13.
火曜日の昼下がり、ニナは王宮の裏門から騎士館に赴き、はじめて副団長の執務室へたどり着いた。
寄り道せずまっすぐにきたので、三時には少し早い。ドアの前で髪がはねていないかなど身嗜みを見直し、籠の中身が割れたりしていないことを確認し、すぅと息を吸う。息を止めると同時に覚悟を決め、ノックをする。
ほどなくして、部屋の主本人がドアをあけて出迎えた。
「こんにちは」
「きたのか。どうぞ」
ニナをソファに座るよう誘い、彼は茶の用意を団員に頼む。二人分のティーカップをテーブルにおいて、団員はさがっていった。
「今日はクッキーを焼いてきたんです」
籠からナプキンの包みを取り出し、フィリベルトへ差し出す。ニナの片手に余るほどの包みを両手で渡すと、彼の片手には余らずすんなり収まった。
「ありがとう」
受け取ったフィリベルトはリボンを解いて、ナプキンを開く。今食べるのかとニナは小さく驚く。だが、紅茶も用意されたところでちょうどよかったのだと、声をあげないようきゅっと唇と閉じる。
目の前で食べてもらえると思っていなかたニナは、彼の手がクッキーをつまみ口に入ってゆく様を、緊張した面持ちで見守った。
「い……いかがでしょうか?」
「美味いな」
ひとつ咀嚼が終わるのを待って、感想を催促するとおだやかな表情で返った。表情に無理した気配がないことに、ニナは安堵し、素直に喜べた。
「よかったぁ」
強張った表情で凝視していたかと思ったら、嬉しそうに表情を綻ばせる。彼女の表情がころころ変わる様をフィリベルトは眺める。彼女は感受性豊かだ。
「君もどうだ」
「えと、じゃあ、ひとつ……」
片手に広げたナプキンのうえのクッキーを、フィリベルトは差し出す。
事前に味見もしたし、彼が食べられるであろう量だけ持参したので家にまだある。彼の提案に虚を突かれたが、同席している相手への配慮を無下にする訳にもいかないとニナはひとつとり、それを少しずつかじってゆっくり食べることにする。
ニナがひとつを味わって咀嚼している間に、フィリベルトは残りのクッキーを平らげ、ナプキンのうえには何もなくなった。
ひとり分かつ少量にしたとはいえ、彼が食べきると思わなかったニナは驚く。
「ごちそうさま」
「あの、気を遣って食べられたんじゃ……」
「いや? 香りが爽やかでほろ苦さもあって食べやすかった」
「甘さ控えめにしてレモンピールを入れたんですよ。お口に合ってよかったです」
特段無理をした訳ではないと、フィリベルトが答えると、ぱぁっと笑顔が咲いた。
ニナは家の料理人に砂糖少なめな菓子のレシピ作りを頼んでいた。それもあって、これまで加減が難しく失敗しやすかったのだが、甘さ控えめにするだけでなくレモンの皮も入れて正解だった。
「甘いものが得意じゃないと言っていただろうか?」
「カフェとかで注文されるものとかで、そうかなぁって」
夜会を除いて、デートで外出してもフィリベルトはかならず夕方までに帰すため、相伴することがあるのは基本カフェだった。珈琲や紅茶は何も入れず、軽食でデザートを頼んだとしてもクリームなどが少ないメニューを注文していた。自然と気付けることだった。
「他にも私の好みを知っていたりするのか?」
「え。ワインなら白の方がお好きだとかでしょうか」
合っている。興味本位で他にも気付かれているのか問えば、ニナはさらりと答えた。
「こういうところか……」
両手を組んで、沈んだ声音になるフィリベルトにニナは疑問符を浮かべる。彼が沈痛な面持ちになる要因が今の会話にあっただろうか。
ニナには自然なことでも、フィリベルトにはできていなかったことだ。自分が同様に訊かれたら、彼女の好みをひとつもいい当てられない。そういえば、先日の夜会で彼女は白ワインを第一優先で自分に用意してくれていた。自分のことをよくみているからこそできる所作だと、フィリベルトは気付く。
不意に執務室のドアが開いた。
「なぁ、このお堅い文どう読む……っと、悪い。お嬢ちゃんがきてたのか」
いちゃつくなら入室不可の札でもドアにかけろ、とリザンドロが軽口をたたくと、かけていても気付かないだろうとフィリベルトもいい返す。明らかに手元の書類に視線を落としたまま、リザンドロはドアを開けていた。ノックをしないクセといい、かけ札など無意味だ。
「大丈夫です。もう帰るところでしたから」
リザンドロに気にしないように微笑んで、ニナはソファから腰を上げた。
「全然。ゆっくりしていいのに」
「いえ、お仕事のお邪魔してすみませんでした」
「いや、問題ない」
立ち上がる彼女へ邪魔ではないと否定はできたが、引き留める言葉をかけたのはリザンドロの方だった。
「また木曜日に」
「……ああ、また」
ニナがいたままでも問題はないものの、留める理由も浮かばないため、結局別れの挨拶を返すしかできなかった。フィリベルトは、去る彼女の足元へ視線を向ける。その靴底は、自分が贈ったヒールの高さの半分もなかった。彼女はまだ練習中らしい。
ドアが閉じるとともに、リザンドロに書類の不明点を問う。騎士団長であるため、王族や貴族からの書面に目を通すことがあるものの、彼は貴族的な婉曲表現に慣れきらない。持って回った表現が多いと、要点の読み取りにフィリベルトの力を借りることがままある。今回の書類も、格式を重んじる貴族役員の記入であったため、読み取りに苦戦していたようだ。
