11.
土曜日の夜、レゴリーニ侯爵邸へ次々と馬車が訪れる。パートナー同伴が基本なので、男女揃ってパーティホールへと案内されてゆく、さまざまな色のドレスは鮮やかで、来客数に応じて華やかさが増してゆく。
そんな彩りのひとりであるニナも、フィリベルトにエスコートされホールへ入場する。しかし、圧倒的に容姿の整ったフィリベルトの方へ視線が集まる。迎えにこられた時点でニナも彼に見惚れたので、女性陣のうっとりした視線も分かる。副団長の立場であることもあって、いくらか男性陣から妬みの視線もある。その地位に相応しい頭だけでなく、見目のよさもあるという非の打ち所のなさは、人によっては嫌味に映るのだろう。
それらの視線を涼しげな顔で受けるフィリベルトに、いつものことながら感心する。慣れているのだろうが、ニナは最初の頃は隣にいるだけで萎縮したものだ。しばらくして同性からの妬みの視線を除けば、逆に自分が注目されることがないと気付いてからは平静を保てるようになったが。
レゴリーニ侯爵をはじめとして、フィリベルトが挨拶回りをするのに付き合う。話題が騎士団に関するものがほとんどのため、令嬢のニナに意見を求められることは少なく、ただ婚約者として笑みを湛えているだけでいい。
「私と踊っていただけますか」
「はい」
挨拶回りが終わったあとは、曲の切り替わるタイミングでフィリベルトにダンスに誘われる。客の礼儀として楽しんでいることを証明するための一曲分。形式的な文句と解っていても、差し出される手に、言葉に、乞われているような響きを感じてニナは毎度胸を高鳴らせる。彼が自分からダンスに誘うのは、婚約者のニナだけなのだ。
「あの、今日のドレスはどうでしょう?」
ワルツのステップを踏みながら、ニナは話題を振る。無言で向き合っていると緊張しかしないからだ。アメジストの瞳に真っ向からみつめられると、頬が熱くなってしまう。
「グリーンスパングルのドレス、色合いとか尻尾みたいなスカートのデザインとか可愛いですよね。今、パッロケットシリーズが流行っているんですよ」
黄色と黄緑にツートーンのドレスは、スカートが後ろで尾のように長くなっている箇所があるデザインだった。話をきいてから、フィリベルトが周囲を見回すと黄色と黄緑、黄色と青など、確かにセキセイインコを思わせる色味のドレスの令嬢が多い。
「ああ、以前のものよりは似合うんじゃないか」
ニナが赤みがかった金髪なので、多少明るすぎる気もするが、彼女の瞳がエメラルドなので、彼女の色で統一感があるともいえる。
以前というのは、ニナが倒れて参加できなかった夜会のひとつまえ、夜の蝶というコンセプトの濃い紫のドレスだったときのことだ。肩など肌がでていたために、くしゃみをしてしまい無理をして着たことがバレバレだった。だから、彼女の誕生日が近かったこともあって、露出した肩にジャケットをかけながらフィリベルトがドレスを贈ると申し出たのだ。
「今回は似合っているが、そもそも、君の好むものや似合うものを着たらどうだ」
今後無理しないようフィリベルトが気遣ってした提案に、ニナはきょとりと目を丸くしてから、薄く笑んだ。
「それに何の意味が?」
ニナは微笑む。なぜそこで笑うのか、フィリベルトには不可解だった。
「フィリベルト様が誰でもいいなら、せめてお好みに合わせた方がいいじゃないですか」
自分に似合う服装かどうかなんて、彼に価値のないことだ。だって、彼の相手は自分でなくてもいいのだから。それなら優先すべきはフィリベルトの好みに寄せることだ。
彼の好みがわからないから、流行のデザインを着て、彼の反応を確認している。
夜の蝶のデザインはあなたを虜にするコンセプトで、今日のパッロケットシリーズのデザインには、小鳥のようにあなたの鳥籠に囲ってほしいというコンセプトのドレスだ。デザインに込められた意味まで知るはずもないと解っていながら、ニナは流行る理由を素敵だと感じてしまう。身に着けるどれかが、彼の好みに適うよう願って。
フィリベルトは胸が軋んだ。
