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処刑前日

 牢獄の薄暗い石壁に背中を預けながら、私は昨日からずっと一つのことを考え続けていた。セレナの狂気めいた正義感、あの異常なまでの処刑への執着。何かがおかしい。アニメの中のセレナは、もっと慈悲深く、複雑な感情を抱く魔法少女だったはずなのに。

 そして、アレクサンダーの複雑な表情。昨日の処刑宣告の場で見せた彼の戸惑いと困惑。かつて愛していた女性の処刑を、ただ黙って見ているしかない彼の苦悩。

 冷たい朝の空気が鉄格子を通して肌を撫でていく。今日は処刑前日。最後の朝だった。


『おはようございます、雪音』

 エリザベートの声が、昨日から変わっていた。馴れ馴れしさではなく、深い信頼に基づいた親しみがそこにはあった。

(おはよう、エリザベート。よく眠れた?)

『眠れませんでしたわ。でも、不思議と恐怖はありません。あなたがいてくださるから』

 私の胸が温かくなった。わずか三日間で、私たちの関係はこれほどまでに変わったのだ。


『昨日、アレクサンダー様をお見かけしましたわね』

 エリザベートの声に、もう昔のような切ない響きはなかった。

『以前でしたら、あの方の前で恥ずかしい姿をさらすことに耐えられなかったでしょう。でも、昨日は違いました』

(どう違ったの?)

『あの方の目に映るわたくしがどのような存在であろうと、もうかまいませんの。わたくしには、あなたという真の理解者がいますから』

 エリザベートの声に、確固たる意志があった。恋への執着から解放された、新しい強さがそこにはあった。


 私の中で、一つの可能性が閃いた。

(魂分離の術……)

『何ですって?』エリザベートの声が私の思考に反応する。

(この世界には、魂を肉体から分離させる禁断の魔法があるでしょう? もしそれが使えたら……)

『まさか』エリザベートの声が震える。『そんな危険な魔法を考えているのですか?』


 それはエリザベートの記憶の中に眠っていた、古代魔法の一つだった。本来は死者の魂を肉体から解放するために使われる儀式的な魔法だが、生きている人間に対しても理論上は使用可能とされていた。

(処刑を免れる最後の手段よ。魂を分離して肉体から逃がすことができれば……)


『でも、雪音』エリザベートの声が沈んだ。『その魔法では、一度に一つの魂しか分離できません』

 私は愕然とした。

『つまり、わたくしたちのどちらか一方の魂は、この肉体に残って処刑されることになります』

(そんな……)

『あなたが分離すれば、わたくしが処刑される。わたくしが分離すれば、あなたが処刑される。二人が助かる道は……ありませんの』


 私は絶句した。確かに、それでは根本的な解決にはならない。どちらか一方を犠牲にして、もう一方が生き延びるだけだ。

(それじゃあ意味がない……)

『ええ。だから、わたくしはこの魔法をお勧めできませんの』エリザベートの声が真剣になる。『他にもリスクがあります。失敗すれば、私たちの魂は霧散してしまう。そして、たとえ成功したとしても、魂が分離している間は肉体は無防備になります』

 私は深く考え込んだ。確かに危険な賭けだった。しかし、このまま処刑されるよりは、可能性にかけてみる価値があるかもしれない。


(エリザベート、正直に聞かせて。セレナのあの異常な様子について、あなたはどう思う?)

『正直に申し上げれば……あの女は確かにおかしいですわ』

 エリザベートの声に、困惑が混じっていた。

『以前のセレナは、確かに正義感が強い魔法少女でしたが、同時に慈悲深く、敵であるわたくしに対しても一定の敬意を払ってくださっていました』

(でも、今は?)

『まるで別人のようですわ。わたくしを処刑することに、異様な執着を見せている。まるで……』

 エリザベートの声が止まった。

『まるで、個人的な恨みがあるかのように』


 私はため息をついた。確かに、セレナの変貌ぶりは異常だった。しかし、今はそれを詮索している余裕はない。

(エリザベート、実は……一つだけ、最後の秘策があるの)

『秘策?』

(詳しくは言えないけれど、魂分離の術を使った方法よ。ただし……)

 私は言葉を選びながら続けた。

(成功の保証はないし、大きなリスクを伴う。それに、もし実行するとしても、明日の処刑台でしかできない)

