第6話
side:名もなき将校
あっ……殿下だったのか……ん?でも、なんで皇子殿下がこんなところに?いや、来るのは来られるかもしれないけど、なんで戦ってるの?あなたたちのような人は戦わないじゃない?それに、戦っちゃいけないんじゃない?
「そ、そうでございますか。ええと、ここでお話しするのもなんですし、とりあえず幕舎に移動されてはいかがでしょうか、殿……いえ、あ、いや……閣下」
皇子殿下は分かったと答え、将軍は殿下の了承を得てから、まず負傷者と戦死者を運び出し、生存者を把握するなど部隊を整えた後、殿下と共に指揮官用の幕舎へと向かった。俺はその様子をぽかんと眺めていたが、直属の上官がやって来て俺の後頭部を叩いた。
「おい、お前本当に死ぬかと思ったぞ。無事でよかったな、この野郎」
「ええ。私もてっきり死ぬと思ってました。でも……あの、さっき死にかけた時にどうやって助かったのか、見てましたか?」
「は?お前気づいてなかったのか?皇子殿下に助けられたんだぞ?」
「殿下に?」
「ああ。あまりに速すぎてよく見えなかったけど、お前のその岩のような頭を斬ろうとした敵の剣を弾いて、そいつを蹴り飛ばして吹っ飛ばしてたぞ」
「そうだったんですか。でも、さっき本人は自分が皇子じゃないって言ってませんでした?」
俺の問いに上官は、なんだこの馬鹿はという顔で答えてくれた。
「アホか。あれはな、俺たち部隊を気遣ってくれたからだろ。戦い終わって疲れてる俺たちが、余計な準備で力を削がれたり、指揮系統が乱れたりしないように、自分は部外者だってことで余計な干渉はしないって言ってくれたんだよ、この岩頭が」
「指揮系統が乱れるって、どういうことですか?」
「お前な、部隊の指揮官クラスってのは、陛下から直接任命されてるんだぞ?そのすぐ隣に皇族がいたらどうなると思う?」
「えーっと……何をするにも毎回お伺いを立てなきゃいけなくなりますかね?」
「そうだよ!そうなるとお互いにやりにくいだろ?迅速な判断もできなくなる。だから殿下は、部外者ってことにして、いちいち報告もいらないし、自分も口出ししないって姿勢を示してくださったんだよ」
「はあ……なんかすごいですね」
「当然だろ!あの圧倒的な戦闘力もそうだし、高い地位にいながらも、俺たちみたいな者にまで気を配ってくれてよ。正直、殿下が来てなかったら俺たちは全滅してた」
「はい、それはよく分かってます。特に私は確実に死んでましたね」
「だろ?ハハハ!」
上官は嬉しそうに笑っていたが、俺は少し違うことに興味が向いていた。
もしかすると、ああいう高い地位にある人の言動を見れば、俺がずっと疑問に思ってた“戦う理由”について、少しでも答えが見つかるんじゃないかと思ったんだ。
でも、その期待は見事に裏切られた。皇子殿下がしていた行動といえば、派手な鎧を脱いで、泥だらけの一般兵の服に着替えて、一人であちこち回ってただけだった。
兵の見張り所を見に行ったり、療養所を訪れたり、参謀たちの会議を見守ったり。
そうして回っていた殿下は、いなくなったことで騒ぎ出した将軍たちに見つかって幕舎に連れ戻されたんだけど、その姿はどう見ても俺が思い描いていた、あるいは普通に想像する“皇族”とは全く違っていた。
こっそり後をつけていた俺は、将軍たちに囲まれながら、殿下が突然こんなことを尋ねられるのを目にした。
「閣下は、この戦争についてどうお考えですか?」
その瞬間、まるで場の空気が凍りついたように静まり返った。他の将軍たちは、その質問をした将軍に対して非難の視線を向けていたが、本人も殿下も、そんなことを気にせずただ静かにお互いを見つめていた。俺も同じだった。
「その質問には、今すぐ答えられそうにありません。ただ……申し訳ないという言葉と、最善を尽くして早期に戦争を終わらせられるよう努力するという言葉しか、お伝えできません」
「い、いえ……こちらこそ、余計なことをお聞きしてしまい恐縮です。ですから、どうか……どうか顔をお上げください!」
