた。誰が同僚で部下なのか、ニナには定かではなかったが、団員に囲まれ歓談するフィリベルトが口を開けて笑っていた。気心の知れた相手への笑みを、少し可愛いと思ってしまった。
またみたい、と願った。自分のような令嬢に向ける笑みではないと分かっていながら、そんな願望が胸に生まれた。それがこの恋の始まりだ。
続きをきいて、フィリベルトは相槌を失念してしまう。そんなところをみられていたとは思わなかった。そして、そこに魅力を感じられるとは想定外だ。素の表情がいいなどとは、迫ってきた令嬢たちは口にすることがなかったから、みな上辺しかみていないのだと決めつけていた。ニナのように自分の本質に触れようとする者もいたのか。
不意打ちの嬉しさにじわ、と耳が熱を帯びる。熱が顔にまでおよんでいないか心配になり、拭う体を装って頬に手の甲をあてた。おそらく問題ない。手まで熱くなっていなければ、の話だが。
ありきたりですよね、とニナは苦笑する。相槌すらないのは平凡なエピソードすぎたせいだと思ったようだ。彼の意表を突いたと知る由もない。
「けど」
彼に面白い話を提供できなかったことは申し訳なくはある。しかし、ニナは嬉しさを滲ませた。
「嬉しいです。わたしのこと聞いてくれたの、はじめてですから」
「そ、そうか」
ニナの嬉しそうな様子に、フィリベルトは面映ゆい心地を覚える。ただ質問しただけで、そんなに喜ばれるとは思っていなかった。
婚約当初は、お互いを知るためにニナは、自身のことを話したり、彼のことを訊いたりしていた。けれど、自分の好みや直近の出来事を話しても関心が薄いと反応で分かった。彼のことを訊いたときも野次馬のような質問だと思ったのか、情報漏洩を気にしてか、やんわりと微笑みながら答えを濁された。そうして、いつしか流行や世間の出来事など、共通で話せる当たり障りのない話題しかあげなくなっていた。
彼女にとっては大きな進展だ。フィリベルトは、そんな自身の変化に気付いていない。
「あの……、わたしもひとつ聞いていいですか?」
質問された分だけ、問い返してもいいか、ニナはおそるおそる伺う。
「ああ」
フィリベルトは自分だけ問うのは不公平だと、肯いた。彼の了承を得て、ニナはまた喜ぶ。
「休日は何をして過ごされていますか?」
「こうして君と会っているが?」
「えと、おひとりのお休みのときはどうしてるのかなって」
「そうだな……、たまに遠乗りしている」
事務方の人間とはいえ、フィリベルトも騎士団所属だ。身体を動かすことは嫌いじゃない。また、普段が書類業務で文字を追うことが多いため、ひとりの休日は文字と縁のない場所へ愛馬を走らせる。
「少し走らせれば、小さいが湖や、草原が広がる丘があるんだ」
晴れた日は、そういった場所で何をするでもなく、日光浴をする。それだけだが、自分も愛馬も気分転換になっていい。
「素敵……! 風が気持ちよさそうでいいですね」
ニナは興味津々といった反応をみせる。世辞での言葉ではない。その声には羨む響きすらあった。場所を想像して、湖のせせらぎをきき、草原の風に撫でられ、そうして過ごせたらどんなにいいかとその顔にかいてあった。
「今度どちらかに行こうか」
トッリ男爵邸に厩はない。移動は馬車で、彼女含め乗馬を嗜んではいないようだ。彼女ひとりでは向かうことのできない場所だからと、フィリベルトは提案した。興味があるなら行きたい方に案内する心づもりで。
「えっ、あっ、でも、フィリベルト様のお馬さんが重いのは大変じゃ……っ」
「ははっ、君みたいな軽い子が増えたところで愛馬の負担にもならないよ」
嬉しい、行きたい、と顔にかいているのに、馬の負荷を深刻に危惧する彼女が可笑しかった。一体どれだけ重量級のつもりなのだろう。彼女が倒れたときにベッドまで運んだが、気にもならない重さだった。
ニナはぽけっと向かいの婚約者をみる。笑った。口を開けて。自身の体重をすでに知られている恥ずかしさより何より、みれると思わなかったものへの驚きが勝った。
「……えっと、じゃあ、次の木曜日、晴れたら」
「ああ。晴れたら行こう」
可笑しさの名残を噛み殺しながら、フィリベルトは頷き、約束を交わす。
こんなことがあっていいんだろうか。彼が自分のことを訊いてくれたから、その分だけ彼のことを訊けないかと、ほんの少しの欲だったのに。
みることが叶わないと思っていた笑みや、彼の私的な場所に自分も踏み入れていいとは。木曜日は終わっていないのに、もう次の木曜日が楽しみでしかたなかった。晴れてほしいから、帰ったらてるてる坊主を作ろう。
カフェをでたあとは、公園を少し散策してから、帰りの馬車に乗る。
「少し待っていてくれるか」
「? はい」
手を貸して、ニナを先に乗せたフィリベルトは、そういって馬車から離れた。馬車に残ったニナは素直に待つ。
それほど離れていなかったのか、ほどなくしてフィリベルトは馬車に戻ってきた。馬車のドアをあけるも、彼はステップへ足をかけない。どうしたのかとニナは小首を傾げる。
「遅くなって申し訳なかった」
そう詫びて、フィリベルトは花束を差し出す。たしかにプレゼントがないデートの日は迎えの時点で花束が贈られていた。しかし、それは約束したものではなく、あくまで彼の厚意によるものだ。だから、ニナはあまり気にしていなかった。
確約事項でないというのに謝罪をする彼は律儀だ。
「わ……」
それはそうとして、ニナは受け取った花束をまじまじとみる。オレンジ色のガーベラをメインに据えたほぼオレンジ色の花束だった。これまで色とりどりの花束をもらってきたが、白や黄色の小さな花が添えられている以外、特定の一色であるものははじめてだった。
「可愛いっ、オレンジ色好きなんです。ありがとうございます」
自分の好きな色の花をもらえ、ニナは喜ぶ。偶然かもしれないがそれでも嬉しかった。
「それはよかった」
感謝に対して返る言葉はいつも通りだった。けれど、その笑みには安堵と嬉しさが滲んでる気がした。
今日は嬉しいことがありすぎて、自分に都合よく映っただけだろうか。解釈誤りでなければいいとニナは願う。少しでも彼に歩み寄れたなら嬉しい。
その夜、帰宅したニナが晴れているにもかかわらずてるてる坊主を作りだしたので、不思議がる両親たちの姿があった。






