10.
トッリ男爵邸をでたフィリベルトは、そのまま帰宅せず、騎士団館へ向かった。そして、迷いのない足取りで目的の部屋のドアを開けた。部屋の主がいつもするようにノックなしで。
「お前、今日休みじゃなかったっけ?」
団員から追加の書類を受け取りながら、騎士団長リザンドロは目を丸くした。上の者が休日出勤しては部下が休みづらくなると、火急の用がない限り休日は職場に立ち入らない。その点においてリザンドロとフィリベルトは意見が一致しており、休日はしっかり休む派だ。
だから、フィリベルトがノックもなしに騎士団長の執務室へやってきたのは緊急事態かと、その場にいた団員は身を固くした。
「そうだ」
肯定だけして先を続けないフィリベルト。自分はそうでもリザンドロが勤務中であることもあるが、彼以外が執務室にいることもネックになっているようだ。
言葉を続けない時点で業務と関係のない用だと察したリザンドロは、強張る団員の肩をポンと叩く。
「休憩入れるから、珈琲ふたつ頼めるか」
「わかりました」
その一言で、休憩で話すような案件と察し、団員は緊張を解いた。了承して、珈琲のマグカップをソファ前のテーブルにおいた後、下がる。
普段と違い無遠慮に入ってきた割に、フィリベルトは肩幅に開いた膝の上に拳をおいて背筋をのばし、難しい顔をしている。珈琲にも手をつけない彼に対して、リザンドロは背もたれに肘をおき、ゆるりとソファにくつろぎながら珈琲を飲む。
「今日デートじゃなかったっけ」
時計をみると、婚約者とのデートの最中でもおかしくない時刻だった。切り上げるにしては早いのでは。切り上げるだけるだけの何かがあっただろうと察したうえで、リザンドロはその事実を口にのせる。
「……知っていた」
「ん?」
「彼女は見ていたんだ。私が封筒をどう選んだか」
「あぁー」
なるほど、とリザンドロは事態を理解した。それなら先日の彼女の反応も得心がいく。それはさぞ自分の態度は感じが悪かっただろうと、リザンドロは申し訳なく思った。
「お前が女泣かせなのは今に始まったこっちゃないが、今回は婚約者だもんなぁ」
「違う。彼女は笑っていた、ずっと」
容姿の良さで寄ってくる女性たちを断っては、泣くなり怒られることにはフィリベルトも慣れている。いつものことであり、そういうときほど同情で情けをかけてはならないとも理解している。甘さをみせては、つけ入れられるからだ。
「だから……、私は謝罪も叶わなかった」
リザンドロは意外に感じた。婚約者のニナの反応以上に、目の前のフィリベルトが。
「私なりに礼を尽くそうとしていたつもりだったが、これまでに不足があった気がしてならないんだ」
定期的にデートをし、贈り物をし、夜会のパートナーとして同伴を頼み、選んだ以上は彼女を婚約者として扱ってきた。
想いを返せなくとも、それで充分だと思っていたのに、違和感がある。その原因が自分では分かりようもないのがもどかしい。だから、リザンドロを頼ったのだ。
「謝りたいと思ったんだ?」
「ああ」
生真面目に頷くフィリベルトに、リザンドロは内心面白くなる。真剣な相談なので顔にはださないが。
リザンドロは、最初から無茶だと踏んでいた。いくらこれまで令嬢から送られる秋波に辟易していても、この誠実な男が他人を利用したままで良心の呵責を覚えない訳がないのだ。相手がニナのような善良な人間ならなおさら。
「そう自分を責めるな。変えれん過去ばっか見ずに、そう思えるだけの相手ができたことに目を向けろ」
呵責を覚える理由を特定したくて訪ねてきたと分かっていて、リザンドロはその答えは与えない。具体的に教えてやって、フィリベルトの望むように責めてやることもできる。だが、彼が自身の心境の変化を自覚しなければ、真にニナに対する過失を理解できないだろう。
求めた回答を得れず釈然としないフィリベルトに、笑って激励を贈る。
「絆されたにしろ情が湧いたなら、いいことだ」
「情……?」
もともと婚約者に非情な対応をしようと思ったことはない。それに情だけでここまで苦しさを感じるものなのだろうか。拳のままの手を胸元に当て、フィリベルトは首を傾げる。ニナと話しているうちに、自分の周囲だけ空気が薄くなったような心地を、情で片付けてよいものか。
それも含めて理解してゆけという助言なのだろう。
迷子のようなアメジストの瞳を向けられ、リザンドロは嘆息して、ひとつだけ助言する。
「もう少しお嬢ちゃんを見りゃいい」
そうすれば今は分からない、どうしたらいいのか、の答えが自ずとでる。
自身のもつマグカップを掲げてみせると、フィリベルトはようやく珈琲に口をつけた。多少ぬるくなっていた。きっとでたタイミングがちょうどよい温度になるよう淹れられていたのだろう。飲むまで部屋に漂っていた珈琲の香りにすら気付けずにいた。
落ち着くはずの香りも忘れるほど余裕のない行動をしていた自分をふがいなく感じながら、フィリベルトは珈琲を飲みながら、自身を省みる。
冷静を取り戻したからこそしかめっ面でマグカップの中身を干す彼に、リザンドロは苦笑する。放っておくとどこまでも自身を責めそうだ。
気付いていないのだろうか。打算だけで利用し続けることに根をあげはしたが、不毛だと婚約の解消を選択していないことに。
替えの利く婚約は、誠実さだけで継続を望む関係ではない。
今でも割と面白いが、行動と選択の理由を自覚したときどれだけ面白いことになるのかと、リザンドロは内心楽しみにするのだった。






