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なずむ心の永き冬  作者: 日戸 暁
なずむ心の永き冬
2/7

しずめた澱を掻き乱せ


「津田が人殺しってどういうことッスか」

佐倉教授に問う四方田さんの声が震えている。教授は深くため息をついた。

「あいつが話すとややこしくなるから、俺が全部言ってやるよ。丹波も二木の弟クンも、大学の講義はいいのか?え?」

ここで佐倉教授の話を聞かずに授業など出られるもんか。

「まずは、俺と“みっ君”と、うちの息子の宅麻の話をしよう」


 教授は、ソファのど真ん中に座り直すと、

小さな“みっ君”のことを話してくれた。

“みっ君”は術者の家系に生まれた自分と周りの違いに戸惑いながら、その聡明さで寂しさを隠す孤独な少年だった。

そして、小学1年の夏休み。

“みっ君”は、共に祓い屋で多忙の両親に佐倉教授の家に預けられていた。

そして、小学2年生の宅麻君は、親の離婚で別に暮らすに父に会いに来た。

偶然、佐倉教授の家で出会った、小学生のみっくんと宅麻くん。

望まない形で親と離れて暮らしている二人は、互いの寂しさに寄り添うように、仲良くなった。

同じ年の3月生まれと9月生まれ。学年は違えど同い年、そして同じ小学校に通っていると分かり、普段も何かと一緒に過ごしていた。

「長期休暇のたびに宅麻は俺の家に来て、みっ君の話をしてな。ほんとに仲良いんだなって思ってたんだ」

しかし、中学進学以降、宅麻君は何故か父の家に来なくなった。

そして、中学から寮暮らしになった“みっ君”は宅麻君とは反対に、長期休暇の間は佐倉教授の家に帰って (﹅﹅﹅)くるようになった。

「みっ君だって、宅麻に会いたいって言ってくれてたのに。次の休みには、帰って来るだろうかって楽しみにしてくれてたのに」

そうして、みっ君が高校に上がる春。

宅麻君と連絡が取れなくなったのだという。

教授へ不在着信があったのを最後に。

何度折り返しても繋がらない電話。

残された留守電メッセージ。佐倉教授が、それを再生してくれる。

『      』

声変わりした、でもまだどこか幼さの滲む男の子の声が、悲しげに父である佐倉教授に問いかけてくる。

「この日から十日ばかり経った頃、別れた嫁さんから連絡があってな。宅麻が行方不明だと」

宅真君の姿が最後に目撃されたのは、U県Z市。奄隠山の隣、加賀生(か が な) 山行きのバス車中。

山で遭難したのだろうと、警察も捜索してくれたが、バスを降りて以降の、宅真君の足取りは掴めなかった。

「若い頃は俺も登山を嗜んでいたからな。嫁に請われるがまま、俺はその山に入った」

言って、教授は、ポケットから鍵入れを取り出した。

古びた厄除け守りが下がっている。

それを見つめる教授の目に涙が浮かぶ。

「……俺だって、まだ……信じられねぇ……津田が、宅麻を……」

教授は涙を拭いて、僕らに語ってくれた。

その時、佐倉教授が見たものを。

そして、津田さんの言う、人殺しの意味を。



***佐倉千萱の語り***


ン年ぶりの登山で体が悲鳴を上げている。

なんだって、こんな山を訪れたんだ、宅麻の奴。

春先の冷たい風が強く吹くなか、必死に息子の名前を呼びながら登った。昼過ぎくらいからは急に日が翳り、うす暗さと寒さに心身ともに消耗していった。

疲れ切り、少し休もうと思ったその時。かすかな水音に気が付いて、俺はハッとした。もしかして、宅麻のやつ、沢に迷い込んだのではないか。