彼女が主体性を捨てる選択の理由をきき、こんなことを笑って口にさせたくはなかったと気付く。選択させたのは自分だ。
似合うものや自分の好きなものを着てきても、フィリベルトは彼女を嫌いはしない。だが、その回答はきっと不足だ。彼女の行動を改めさせるに足る言葉が浮かばず、ニナに何も返せないまま一曲が終わった。
「ニナ」
「エリデっ」
ダンスホールから外れると、フィリベルトではなくニナに声がかかった。パートナーとともにいる親友を認めて、ニナの声が喜色に富む。
親友のエリデは、あとからフィリベルトの存在に気付いたように、気色ばんで挨拶を添える。
「こんばんは。いい夜ですね」
「ああ、よい夜だな」
「フィリベルト様、彼女はわたしの友人のエリデです。こちらは、パートナーのエミリオです」
「エミリオ・サンティスです。お目通りできて光栄です」
「ああ、ありがとう。よろしく」
騎士団副団長と直接言葉を交わせる機会は滅多にないと、エリデのパートナーは嬉しそうに挨拶する。エリデの眼差しは、ニナから紹介されている間も変わらない。二人もどうやらダンスを終えたところらしい。
「ねぇ、喉乾かない?」
「じゃあ、わたしが取ってくるわ。エリデはリンゴジュースよね。フィリベルト様は、白ワインでいいですか?」
「ああ」
「それじゃ、君の分が持てないだろう。俺がエリィの分を持つよ」
自分の分のドリンクももてるよう、エミリオがニナの付き添いを申し出た。恋人から受け取る方が親友も嬉しいだろうと、ニナは了承し、ドリンクコーナーへとともに向かう。その場には、フィリベルトとエリデが残った。
「何か?」
自分に向くときだけ険のある眼差しとなるエリデに、問う。女性から向けられるには珍しい種類の視線のため、フィリベルトには理由が浮かばなかった。
「誰でもいいなら、ニナじゃなくてもいいじゃない」
互いにニナの方を向いていたが、その言葉にフィリベルトはエリデの方を見遣る。
「ニナのために言うけど、アタシ以外には両親にも話してないわよ。アタシもあんたに興味ないし」
第三者に吹聴する気は毛頭ないとエリデは示す。フィリベルトの立場にも年齢にも敬意を払うつもりのない、明らかな敵視の理由に彼は得心がいった。
「そうか。やはり不満があったか」
「愚痴は零すけど、あの子、一度だってあんたの文句言ったことないわ」
意外で、アメジストの瞳をわずかに瞠目する。事情を打ち明けている相手には、さすがに自分に対する不満を告げていると思っていた。
エリデは、だからこの男が気に入らない。親友のニナは、いつだって自分が至らないからだと、努力が足りないからだとばかり。彼女の努力が実らない原因は、彼女のせいではないのに。
無駄に造作の整った男を睨みあげてから、エリデは親友へと視線を戻す。ニナはちょうどドリンクコーナーのテーブルで、目的のグラスを見つけたところで、自分の恋人と笑い合っていた。
「あの子は、どこにでもいる普通の子よ」
遠目にも分かる親友の笑顔に、エリデも自然と表情が和らぐ。
「けど、アタシには他の誰にも変わりができないただ一人の親友なの」
ごくありふれた容姿で、特筆したところもないのは平凡といえるだろう。けれど、エリデはあんなに誰かに共感しやすくいながら、陰口を囁きもしない同性を他にみたことがない。ニナは、一番信用できる友人なのだ。
「あんたは自分が選ぶ立場でいるみたいだけど、アタシからしたら、あんたみたいな甲斐性なし、ニナに相応しくないわ」
「……彼女は、いい親友を持っているな」
認めないと宣戦布告を受け、フィリベルトははかなく笑む。婚約者の親友からの言葉は手厳しいものばかりだが、ニナの代わりに責めてくれるのは有難くも感じた。彼女の両親からも分かるが、彼女は周囲の人々に大事にされているのだ。
彼の反応がエリデには面白くない。自分のような子爵家の小娘からの文句など、取り合わなければその程度の男だと親友に教えるのに。不敬な態度にも寛容で、苦言を聞き流すことなく真摯に受け止める。実に面白くない。
「助言、痛み入る」
「あの子を見もしないなら、本当に許さないから」
