12.
月曜日、フィリベルトは外回りの日で王都の各所を巡っていた。
見回り体制に見直し箇所がないかや、気になる点や諸問題がないか各所を警邏する団員に確認する。
人命にかかわるような大きな事件はなくとも、スリなどの軽微な犯罪や事故など解決しなければならない問題は途絶えず発生する。対応の進捗などは実際に担当する者から確認した方がよいこともある。書類だけではなくその場に赴かないと気付けないこともあると、リザンドロと付き合ううちにフィリベルトも学んだ。
なんとなく感じたことなど、報告書に書かれない当事者たちの声や視点を知ってはじめて気付けることもある。その日も、あまり見ない赤毛の狐が最近徘徊しているため、食堂などのゴミが漁られているときき、別件で某伯爵家から逃げたという西方の大陸から取り寄せた魔物の捜索依頼の対象と特徴が一致した。被害状況が悪化した場合駆除する可能性もあったので、危うかった。報告書ではただ獣とだけ記載されていたのだ。
団員たちの過失という訳ではない。特徴的だったり動きに不審な点があれば、獣の詳細を記入はするだろうが、特筆すべき点がなければ最低限の記入になり事務処理時間の短縮が優先となる。知らない範囲のことは見落としですらないのだから。時折ある実地確認による気付きは付随的なもので、現場の団員の様子を知り交流することの方が主要な目的だ。
「次の前に寄ってくれるか」
かしこまりました、と御者が頷いたのを確認し、フィリベルトは馬車に乗り込んだ。伯爵邸出発時に巡回ルートは御者に共有していたが、念のため次の巡回先途中の立ち寄り確認をした。外回り中の立ち寄りを滅多にしないためだ。
昼食ですら、時間帯をみて巡回先付近で済ませてしまうフィリベルトだ。そんな彼が立ち寄ったのは、夜会の日に届いていた手紙の主の許だ。日曜日のうちに、会う日取りを今日と取り決めていた。
目的の邸へは行き慣れている。馬車が着き、玄関で使用人からの案内を受け応接室へ踏み入れると、行き慣れている理由とは別の人物がいた。
「忙しいだろうに呼び出して悪かったね」
トッリ男爵、モレロは朗らかに娘の婚約者を迎えた。
「いえ」
勤務中に時間をとらせたことをモレロはまず詫びる。それに、フィリベルトは問題ないと答えた。巡回行程はゆとりをもって組んでおり、多忙というほどでもないため時間はとれる。婚約者の父親から話がしたいと乞われれば、断る理由がない。
「ああ、あれを持ってきてくれるかい」
ソファに腰を落ち着けた二人の前に茶を置いたメイドに、モレロは申しつけた。そして、それはフィリベルトが紅茶を一口飲んだ頃、ほどなくして台とともに置かれた。台があるのは本来テーブルに置くものではないからだ。
「これに見覚えはあるかい?」
「はい」
確認され、フィリベルトは肯定した。見覚えも何も、彼自身が婚約者のニナへ贈った靴だ。誕生日にと乞われたものだったので要望されたドレスだけではなく、そのドレスに合わせた靴や装飾品含めて一式贈ったのだ。そのうちの靴だけが目の前にある理由は判然としない。
念のための確認に、モレロはよかったと安堵し、世間話の語り口で話しだす。
「ニナがすごく喜んでいてね。履かない日でも自分の部屋にこうして飾ってるんだよ。今は妻と買い物に行ってるから怒られないよ」
勝手に持ちだしたことを娘に知られては大変だとモレロはおどけてみせる。暗に、彼女がいないからこの話を聞かれる心配はないと告げていた。
ニナに知られたくない話なのだと、フィリベルトは理解する。
「僕はお洒落には疎いけど、後ろにリボンがあって可愛いよね。ニナに似合うものを選んでくれたんだろうね」
娘が気に入るのも当然だと、モレロは頷く。贈った当人であるフィリベルトはどう反応したものか弱る。
「この靴に似合うようになるんだって、家でも同じ高さの靴を履くようになって、ダンスの練習のときもね、よろけないように頑張ってるんだよ」
「え……」
ただの靴だと思っていたフィリベルトは、婚約者が慣れる練習をしている事実に虚を突かれる。驚く彼に、モレロは静かに微笑んだ。
「ニナはこんなヒールの高い靴を履いたことがなかったんだよ。贈り主はきっと、ニナの普段の靴の高さを知らなかったんだろうね」
フィリベルトはがつんと石で殴られたような心地を覚える。それぐらい衝撃だった。半年以上彼女と過ごしていながら、自分はそれを知らなかった。いや、彼女をみていれば気付けたことだ。それだけ自分が彼女と向き合っていなかった証明が今目の前にある。