俺は意を決して登山道から逸れ、水音を辿って進んだ。

川の音もだいぶ近くなった時。

急な斜面の下にぽかりと開けた空き地が見えた。そこに少年がいるではないか。

「宅麻⁉」

俺は、木々を掻き分けて駆け寄ろうとした。

途端に靄が立ち込めてきて、また、足場も悪くてだいぶ難儀したけれど、どうにかこうにか、その空き地にたどり着くことができた。

少年は血と泥に汚れて、途方に暮れた顔で立ち尽くしている。でも彼は、俺の探し求めていた少年ではなかった。

「ちがや、あの……はるから」

俺を見て、そいつは何か言ってくるが、今は、お前には用は無いんだ。

「どうしてお前がここに? 宅麻を見なかったか? おい、答えろ」

言いかける少年の肩を掴んで揺さぶり、俺は問い詰めた。少年はぐっと唇を噛み締め、向こうを指した。大きな筵が掛けられた何かがある。

何だよその大荷物。お前が持ってきたのか。

少年に指さされ、その傍に蹲っていた影が立ち上がった。俺の、宅麻がそこにいた。

『僕のこと? 僕は此処だよ』

嬉しそうに笑う俺の息子は、血に染まっていた。

『自分だけ二人を取り返そうとするなんて、ひどいや。先に奪ったのは君なのに。ねぇ、みっ君、この子に、返してあげなよ……彼を、僕の元へ』

宅麻が少年を詰る。

この子って誰だ? 奪っただの、返せだの、こいつは何か悪いことをしたのか?

いや、そんなことはどうでもいい。

「    」

少年が何か言った気がしたが、俺にはそいつの独り言よりもそこにいる息子のほうが大事だった。

その血はどうした、どこか怪我をしたのか。健気に笑っているけれど、痛くはないか。

「宅麻、タク。どうした? こっちへ来いよ」

『ねぇ、父さん。父さんがこっちに来てよ』

俺は招かれるままに、愛する息子を抱きしめようと腕を広げてふらふらと歩み寄った。

だのに、この少年は俺の前に立ちはだかった。邪魔をしやがった。

俺に背を向けて、俺の息子に向かって

「渡さない。これ以上、誰もお前の手には渡さない!!」

激昂した少年が咆えた。掲げた手に、どこからか現れた大剣が握られている。

そんな物騒なもの、いったいどこに隠し持ってたんだ。

……やっぱりこいつが何か、ヤバいことをしでかしたのか。

だいたい、俺の前で俺の息子を"お前"呼ばわりすんじゃねぇ。

少年の身丈ほどもある大剣の、真白の焔を纏った刃が煌めく。

そして、俺が抱きしめようとした息子に、俺の目の前でその剣を突き立てた。

「千萱を、そちらに渡すものか」

少年が唸る。宅麻の体が光の粒となって、きらきらと消えていく。

俺の、宅麻が、……。

俺は少年に掴みかかった。

「俺の息子を、よくも」

消える間際、宅麻の口が動き、何事かを呟いた。そしてにやりと笑った。

「返せ、俺の子を、宅麻を!!」

少年を押し倒し、俺は詰め寄った。

そこへ、向こうで揺らめいていた人影が、ふわふわと俺の側へ来た。

なんだこれ、気味が悪い。

〈    〉

………なんだって? 

俺はそこで意識が途切れた。


 目覚めた時、俺は病院のベッドにいた。白い天井とか、カーテンレールとか。最近何かと見る機会の多い景色なもんで、ぼーっとした頭でもここが病室だと分かった。

でもどうして入院してるんだ?俺は。

 確か、俺は、宅麻を探しに山に行って……。

記憶を辿っていたその時、誰かが俺の手に触れた。まだ頭を起こせなくて、横目の視界に映るその手が誰のものなのかよく分からない。そっと自分の手を返し、相手の手を探る。細い骨。まだ大人じゃない手だ。