フィリベルトからの解説を得て、書類を理解したリザンドロは助かった、と感謝を述べる。毎度のことだというのに礼を忘れることがない彼に、フィリベルトも笑む。
それから、ふと空席となったソファに眼が向いた。
「お嬢ちゃんを門まで送ってやってもよかったんじゃね?」
その視線を追って、確認を頼んでなんだが、とリザンドロが選べた選択肢を教えた。
「それもそうだな」
自分でもそれぐらいはできた。フィリベルトは頷いて、執務室をでた。リザンドロが目を丸くしていることに気付かずに。
走ることこそなかったが、普段より少しばかり歩幅を大きくして歩く。いくらか経ってしまったが彼女に追いつけるかもしれない。彼女をみつけたらなんと声をかけるべきか。
途中から送るというのも変だろうか。何か適当な口実がないかとフィリベルトは思案する。今日は自分の執務室に直行してきたが、これまでは毒味のためにカルロのところに立ち寄っていた。カルロからうずくまっているところを心配して声をかけたのが事の始まりときいた。女性騎士は少なくほぼ男所帯なので、女性ひとりで騎士館にいれば目に留まりやすいことだろう。また他の団員に近付かれないとも限らない。婚約者以外の男といるところをみられるよりは、最初から自分が迎え送っておけば彼女の風評に傷はつかない。
今さらかもしれないが、これからはそうしようと決める。フィリベルトが今後含めての理由付けができたところで、王宮外壁の裏門がみえるところまで着いた。
裏門には門番の姿しかない。その門番がこちらに気付いて、小首を傾げている。彼女においつかなかったらしい。
それもそうだ、と気付く。行動を起こすのが明らかに遅かった。それにすぐ気付けずにいた。
踵を返して、執務室への道のりを戻る。途中で通りかかった訓練場で、ひとりの影に眼を止め、フィリベルトは彼を呼んだ。
「カルロ」
「副団長、どうしたんすか?」
訓練相手に断り、小休止をしてカルロはかけつける。念のための確認をしておきたかった。
「今日は、ニナ嬢を見かけたか」
「ええ!? 見てないっすよ! 今日だってニナさん、副団長のところ行ったんでしょ!?」
「ああ」
あらぬ疑いをもたれていやしないかと、カルロは全力で否定した。もともと糸目であるのに、力を込めてさらに細まった。さすがに忠告された後に上司の婚約者に自分から近付いたりはしない。調理に成功するようになったのだから、彼女とてこちらに寄る必要性は一切ない。
直行確認の肯定を受け、カルロは安堵する。
「副団長はいいっすよね。ニナさんみたいな可愛い婚約者がいて」
素直な独り身の羨みだった。恋人や婚約者ができたらやっかみのように羨望を浴びるのが、騎士同士ではよくあることで、フィリベルトも婚約してから何度となく耳にした。内容に違いはない。ただカルロは彼女を見知っているうえでの感想だ。
「可愛いと思うか」
「普通に可愛いでしょ。一途であんな風に可愛く笑ってくれる彼女ほしいっす」
「そういうものか」
ニナが彼の前でどんな笑顔をみせたのか、多少気になったが、一般的にも彼女は好感を抱くに値する事実をフィリベルトは認識した。モレロの婚約破棄後の想定が真実味を帯びる。現時点では自分の婚約者なのだから、やはり次の火曜日には裏門に迎えにいった方がよさそうだ。
内心でそんな算段をつけていたフィリベルトに、カルロは訊き返す。
「副団長だって、ニナさんが可愛いでしょ」
「まぁ、そうだな」
さきほどの執務室での様子を思い出す。自分の一挙一動でころころと表情を変える様は愛嬌がある。部下である団員の騎士たちに慕われるのとはまた違った心地だ。
理知的な上司にしては曖昧な回答に、カルロの疑問が増える。
「副団長って、ニナさんとどんぐらいデートしてるんです?」
「最低週に一度は」
「そんで、半年以上ですよね。嫌なことありました?」
「いや」
「それって割とすごいっすよ」
以前も似たような質問をされたな、と感じつつフィリベルトが答えていたら、カルロは糸目をわずかに見開いた。
「半年ってそこそこ長いじゃないっすか。どんだけ興味ない相手だとしても、一緒にいる分だけ嫌なとことか合わないなぁって感じるとこ見えてくるもんですよ」
良く思われたい相手を前にして装った部分があったとしても、ともにする時間が多ければ無意識の仕草や反応、価値観が目に付くようになる。その面を受け付けない場合、ともにいることに苦痛ないし疲労を感じるようになるものだ。
そのような負担が一切ないのであれば、十二分に好ましい相手といえる。
「だいぶ好きなんすね」
「そうなんだろうか」
「だから、なんで疑問形なんすか」
この上司はなぜ最後に肯定をしきらないんだろうか。カルロの方が不思議であった。
フィリベルトは、とうに自身から別れる選択肢が消えていることに気付いていない。彼に分かるのは彼女が傍にいても何ら不快でないことと、即座に想起できるほど彼女の笑顔が胸に残るようになったことだ。
きっと理由があれば彼女を引き留めていた。自分は職務に戻り、会話もはずませられないだろうに、どうしてそんな風に思うのか。
疑問を覚えつつ執務室に戻ると、唐突に席を外した彼をリザンドロが生ぬるい目で迎えたのだった。