頭を下げて答えた殿下の姿に、他の将軍たちも、その質問をした当人も動揺していた。俺も同じく呆然としていた。
頭の中では、“皇子が我々に頭を下げたこと”、“申し訳ないと言ったこと”、“早く戦争を終わらせるよう努力するという言葉”がぐちゃぐちゃに混ざり合って、何が何だか分からなくなっていた。
この、説明のつかない、どう表現すればいいのかも分からない、心の底から込み上げてくる感情は、一体何なんだろう。
後で知ることになるが、殿下をはじめとした皇族たちは、当初から戦争に強く反対していたという。ただ、戦争を望んだスートンヘッドという国内最大の派閥の力があまりにも強大で、彼らはメディアや、今は解体された情報局を牛耳って国民を扇動し、利用したため、結局戦争は防げなかったそうだ。
あの日の謝罪は、戦争を止められなかったことへの謝罪だったのだろうか。
俺は、今こうして戦っていることの“確かな理由”をまだ見つけられていない。偉い人が頭を下げて謝ったからといって、すべてを水に流せるほど単純な人間ではない。
だが、残された家族たち、あるいは、これから生まれるかもしれない自分の子どもたちが、ああいう人の統治する国で生きていけるのなら――それは戦う理由とは言えなくとも、少なくとも正気を保って耐え抜く理由にはなるんじゃないだろうか。
まあ、命の恩人だしな。
くそ、もう一戦付き合ってやるよ。だから頼むぞ、殿下。早く、この戦争を終わらせてくれ。
side:エラール
約3年にわたり長期化していた戦争が、ようやく終わりを迎えた。
少しでも役に立ちたくてあちこち顔を出してみたけど、毎回「邪魔だから帰ってくれ」と言われるばかりで、やっぱり誰かの助けになるには、それなりの才能が必要なんだなって痛感した。
戦争は思いもよらない形で終わった。
外祖父が率いていた情報局が、何か大きなことをやらかしたらしい。
かなり悪いことをしたと聞いたけど、戦争って、それくらい人を狂わせるものなんだろう。
うん、やっぱり戦争は悪だ。
ともかく、終わってよかった。
弟たちも、もう不穏なニュースを聞かされずに済む。
そういえば、この3年間、あまり弟たちと会えなかったな。
学校の休暇中だけ一時的に皇宮に戻ってくるけど、それでも顔を合わせる機会は数えるほどしかなかった。
なんだか、毎回俺が会いに来るタイミングだけ弟たちがいなかったり、運悪くその日がちょうど学校に戻る日だったりして……もしかして、俺、避けられてる?
まあ、弟たちももう12歳だし。
そろそろ兄の腕の中から離れ、思春期に突入する年頃だよな。
理解はできるけど、やっぱり寂しいものは寂しいな。
このままじゃ、もう抱きしめてもくれなくなるし、話しかけてもくれなくなるのかと思うと、急に気分が落ち込んでしまう。
とはいえ、別の話をすると、弟たちは成長とともに、世間にその才能と美貌をどんどん発揮し始めた。
まだ12歳なのに、エピオンはその年齢とは思えないほどの美男子で、ティラミスは「東亜帝国の花」と呼ばれ、すでに2人には縁談の話が来ているらしい。
どれだけ可愛くて愛らしくて抱きしめたくてかじりたくなるほど愛していても、まだ12歳だぞ?
縁談とか、正気か?
同年代の子ども同士の婚約ならまだしも、大人たちがそんな話を持ってくるなら――
寝てる間に変死したくなければやめとけって話だ。
人の命は尊い。
軽々しく死に至らせるようなことはしてはならない。
念のため、しつこく縁談を迫ってくる貴族どもには、夜こっそり忍び込んで枕元に剣を置いてきた。
メモでも残そうかと少し考えたけど、理由がバレると意味がないからやめて、代わりに壁に警告だけ書いておいた。
幸い、すぐに静かになった。
子どもは自然に仲良くなるのが一番だ。
大人たちの都合で、俺の弟妹が利用されるなんて、絶対に見過ごせない。
でも、それにしては、2人とも学校で彼氏や彼女ができたという話は聞かないな。
あの外見と性格、才能を考えれば、絶対1人や2人はいたはずなのに……
もしかして、また俺だけ知らない?
いや、もっと正確に言えば、除け者にされてる……?