『処刑台で? なぜですの?』

(多くの人々の前でないと意味がないから。でも、失敗すれば私たちの魂は確実に霧散してしまう)


 エリザベートが長い沈黙を保った。

『……詳細を教えてくださらないのですね』

(ごめん。でも、もし教えたら、あなたは絶対に反対するから)

『それほど危険な策なのですか』

(そうよ。だから、明日まで詳しいことは言えない。ただ、一つだけ約束して。何があっても、私を信じて協力してほしいの)


 その時、牢獄の扉が開いた。現れたのは、私が予想していなかった人物だった。

 アレクサンダー王子が、一人で牢獄に立っていた。

『アレクサンダー様……!』

 エリザベートの声が震える。しかし、そこには昔のような甘い響きはなかった。驚きと、そして微かな警戒があった。


「エリザベート……」

 アレクサンダーの声は重く、その表情には深い苦悩が刻まれていた。金髪に碧眼の美しい王子は、以前と変わらず端正だったが、その瞳には疲労と迷いが宿っている。

「話がある」

 彼は牢格子に近づいてきた。その動きには、かつてのような優雅さはなく、むしろぎこちなさがあった。


「君は……変わったな」

 アレクサンダーの言葉に、私は身構えた。

「昨日の宣告の場での君の姿を見て、驚いた。あれほど素直に謝罪をする君を見たのは初めてだった」


 私は慎重に答えた。

「人は……変わることができるのよ、アレクサンダー」

 私の言葉に、アレクサンダーは複雑な表情を浮かべた。

「そうかもしれない。しかし……」

 彼は言葉を選ぶように続けた。

「君がどれほど変わったとしても、犯した罪の重さは変わらない。十七人の命は戻ってこない」

『その通りですわね』

 エリザベートの声が静かに響く。

『アレクサンダー様の仰る通り、わたくしの罪は消えません』

(エリザベート……)

『でも、それでも構いませんの。わたくしは、もうこの方の愛を求めていませんから』


 アレクサンダーは私の沈黙を見て、続けた。

「だが、セレナの態度には違和感を覚える」

 私は驚いた。アレクサンダーも、セレナの異常性に気づいているのか。

「正義感が強いのは彼女の美点だが、昨日の様子は……度を越している」

 アレクサンダーの声に、困惑が混じっていた。

「まるで、君を処刑することに個人的な快感を覚えているかのような……」

 私の心臓が跳ね上がった。アレクサンダーの観察は鋭かった。

「だから、君に聞きたい」

 アレクサンダーは真剣な表情で私を見つめた。

「セレナの異変に、心当たりはないか? なぜ彼女が君にそこまで強い敵意を抱くのか……」

「私にも……わからない」

 私は曖昧に答えた。

「でも、確かに彼女の様子は異常ね」


 アレクサンダーは失望したような表情を浮かべた。

「そうか……」

 彼は振り返りかけたが、再び私の方を向いた。

「エリザベート、最後に一つ聞かせてくれ」

「何でしょう、アレクサンダー様」

「君は……後悔しているのか?」


 アレクサンダーの問いかけに、私は深く考えた。これは、エリザベート自身が答えるべき問いだった。

『ええ』私はエリザベートの心を代弁した。『深く後悔しています』

 その言葉を、私はそのままエレクサンダーに伝えた。

「深く後悔しています」

「十七人の命を奪ったことを?」

 エリザベートの想いを感じ取り、私は続ける。

「それも含めて……全てを。あなたを失ったことも、人々を傷つけたことも、自分の心を見失ったことも……全て、後悔しています」


 アレクサンダーの表情が変わった。その瞳に、微かな安堵が浮かんでいる。

「そうか……」

 彼は安堵のため息をついた。

「君がそう言ってくれて……少し、救われた」

『アレクサンダー様……』

 エリザベートの声に、もう恋愛感情はなかった。しかし、一人の人間として彼を思いやる優しさがあった。


「ありがとう、アレクサンダー」私は微笑んだ。「あなたが来てくれて……嬉しかった」

 アレクサンダーは複雑な表情で頷いた。

「君の処刑を止められなくて……すまない」

「いいのよ。これは私が選んだ道だから」

 私の言葉に、アレクサンダーは驚いた表情を浮かべた。

「選んだ道?」

「ええ。たとえ処刑されても、最後まで人間らしく生きると決めたの」

『そうですわ』エリザベートの声が力強く響く。『わたくしたちは、もう逃げません』

 アレクサンダーは長い間沈黙していたが、やがて深く頭を下げた。

「君は……本当に変わったんだな」


 彼が去った後、私とエリザベートは静かに向き合った。


『あの方との、本当の別れでしたわね』

 エリザベートの声は穏やかだった。

(寂しくない?)

