09.
木曜日、花束を添えて籠をニナへ返した。その際に、フィリベルトは言付かった謝罪を伝える。
「先日の件をリザンドロが詫びていた。どうやら私が嫉妬しないように、ニナ嬢を呼ぶことをあえて避けていたらしい」
理由をきき、ニナはきょとりと目を丸くした。それから、ころころと笑いだす。
「なんだ。フィリベルト様がそんなことを気にする訳ありませんよね」
「ああ……、そう、だな」
同意を求められた頷きは、なぜかぎこちないものになった。自分が嫉妬するはずがないという断定に違和感を覚えた。
「そんな気遣いは不要だとリザンドロ様もご存じなのに」
妙な気遣いをするものだと可笑しそうにするニナ。確信の根拠は、リザンドロも承知のことだと。一体何を? 違和感が増す。
「あいつが何を知って……?」
「え。だって、誰でもよかったと分かっている方じゃないですか」
フィリベルトが適当に抜き取った封筒をひろげていたのはリザンドロだ。フィリベルトの婚約理由に事情通なのはまさしく彼だろう。
言葉を失くすフィリベルトに、ニナは小さく笑う。特に不思議でもないことで彼の表層の笑みをはがせるとは思っていなかった。
「お茶の用意できてます」
そう茶の席へ誘う婚約者の笑みが、フィリベルトは理解できなかった。彼女はなぜ笑っているのか。
応接室へ案内され、二人がテーブルの席につくと、メイドが紅茶をティーカップに注ぎ、それぞれの前においた。お茶請けに二~三枚のクッキーの小皿が添えられる。香りを楽しみながら飲むニナに対して、フィリベルトはどう切り出すか考えあぐねながら紅茶を口にした。
「……いつから、」
知って? 気付いて? どう問うか言葉が続かない。弱るフィリベルトに、ニナは事もなげに答える。
「偶然見かけただけです。けど、婚約を申し込まれた後だったとしても、あの封筒のなかのどなたでも気付きますよ」
選ばれたのが他の封筒の主でも、いずれは気付く。だって、あの封筒の令嬢たちはみんな、自分と同じく彼を好きなのだから。
婚約の申し出をする前から、当時の現状にうんざりするあまりの行動を目撃したうえでと知り、フィリベルトは驚愕する。
「なぜ、受けたんだ」
おかしなことを訊くものだとニナは笑う。
「フィリベルト様も断られるはずがないと分かっていたじゃないですか」
自分を好いている女性だから受け入れると確信をもって婚約を申し込んだのは彼だ。そして、それは事実で、きっと誰もが利用されることを承知で頷く選択だった。想っているから想いが返らないことに気付くし、好きだから想いが利用されても傍にいようとする。ニナにとっては、ごく自然なことだ。
「君、は……怒らないのか?」
責めない婚約者が不可解でならない。怒りもせず笑んでいる。言葉に険もなく、彼女の口からでるのは嫌味ですらないのだ。どうして自分を責めないのだろう。
そんなに変なことだろうかとニナは小首を傾げる。
「好きな人の隣にいたいって、ごくありふれた気持ちじゃないですか」
好意があるなら婚約者、ひいては妻の座を与えることが利益なると踏んで、封筒たちのなかから選んだ時点でフィリベルトは、気付かれてもどうとでもなると思っていた。なのに、いざその事態に直面すると次の行動が浮かばない。彼女の反応が想定のどれでもなかった。
憤って詰るでも、唯一の座に胡坐をかいて驕るでもない。何かしらの要求がある方が対処しやすいのに、彼女は理解したうえで現状を受け入れていた。
お茶会の場に相応のただおだやかな空気が流れている。
そのおだやかさをフィリベルトは享受しかねる。彼女は乞う相手の傍らを望み、自分は家督を継ぐ条件を満たせる、相互利益は成り立っている。想いの比重の違いを指摘し責められない限り、謝罪の機会すらない。謝罪も許されない状況に、息苦しさを覚える。
そうだ。彼女は謝らせてくれない。
記憶を失っている間ひとり涙伏せさせたことも、彼女の想いを利用していることも。フィリベルトは知らず拳を作り、強く握り込む。
「フィリベルト様……?」
言葉少なになり、表情が険しくなってゆく婚約者をニナは心配する。そういえば紅茶があまり飲み進んでいない。茶葉が合わなかっただろうか。それとも、体調がすぐれないのか。
「もしかして、お仕事でお疲れなのに無理していらしてくださったんですか? よかったら、そこのソファで横になって……」
「いや」
顔色を悪くしながらも、フィリベルトは堅く断った。自分だけが感じる息苦しさから逃れるため、席を立つ。
「申し訳ないが、今日はお暇させてもらっていいだろうか」
「はい。どうぞ、ゆっくり休まれてください」
体調不良と思っているのだろう、心配げな婚約者の眼差しに、フィリベルトの気まずさが増す。
「明後日だが、レゴリーニ侯爵主催の夜会に招待されていて、父の代行で参加する。予定は空いているだろうか」
「わかりました。支度しておきます」
騎士団への支援もしてくれている侯爵なので、自分が挨拶した方がいいだろうと父の伯爵から参加の権利を譲られた。伯爵家の嫡子としても、騎士団副団長としても参加必須の夜会だ。
事務連絡めいた同伴の誘いに、婚約者の役目を理解しているニナは了解した。
最低限必要だった約束をとりつけ、玄関まで見送らなくていいとこの場で別れの挨拶をする。
「フィリベルト様、お花ありがとうございました」
「ああ……」
応接室のドアに手をかけたフィリベルトへ、ニナは感謝を込めた笑みを浮かべた。彼女からはいつも感謝が返る。そんなことに気付く。
ドアを開けた先に、ちょうどニナの父親のモレロがいた。
「あれ? もう帰るのかい?」
ゆっくりしてゆけばいいのに、と朗らかなモレロに、フィリベルトは会釈をする。
「はい、失礼します」
堅い声音の挨拶で去る背中を、モレロは玄関から消えるまで眺め、顎に手をやり人差し指で撫でる。妻に似合わないといわれ髭の剃り残しがないか確認するクセがついていた。
「ふむ」
撫でる指腹に剃り残しの引っかかりはなかったが、別の引っかかりを覚えるトッリ男爵だった。