あぁ、そうだ。俺、宅麻に出会えたんだっけ。

「たく、ま」

夢現で俺が呼ぶと、その手はさっと引っ込んだ。

ナースコールの音楽だろう、メヌエットが賑やかに響いた。

「13号室2ベッドの佐倉さんが覚醒しました」

その声に、俺の目がぱっと醒めた。

「みつ、と、じ?」

「佐倉さん」

ほっとしたような声。

「あの子は、どこだ。宅麻は」

俺が問うと、彼は顔を曇らせた。

「思い出して。貴方が見たものを」

少年が俺の額に手を当てる。脳裏に蘇る、光景。

膨らんだ筵のそばでにこにこしている血塗れの子どもは、俺の息子。

俺と息子の抱擁に割って入って、燃える剣で彼を刺し貫いた少年。

頭がガンガン痛みだす。

「そっか。……貴方が見たのはそれだけですか」

どこかほっとしたような声音。何を呑気に。それだけだと? 何を()かす。

「お前……なぜだ、何の恨みがあって、うちの子を」

手に力が入らないのが幸いだった。

そうでなければ俺はその場で、この少年をどうにかしていたかも知れなかった。

「だんまりか。謝罪も弁明も無しか、この人殺し。出て行け」

(はらわた)が煮えくり返った俺は、少年を責め立てた。自分でも笑いたくなるぐらい、か細い声しか出なかった。

「……誰も見つかりませんでした。これ以外、何も」

少年は和紙に包んだ何かを俺の枕元に置く。そして、

「アシキユメナラオイテユキ。ネムリノフチニシズメテシマイ」

俺の頭を撫でて囁くと、少年は俺に言われた通り、病室を出ていった。

少年に不思議な言葉を囁かれ、何だか頭がふわふわして、俺は眠くなった。


 誰もって、何だよ。

宅麻の他に誰がいたっていうんだ。

俺の息子は何処へ行ったんだ。


そこから数時間、俺は眠っていたらしい。

次に目が覚めたとき、頭はだいぶすっきりしていた。

でも、山でのことがどうにも靄がかかったようにぼんやりとしている。

思い出せるのは、筵に覆われた何かの横で血にまみれた息子の姿。

あの子は燃える剣に貫かれ……いや、――光研二の手にかかり、散った。

……宅麻を抱きしめそこねたことがずっと心残りだ。

 その翌日。警察や医師達の話から分かったのは、俺は大昔の土石流の跡地で倒れていて、偶然そこを通りかかった光研二に介抱されていなければ命が危なかったということ。俺が見た光景をいくら話しても、夢だ、入院中の譫妄(せんもう)だと言われた。

そこには血痕も剣も筵も無かった、自分自身が怪我を負い高熱に苦しみながら、俺の看病を続ける光研二しか居なかったと警察は言った。

それなら俺が見たものは何だったのか。

宅麻に会いたい気持ちが募って見た夢なのか。

だとしたら、あまりに酷い悪夢だ。

 2週間くらいは入院して経過を診る必要があると言われたが、俺は4日で余儀なく退院させられた。学校から緊急の電話が入ったのだ。

《津田くんが、ご両親の忌引でお休みしたあと、寮に戻ってこない》

 俺はそこで初めて、親友夫妻の訃報を知った。

******

山で遭難した俺が入院している間。

俺に責められ追い払われた後。

奴はたった独りで、実の両親を見送って来たというのか。

流石にちょいとばかし、奴が可哀想に思えた。

俺の宅麻を死なせたことは一生許せない。


だけど、大事な家族を喪った者同士でもあるし……


そう語る佐倉教授には、今も津田さんに対して複雑な感情があるのだと、僕にも分かった。

 「その後、帰ってきたあいつは……あいつは、全部自分のせいだって言うばかりでな。それで、俺はあいつを寮から出して、土日や休暇以外も一緒に暮らし始めたんだ。ちゃんと、宅麻のことも話させたかったしな。まぁ、監視だな」

どれだけきつく詰問しても決して口を割らない津田との生活は、はじめのうちは結構しんどかった。

でも、家事は全部あいつがやってたからなぁ。ある意味、楽だったかもな。

 なんて笑いながら佐倉教授はため息をついた。

幾度目かのお茶を淹れ直し、教授が

「事の真相を知ったのは、その年の夏休みに渡会先生が家に来た時だった」

と言った途端。

「言葉を伝えただけで、貴方は何も知らない」

渡会教授が割り込んできた。この人、また勝手に部屋に入ってきたよ。

ゼミの皆さんは、話の途中で突然現れた隣の教授に戸惑っている。

 誰も何も言えないのは、そこにいるだけで渡会教授が放つ威圧感が凄まじいからだ。

「……とある怨霊が宅麻に取り憑いて、それを祓おうとした彼奴の両親は力及ばず死んで、……宅麻に親を殺されたと“思いこんで”、……怨霊が宅麻を操っていたとも知らずに、彼奴は宅麻を殺してしまった。渡会センセ、あんたがそう言ったんでしょうが。彼奴も、それを認めて……」