使う色と流行りのものをとしか指定していなかったが、贈る前にフィリベルトは一式を自身の目で確認したのだ。靴も流行のデザインだときき、彼女にも似合いそうだったので問題ないと判断した。これがモレロだったら、ヒールの高さに気付けたのだろう。
ぐっと唇を引き結ぶ。気付けなかった自分が不甲斐ない。
ニナが一時的に記憶喪失になった原因も、不慣れな高さの靴を自分が贈ったためではないか。
「以前、彼女が階段を踏み外したのは……」
「ああ、違うんだ。それはほんとにニナがドジだっただけだよ」
過去の一件を責めたい訳ではないと、モレロは苦笑する。慣れない高さのヒールでいながら注意力散漫になる何かが娘にあったのだろうし、過ぎたことはどうしようもない。
自責の念で眉間に皺を寄せる娘の婚約者に、モレロはただ訊きたいことがあっただけだ。
「君は、ニナのどういうところを好いてくれてるんだい?」
フィリベルトは言葉に詰まった。
即座に返らないことに、モレロも確証をもつ。彼から申し出された婚約であるし、娘もとても喜んでいて、デートをした日の夕飯や翌日はどこに行ったかなどを嬉しげに話していたので最初は気にしていなかった。
ほんのわずかな引っかかりが重なり、少しずつ確信へ近付いていった。そうでなければいいと思いながら。
「フィリベルト君は、誠実だね。毎週デートして、プレゼントや花束も都度あってマメで、けど……ずっとそれが増えも減りもしない」
彼は規則正しすぎた。娘に恋しているのであれば、どこかでそのペースは崩れる。一目顔見たさに突発的な訪問や口実を作って頻度があがることもなければ、喧嘩をして気まずさに顔合わせづらくなることもない。後者はないに越したことはないが、想いあっての関係ならあり得ることだ。
「君は整った顔をしているし、きっと娘より綺麗な女性をたくさん見てきただろうと思う」
渋面が深まる彼をみて、モレロは正直な感想を口にのせる。
「ニナは普通の娘だ。突出したところはなくて、流行りにも乗りやすい」
商売の販路を拡げるために男爵位を得たモレロは、そんなニナだからこそ商品が流行るかを確認できて助かっている。女性向けの商品を展開するときは、事前に娘にみせて反応の具合で売れるか見極めているのだ。何の変哲もない娘だからこそできる一種の特技といえる。
一方で娘が誰かの特別となれる要素が少ない、容姿と知性に優れたフィリベルトと相反する、彼の魅力の前にはかすむような存在だとも理解していた。彼が好感のもてる点を即座にあげられないのがその証拠だ。
「けどね、僕にはそんな娘でもとても可愛い、誰よりも大事な娘なんだよ」
彼にとって価値が低かろうと、モレロには何よりも価値のある存在だ。
「たとえば、僕が強引に婚約破棄したら、ニナはすごく泣くと思う。でも、あの子は前を向けるようになったら、きっと新しい相手を見つけるんだ。それがかけだしの画家とかだったりしても、ニナを愛してくれる男なら僕は認めるし、あの子は苦労しても笑っていられるだろうね」
親である以上、不幸や苦労がない人生を送ってほしいという欲はある。だが、自分も妻に苦労させなかったかといえば嘘になり、辛いときに支えてもらったと感じる。病める時もと婚姻で誓うのは生涯をともにする覚悟を問われているのだ。
「だから、僕は、幸せにする約束より、娘に愛を誓ってくれる相手と添い遂げてほしいと願ってるんだ」
そのためなら、婚約破棄も辞さない。娘を泣かせる覚悟をもって、彼はフィリベルトと相対していた。
モレロは迫力のない男だ。家格も背も体格もフィリベルトの方が上回っている。けれど、フィリベルトは彼をとても軽視はできなかった。朗らかな口調で紡がれる言葉たちが、胸に重くのしかかかる。彼の深い愛情ゆえに。
「君は、ニナを愛してると言えるかい?」
「私は……」
決して嫌ってはいない。だが、婚約者をロクにみてこなかったと気付いたばかりのフィリベルトは断言できるほどの想いを持ち合わせていなかった。
「すぐに答えなくて大丈夫だよ。そうだね。一か月後、答えを聞かせてもらえるかな」
「はい」
気軽さを感じるほどの提案に対し、フィリベルトは重く首肯した。
僕ばかりが話して悪かったね、とモレロは眉をさげる。自分が返せる言葉をもたなかっただけだというのに。
「話せてよかったよ。ありがとう」
別れ際まで彼は微笑んでいた。責めることもなく、感謝を伝えてくるモレロに、たしかに彼女と父娘なのだと実感した。
深く礼をして、フィリベルトはトッリ男爵邸を後にしたのだった。