別に、寂しいとか孤独だとか思ってるわけじゃないけど、
他の家族がもし俺のことを「面倒くさい」と思ってたらどうしよう……。
どうせ次の皇帝はエピオンで確定してるんだし、兄弟の手に血を付けたくないなら、自分から出て行けってことなのかな。
前世でも似たようなことがあってよく知ってる。
大人になった後、叔父さんと叔母さんに「早く家を出て行け」って、あからさまにプレッシャーかけられた記憶がある。
もちろん、妹と俺はその2人に止められても家を出るつもりだったし、実際そうしたけど――
やるなら早い方がお互いのためだってことを、その時に学んだ。
今はその時とは違って、家族と一緒に暮らせるこの時間が大好きだけど、
他の家族からすれば、俺はいつか「処分」しなきゃいけない存在に過ぎないんだよな。
考えてみれば、兄弟の手を汚させるのも可哀想だし、
いっそ自分から出て行った方が、よっぽどいいのかもしれない。
幸い、子どもの頃から鍛えてきたおかげで、飛び抜けてはいないけど、どこへ行っても飢え死にはしない程度の力はあるし。
まあ、正直死んでも未練はないんだけど、
死んでまで家族に迷惑をかけるのは嫌なんだ。
「皇子様が道端で野垂れ死に」なんてニュースになったら、事情を知らない人たちは残された家族を誤解するかもしれないし。
だったら、数年以内に皇都をこっそり抜け出して、まるごと他国へ逃げちゃうのもアリかもな。
もちろん、正体は隠さなきゃいけないけど、確実に死ぬより「失踪」のほうが、色々と後始末しやすいってどこかで読んだ気もするし。
前世と比べれば、選択肢は多いな。
戦後処理が落ち着いたら、そういうことを考えながら、逃亡計画の研究に時間を使っていたある日。
皇宮が日に日に騒がしくなっていた。
何かと思って部屋を出て周囲を歩いてみたら、どうやらパーティーが開かれているようだった。
そっと部屋に戻る。
びっくりした。
最近うるさいと思ったら、そんなのやってたのか。
当然のことだけど、俺には招待状なんて来てない。
だったら、下手に出ていって厄介者扱いされるわけにはいかない。
両親はどうせ「風邪を引いた」か「ちょっと出かけている」って説明してるだろうし、
今出て行ったら両親が気まずくなるだけだ。だから、いつも通り大人しく部屋にいよう。
さっきから鼻がムズムズするし、本当に風邪ひいたかも。
ちょっと気分転換に窓を開けてみた。
もちろん、誰かに気づかれないように電気は消しておいたんだけど――
運が悪いことに、窓を開けた瞬間、誰かと目が合ってしまった。
……最悪。バレてないといいけど。暗いし、きっと見えてないはず……。
「何してるんですか?」
慌てて顔を背け、部屋の中へ歩き出した。
その時、背後から声が聞こえてきた。
俺が振り返れなかったのは、頭をよぎったある考えのせいだ。
……この部屋、3階なんだよな?
「ねえ、無視しないで顔を見せてくれませんか?」
どうしよう……に、逃げるべきか?
でもドアから出たら、俺がここにいたってバレるし、
窓はあの幽霊(?)が塞いでるし……
幽霊ならすり抜けられるかもしれないけど、もし実体があったらどうする?
「失礼ですが、とりあえず中に入ってもいいですか? 外は思ったより寒くて……」
幽霊って、寒さ感じるの?
あ、でもこれ、あれじゃない?
「中に入るには住人の許可が必要な幽霊」って話、あったよね。
「もう、どうでもいいや。ちょっと失礼しますね」
……え、普通に入ってきた!? あの話、ウソだったのかよ!
「なんで部屋、こんなに真っ暗なんですか?」
そう言って指をパチンと鳴らした瞬間、
部屋中のロウソクに火が灯り、一気に明るくなった。
や、やばい!
慌てて振り返って、火を消してほしいと叫んだ。
「えっ、第1皇子様……!? ひ、火ですか? け、消しますっ!」
幽霊(?)が指を鳴らすと、部屋はまた真っ暗になった。
どうか誰にも見られていませんように。
「か、舌噛んじゃった……うぅ……」
さっき一瞬見えた時に思ったけど、この子……やっぱり幽霊?
じゃあ今、俺の部屋で何してるんだ……?
「もしかして、火を消してって言ったのは……そ、その……そういう意味ですか? で、でも私たち、今さっき会ったばかりですし、そういうのはもう少しお互いのことを知ってからじゃないと……」
……この女、何言ってんの?
誰が誰と何をどうしようってんだ?
なんで主語を抜かして話すんだ?今時それが流行ってるのか?
前世でも、わざと略語使ったり母国語と外国語を混ぜて話したりする変な話し方が流行ってたけど、それに似てるのか?
俺はそういうの、誰とも話さなかったから試したことなかったけど、ちょっと興味はあった。
じゃあ、今回やってみようかな。
「い、いえ……でも、あまりにも急で……いえっ!嬉しくないわけじゃないんですけどっ!」
あー、なるほど。
流行ってる会話を試してみたいけど、一人じゃできないから相手を探してたのか。
めちゃくちゃ喜んでるな。
正直、その気持ち……骨の髄まで分かるから、ちょっと付き合ってあげようかな。
「そ、そんなこと言われたら……そ、それって……うぅ……」