佐倉教授の、もの凄くざっくりした説明に、渡会先生が馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。

「貴方の記憶にある、光研二と宅麻のやり取りは、そこで見た物は全て貴方の幻だとでも? おめでたい奴だ」

どういうことだ。僕も教授も、ここに居る皆がびくりと身を強張らせた。

「わざわざ貴方の元へ出向き、あのように語ってやったのは……深い傷を負った十五歳の少年の……願いを聞き届けてやったまで」

渡会先生が顔を顰め、

「あれが、お前にだけは伝えるなと懇願した。お前がこれから先、生き易いようにと」怒りに満ちた声で言った。それから、渡会教授は何故か僕を見た。

「鈴の子。これから語る真実を知って尚、あれをこの世に留め置く絆であってくれよ」

絞り出された声は涙に濡れていた。

「でないと俺は、弟に顔向けができない」

寂しげに笑う顔はどことなく、津田さんに似ていた。

 

「思い出せ、佐倉千萱。真実(まこと)を悪夢と振り払い、眠りの淵に(こご)らすな」

渡会さんが唱える。佐倉さんがゆっくりと瞬きをする。

お前が山で気づいた少年は誰だ、何をしていた

渡会さんが問い、佐倉さんが答える。  

―みつとじが、ただ立っていた。

 お前が光研二に駆け寄った時、彼は何と言った?

―「ちがや、……」って俺を呼んだ。

それだけか?

―いや、俺を呼んだだけでは無い。「ちがや、(ハル)から……」そう言っていた。


 その答えに、一瞬、渡会さんが表情をゆがめた。そして、また淡々と問いかける。


お前が、宅真はどこだと問い詰めた際、光研二は大きな筵が掛けられた何かを指さしたな。では、その筵の中身は。


―分からない。


佐倉さんが小さな声で答える。 

その傍に蹲っていた“宅麻”が立ち上がり『僕のこと?』と応じた。宅麻の姿をしながら、宅麻とは自分のことかと問うあれは誰だ。

―分からない。

『取り返そうとするなんて、ひどいや。先に奪ったのは、君なのに。ねぇ、みっ君。この子に、返してあげなよ……彼を、僕の元に』

“この子”、“僕”……誰が誰を指している。

―分からない。

「渡さない。これ以上、誰もお前の手には渡さない」。津田の言う“お前”は何者だ。いったい誰が“お前”の手に渡ったのか。

―分からない。

「千萱を、そちらに渡すものか」。“お前”ではなく、“そちら”は、どの場所を指す。


―分からない。


佐倉さんは頭を振って弱々しく答えた。


 消える間際、にやりと笑い、お前の宅真は何を言った?


―分からない。


渡会さんが淡々と問い、佐倉さんが混乱する頭を抱えて喘ぎながら「分からない、分からない」と繰り返す。数々の小さな違和感が曝け出されていく。


お前の宅麻が消えてから、お前の側へ来て何かを言ったその人影は何者だ。

―分からない!