『不思議と、寂しくありませんの。むしろ、清々しい気持ちです』

 エリザベートの声に、解放感が込められていた。

『長い間、あの方の愛に縛られていましたが、ようやく自由になれました』

(自由?)

『ええ。人を愛するということは、相手の幸せを願うということだと、今ならわかります』

 エリザベートの声が温かくなる。

『アレクサンダー様には、わたくしのような女ではなく、本当にふさわしい方と結ばれてほしい。それが、わたくしの最後の願いです』

 私は感動した。エリザベートは、ついに真の愛を理解したのだ。


 ⭐︎ ⭐︎  ⭐︎


「エリザベート」セレナの声が牢獄に響く。

 顔を上げると、セレナが牢に近づいてきた。

「明日、ついにあなたは処刑される」


 その瞬間、私の中で電撃のような衝撃が走った。

 セレナの瞳の奥に、見覚えのある光が宿っていたのだ。

 それは……


「美奈?」


 私は思わず口にしていた。セレナの表情が一瞬、動揺に揺れる。

「何を言っているの、エリザベート」セレナの声が微かに震える。「私はセレナ・ライトブリンガーよ」

 しかし、もう確信していた。瞳の光、声の微妙な震え、そして昨日から感じていた違和感の正体。声優として三年間、美奈と共に仕事をしてきた私には分かる。


「あなたも……私と同じなのね」


 私の言葉に、セレナの仮面が剥がれ落ちた。

「……ええ。誤魔化しても無駄のようね」

 セレナの口から出たのは、確かに宮下美奈の声だった。いつも聞いていた、あの透明感のある、しかし今は冷たさを帯びた声。

「美奈……」

 私の心臓が激しく鼓動する。まさか、美奈も同じようにこの世界に飛ばされていたなんて。

『まさか……』エリザベートの声が頭の中で震える。


 美奈はゆっくりと牢格子に近づいてきた。その表情には、複雑な感情が渦巻いている。

「そう、私もあなたと同じよ。最終回の収録が終わった後、気がついたらセレナになっていた」

 美奈の声は静かだったが、その奥に激しい怒りが潜んでいるのを感じ取れた。

「でも、あなたと違って、私はセレナとうまくやっているの。セレナの正義感と、私の気持ちが一致しているから」

「一致している?」

「ええ」美奈の瞳が冷たく光る。「悪は裁かれるべきという点で」


 私の血が凍りついた。美奈の中にある、私への怒り。それがセレナの正義感と融合して、より強固な憎悪となっているのだ。

「美奈、私は……」

「黙って」美奈の声が鋭く遮る。「あなたに話すことがあるの」


 美奈は牢格子に手をかけて、私を見つめた。

「まず、私があなたの正体に気づいたのは、この世界に来た1日目よ」

 私は驚いた。そんなに早く?