「肝に銘じよう」
この男のために苦言を呈したのではない、親友のためだ。なのに、助言と受け止められてしまい、悔しい。さきほどの飲み物の確認が、ニナが彼をちゃんとみているからこそ好みを特定したうえのものだとも気付いていないくせに。
彼が返答通りに意識改善をするなら、どれだけのものを見落としていたのか気付いて、猛省すればいい。
現時点では見直しようがないと示すため、エリデはふんと鼻を鳴らした。
そうこうしているうちに、ニナとエミリオが二人の許に戻ってきた。
「はい、エリィ」
「ありがと、リオ」
「フィリベルト様もどうぞ」
「ありがとう」
受け取り時点でまたエリデから鋭い視線が刺さる。婚約者の親友基準では、及第点の対応ではないらしい。フィリベルトは手厳しさを感じ、刷く笑みにほんのり苦さを滲ませる。
「ニナは、スパークリングの白にしたの?」
「えへへ。これなら飲みやすいから」
フィリベルト以外の三人は十七で、この国の飲酒可能年齢を超えている。夜会の参加権利を得る十六で可能となるのだ。
親友は飲み物が何か当てただけだが、選んだ理由に気付かれていると分かり、ニナは照れ笑う。フィリベルトの好む白ワインに近しいものだからだ。酒に飲み慣れていないニナでも、スパークリングワインなら飲みやすい口当たりなので、少しずつ飲めば飲みきれる。
酒が飲めるのだな、とフィリベルトは多少の意外さを覚える。大人びたデザインのドレスが合わなかった婚約者は愛らしさに寄った愛嬌の持ち主で、あどけなく少女の域をでない容姿だ。自ら進んで飲酒するようにはみえなかった。
「うちのエリィが何か失礼しませんでしたか? こいつ、気が強いうえ、ニナちゃんのこととなるとすぐ目くじら立てるから」
「いや、問題ない」
申し訳なさげにエミリオが待たせていた間のことを確認する。明らかにフィリベルトに対してだけ態度が悪い恋人が気分を害させていたなら、代わりに謝るつもりで。だが、フィリベルトは現在進行形の彼女の態度を含めて咎めるほどのものではないと返す。自分の方に改善点があるからこその態度を責めるなどお門違いだ。ならよかった、とエミリオは曖昧に笑む。恋人が何もしていない訳がないと分かってのことだ。
「なによ。リオは誰の味方なの」
「エリィの性格知ってるからこその心配だよ。これ以上余計なことしないうちに行くぞ」
わざと肩を怒らせるエリデを宥めながらエミリオが別れの挨拶をする。ニナとフィリベルトも楽しんで、と挨拶を返して、離れてゆく二人の背中を見送る。二人は、離れていく間も互いに言い合っていた。
「仲がいいんだな。婚約していないのが不思議なほどだ」
「ふふ、幼馴染で、ずっとあんな感じなんですよ。婚約は、エミリオくんが昇給して二人で暮らせるだけを稼げるようになってからって、話し合って決めているそうです」
「彼女は恋人にも手厳しいんだな」
そう口にしながらも、感情だけの勢いで事を進めないのは美点に感じた。現実的に相手との将来を考えているからこそ、二人で立てた指標だろう。
フィリベルトから親友の評価をきき、ニナはふふ、とまた笑う。
「素敵ですよね。羨ましいです」
遠目にも遠慮のない意見を交わし合っていることが分かる二人を見つめ、エメラルドの瞳に純粋な憧憬が宿る。そこに妬みの色が微塵もないことをみてとり、フィリベルトも同じく二人を眺める。
「そうだな」
フィリベルトも、自分より若い恋人たちを羨ましいと思った。自分がニナと同じ歳だったら、あの二人ほどでなくとも憧れに続く言葉があっただろうかと。自分に向く言葉がないことを不足に感じる。
不足を覚えたことを彼女に伝えたら、責めた言い方になりそうな気がして、肯定以上の言葉が続かない。
立場上、誰からも頼られる自分だが、婚約者に頼られたことがない。ニナから要望をきく日がいつかくるのか、今のフィルベルトには見当もつかなかった。
ワイングラスを口に運ぶと、よく冷えていた。爽やかな白ブドウの香りとのど越しのよさで、しばしの清涼感に満たされるのだった。