悲鳴に近い声で、佐倉さんが答えた。

あぁ、……分かっているんだ。それが誰なのか。


「これで真実を知ったとほざくか」

自分の見聞きしたものを都合よく忘れ、知らぬふりをし、聞かされた言葉を信じていたに過ぎない。それを突きつけられ、佐倉教授はがくりと項垂れている。

「次が最後の問だ。正しく答えろ、佐倉千萱」

 お前のいう宅麻に(なじ)られた時、光研二は彼に何と呼びかけた。


渡会さんの静かな問いかけ。

佐倉さんが、ゆるりとその頭を上げて、渡会さんを見つめる。


****


 俺が聞き流した、そいつの独り言。

俺の頭の中で何かが砕けた。

思い出した。

「みあお……」

彼は確かにその時、俺の宅麻をそう呼んだ。


****


「それが真実だ、佐倉千萱」

 渡会さんはそう言うとソファを離れ、佐倉教授の執務机に就いた。ちょっと高級な回転椅子にどっかりと腰を据え、脚を組み、両腕をひじ掛けに置いて僕らを睥睨している。

「お前が腕に(いだ)こうとした者は既に宅麻ではなく、怨霊の深青が宿り操る、ただの(むくろ)だ」

「じゃあ、みっ君は宅麻を……殺してない?」

佐倉さんが、震える声で訊く。

渡会さんが言うには、宅麻くんを殺めたのはあの山の怨霊、深青で

「怨霊が宅麻を殺したのは、その体を自分の依り代として利用するためだろう。生きて意志ある者を操るより、乗っ取った方が自由が利く」

そして渡会さんは、佐倉さんに投げかけた問いの答えを、一つ一つ、明かしてくれた。


「佐倉に宅麻の居所を聞かれた時、光研二は、大きな筵のかかった荷物を指したと言ったな。彼奴は、その傍に佇む宅麻の魂を指したつもりだったのだろう。ただ、筵の傍にいた宅麻、つまり深青は、宅麻を探すお前が何者か察し、……お前を自分の傍へと誘った」


何で? 何で、深青は、佐倉教授を呼んだの? 

僕が問うと、渡会さんはつまらなさそうに答えた。

「まぁ、神に捧げる供物は多い方がいいからな」


じゃぁ、あのまま佐倉教授が宅麻くんを抱きしめていたら。佐倉教授もきっと。


渡会さんは僕に肯き、佐倉さんへ言った。

「だからこそ、光研二は、お前を深青の手には渡すまいと……、贄を捧ぐ場所、異界へ連れて行かせまいとしたんだろう。付け加えるなら、お前が光研二や宅麻に会った場所は、異界と現界の境界だ」


渡会教授はそこまで解説し、冷めきった焙じ茶を飲んだ。

そして、「恐ろしく不味い茶だな」とぼやいた。

二木さんが、おずおずと尋ねた。

「その、宅麻君、消えちゃったけど……宅麻君の、……せめてご遺体を連れて帰ることって、出来なかったんですか?」

「異界の内側の事象はすべて、異界が閉じれば共に消える。宅麻の遺骸も、浴びた血も、光研二が異界に置いてきた呪具……魔除けの筵も」

当時の、入院中の佐倉教授に警察が話したこと―現場には血も筵も無いというのは確からしい。

「だがまぁ、宅麻だけは墓がある。死を悼むなら、手を合わせてやればいい」

お茶をずずっと飲んで、渡会教授は素っ気なく言う。

それに対して佐倉教授が呟く。

「……俺、光治と美里の墓の場所、聞いてねぇ」

「その二人は、墓も仏壇も祖霊舎もない。盆にも彼らは帰ってこないからな」

盆に現世へ戻れるのは、正しく川を渡れた死者だけ。

川を渡りはじめた者は彼岸にたどり着かねばならない。

途中で舟を引き返したら二度と常世へも現世にも立ち入れずに、永劫、岸辺を彷徨うか、輪廻転生の輪を外れて消滅するらしい。


だから、彼らを迎えるための物も場所も一切無いのだという。


「彼らの霊魂を迎えるための盆休みも必要ないからな。光研二には年中、仕事を回せて俺は助かってる」

などと嘯く渡会教授に

「でも、あいつ、夏はお盆だからって何処かへ出掛けるぞ」

佐倉教授が訊く。

渡会教授はしれっと答えた。

「8割仕事。あとは、U県Z市で過ごしている」

U県Z市といえば。奄隠山と加賀生山のある地だ。

「そこに行く理由は自分たちで聞け」

 と言われても、津田さんにどう切り出せばいいんだ。


「……結局、筵の中身って、何だったんです?誰が持ってきたの」

重苦しい沈黙を破るように三堀さんが尋ね、渡会さんは、軽く肩を竦めた。

「あぁ、すっかり忘れていた。特に大事ではないからな。……中身は、蛇神に捧げる供物を求める深青に唆されて、宅麻が殺めた(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)人間だ」