「牢獄で謝罪していたあなたを見た時、すぐにわかった。あの謝り方、声の震え方……いつもの雪音そのものだったから」


 美奈の観察眼の鋭さに、私は背筋が凍った。声優として、私の演技の癖を熟知していたからこそ見抜けたのだ。

「エリザベートなら、絶対にあんな風に謝らない。高慢で、最後まで自分の正当性を主張するはず。でも、あなたは素直に謝った。それで確信したの」


 確かに、私の謝罪はエリザベートらしくなかった。美奈は三年間、アニメでエリザベートを見続けていたのだから、違和感に気づくのも当然だった。

「そして、あのSNSの書き込み……」

 私の心臓が止まりそうになった。

「やったのは、あなたよね?」

「……! どうしてそれを……」

「覚えてる? 半年前、カフェで打ち合わせをした時のこと」


 美奈の言葉に、私の記憶が蘇る。確かに、台本の読み合わせの後、近くのカフェでお茶をしたことがあった。

「あなたがトイレに立った時、スマホの画面が点いていたの。一瞬見えてしまった。あなたのアカウントが」

 私の血の気が引いた。まさか、あの瞬間に見られていたなんて。

「最初は何も考えなかった。でも、あの誹謗中傷の書き込みがあった後、ふと思い出したの。そのアカウントで検索してみたら……」


 美奈の声は氷のように冷たかった。

「見つけたわ。私への悪口が書かれた投稿を。あなたが書いたものを」

 私は震え上がった。美奈は全てを知っていたのだ。

「あの夜、私があなたに電話をかけた時、あなたの声が震えていたのも納得よ。自分の犯した罪に怯えていたのね」


 私は何も言えなかった。美奈の追及は的確で、逃げ道はなかった。

「でも、なぜ黙っていたの?」

「なぜって……」美奈の声が嘲笑的になる。「いつかあなたに復讐するつもりだったから。何も知らないフリをして……」

 私は愕然とした。美奈の中にある、冷酷なまでの復讐心。

「私があの書き込みに気づいた時、どれほど傷ついたか、あなたにはわからないでしょうね」

 美奈の声が震えている。しかし、それは悲しみではなく、怒りによるものだった。

「同期として、友人として信頼していたあなたに、背中から刺されたような気持ちだった」


 私の胸が締め付けられる。美奈の苦しみが、生々しく伝わってきた。

「そして、このアニメで、あなたのエリザベートがどんどん注目されていくのを見て、私の中で憎悪が膨らんでいった」

 美奈の告白は続く。

「悪役のくせに、主人公の私より注目される。グッズも、あなたのエリザベートの方が売れていく。主人公は私なのに」

 私は理解した。美奈の中にあった嫉妬と屈辱感。それは私が美奈に対して抱いていた感情の裏返しだった。


『興味深いですわね』エリザベートの声が頭の中で響く。『この女も、結局はあなたと同じ感情を抱えていたのですね』

(そうね……私たちは皆、同じ穴の狢だったのかもしれない)


「だから、私はこの世界で完璧な復讐を果たすの」美奈の笑みは残酷だった。「正義の名の下に、あなたを処刑する。これ以上完璧な復讐はないでしょう?」


 私は深く息を吸い込み、美奈に向かって頭を下げた。

「美奈、本当にごめんなさい」

 私の謝罪の言葉は、心の底から絞り出されたものだった。声優としての技術ではない、魂からの言葉だった。

「あの書き込みは、私の最低な嫉妬心から生まれたものだった。あなたを傷つけて、本当に申し訳なかった」

 私は涙を流しながら続けた。

「私、あなたが主役を取った時、本当に悔しくて……でも、それは私の実力不足だったのに、あなたのせいにして、陰湿な攻撃をした」


「今更謝っても遅いのよ」美奈の声は冷徹だった。

「私が傷ついた事実は変わらない。そして、あなたがエリザベートとして注目されたことも」

「美奈……」

「でも、いいのよ」美奈の笑みが深くなる。「明日、全てが終わる。あなたが処刑台で最期を迎える瞬間を、私が見届けてあげる」


 私の心が凍りついた。美奈の復讐への執念は、想像以上に深かった。

「これは因果応報。自業自得なのよ、雪音」

 美奈の言葉が、私の心に深く突き刺さる。確かに、私の犯した罪を考えれば、この運命も自業自得と言えるかもしれない。


 しかし、私の中でエリザベートの声が響いた。

『雪音、諦めてはいけませんわ』

(エリザベート……)

『あの女の心にも、確実に迷いがあります。復讐心だけで突き進んでいるように見えますが、その奥には別の感情も……』

 確かに、美奈の表情を注意深く観察すると、復讐心の奥に隠れた複雑な感情を読み取ることができた。怒りと同時に、失われた友情への渇望、そして孤独感。


「美奈」私は立ち上がった。「私には、まだ言いたいことがある」

 美奈の表情が変わった。「何ですって?」

「明日の処刑台で、最後にもう一度話をさせて」

「話をする? 今更何を……」

「お願い。それが私の最後の願いよ」


 美奈は長い間沈黙した。そして、ようやく口を開いた。

「……いいでしょう。でも、あなたが何を言っても、私の気持ちは変わらないと思うわよ」

 私は安堵した。これで、明日の計画への道筋ができた。


『雪音』エリザベートの声が心配そうに響く。『本当に大丈夫ですの?』

(大丈夫。私たちには、まだ希望がある)


 美奈が牢獄を去った後、私とエリザベートは最後の夜を迎えた。明日、すべてが決まる。


 処刑まで、あと1日――。

本作は全5話です。明日、最終回を投稿いたします。

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