つまり……。

佐倉教授が、茫然と渡会さんを見つめた。

それには何も言わず、一言も責めず、渡会さんは話を続けた。

「蛇神を鎮め、躯から深青を追い払い、そこに魂を戻して宅麻を蘇生させるために」

さらっと渡会さんは言って、一度言葉を切った。

「光研二は、……禁術に手を出した」


死者をこの世に呼び戻す、反魂の術。大きな代償を払わねば為せぬ業。

それを、十五歳の少年が行った。


宅麻くんを生き返らせて、佐倉教授のもとに帰すため。

そのために、津田さんは自分自身を捧げ、彼らを呼び戻したのだ。


自分よりも強い二人を。

……深青に唆された宅麻くんが、自分の意志で殺めた彼らを。


その上で津田さんは、彼らのために多くのことを願った。


その体に戻って、二人とも生き返ってください。

そして、深青と蛇神を退けて、宅麻くんと一緒に、この世にお戻りください。

……僕の命を以て。


供物を奪われ、怒り狂った蛇神は顕現するや、精根尽き果てた少年を喰らった。

あの、右半身にうねる傷は、蛇神に殺されかけた痕なのか。

少年がその命を捧げて呼ばれた彼らは、少年の望み通りに蛇神を退けた。

だけれども、少年の望みの全ては叶えてくれなかった。

深青は滅びず、宅麻くんは生き返らなかった。

そして己の天命を、死の淵を彷徨う少年に譲り、……彼らは定めに従い、恐らく消滅した。


少年の命一つで贖うには、あまりに過ぎた願いだったのか。

禁術を行使した少年への罰なのか。それとも……。


でも、津田さんからみればどうだろう。

自分が友人から父親を奪い、その報復に両親を殺されたうえ、両親の魂を己の手で滅ぼしてしまった自分は、彼らの寿命を我が物にして生き延びたことになるのではないか。

その苦しみのなか息を吹き返した津田さんは。

今度は、佐倉教授を深青から守るために。

深青を追い払い、せめて、宅麻くんの魂に彼の骸を返すために。

……佐倉さんの目の前で、佐倉さんの息子を刺した。


真実を隠し、己一人が全ての咎を背負う覚悟で。


「死んで7日目。囚われた骸を深青から奪い返し、何の憂いも未練もなく、宅麻は無事に川を渡った」

渡会教授の声に、どんな感情も籠っていない。

佐倉さんは何も言えずに、ただ目をかっと見開いて、古びたお守りを握っている。


それは少年が山から唯一持ち出した物。

かつて、宅麻くんが父親にもらったもの。


「何より、自分のもとに、ようやく父が帰ってきてくれたのだから」

渡会教授の声が突き刺さる。

〈父さん、おかえり〉

幸せそうな声が、僕らにも聞こえた気がした。


中学から寮生活だった津田さんも、長期休暇には佐倉教授の家に帰っていた。

その年の春。おそらくは高校進学を口実に、何年かぶりに父の家を訪れた宅麻くんは。

自分と同い年の赤の他人と楽しげに生活を共にする父を見た。

幼いころ、一緒に暮らしたあの家で。

おかえり。と出迎える少年。

ただいま。と嬉しそうに答える父親。

どうして、そこにいるのが自分ではないのか。

どうして、その家で父の帰りを待つのが、その子なのか。

『今、誰と、いるの』

佐倉教授の携帯に留守電メッセージを残して。

 宅麻君は山へ姿を消したのだ。


 深青がどうやって宅麻君を見出したのかは分からない。

 でも、形は違えど、大事な人をとられた悔しさ、寂しさ、悲しみ、憎しみは。

どこか惹かれ合ったのかもしれない。

 

りぃ…ん

力なく、僕の鈴が鳴った。




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