背負う咎を曝け出せ
プロローグ
あの夏。神隠しの言い伝えのある山で、僕たちは異界に囚われた。
そして、僕たちを帰すために、祓い屋の津田さんはその命を擲った。
そして迎えた冬と次の春の物語。
12月も半ばのある朝。僕は、珍しく早く来た佐倉教授と市営バスで乗り合わせた。僕はバイトの日はいつも、この時間のバスに乗ってバイトいるのだけど、佐倉教授には「モトは早く来すぎだ」と言われてしまった。早いといっても始業より15分早いだけだし、もう一本後のバスだと20分遅れてしまうから仕方なくこの時間に来てるんですけど……。
そんなこんなでいつものバスを降り、今日は佐倉教授と一緒にキャンパスを歩く。特に話すこともないけれど、黙っているのも気になるのか教授の方から、朝は何を食べたとか、学部の期末試験は終わったのかとかそんな当たり障りない話題を振ってくれ、話題ごとに何往復かだけの短い会話ををした。
教授は朝一の会議の部屋に直行するそうで、先に行って教授部屋を開けておくよう頼まれた。
キャンパスを大学院の教授棟へ向かって横切る途中で、今度は二木さんに出くわした。九月のあの日以来会ってなかった。ちょっと痩せちゃってるけど、お元気そうで良かった。
二木さんと一緒に守衛室で鍵を借り、教授室に向かう。
「あれ?」
部屋に電気がついている。そっとドアノブを回す。扉もあいている。
いや、今朝一番に鍵を借りたのは僕なのに。
どうして。誰か居るの。
そうっと扉を開けて一歩部屋へ踏み込む。
鼻をくすぐる珈琲の香りに、どきどきと心臓が早鐘を打つ。二木さんと顔を見合わせる。
僕らは、ゼミのテーブルでも書庫でもなく、真っ先に給湯室へ駆け込んだ。
給湯室のスツールに、くたびれたジャケットと黒いジーパンの男の人。手には織部色の歪んだ湯呑。男の人は無言のまま立ち上がり、僕らに軽く頭を下げる。
「つだ、さ、ん?」
夢じゃないよね? 今度は消えたりしないよね?
目をこすりながら僕は何度も聞いた。
「ん」
小さく肯く男の人。
その首の動かし方。あぁ、津田さんだ。
本当に、津田さんだ。
一歩、もう一歩。
僕は津田さんに近づいた。
言いたいことがたくさんあるのに言葉にできない。
代わりに、そっと手を伸ばす。
津田さんの胸に触れる。どく、どく、と鼓動が伝わってくる。
僕は堪らず、津田さんに抱きついた。津田さんは息を詰め、じっとしている。
「つ、だ」
掠れた声で呟いたきり、二木さんは両目を潤ませて津田さんを見つめていた。
だけど、津田さんにしがみついてぼろぼろ涙をこぼしている僕をちらっと見ると、ごしごしと乱暴に自分の涙を拭って
「教授ーーっ! 佐倉教授ーーーっ‼」
嬉しそうに叫びながら部屋を駆け出して行ってしまった。
本当は、僕を押し退けてでも津田さんにハグとキスと拳骨の一つや二つくらいお見舞いして、大声を上げて泣きたいだろうに、二木さんは僕と津田さんを二人きりにしてくれた。
僕はしばらく黙ったまま、津田さんの温もりを堪能した。
あぁ、温かい。あぁ、津田さんが生きている。
生きて、こうして帰ってきてくれた。
僕は今、幸せだ。
******
やがて、どたどたと廊下を走る足音ともに
「本当に、津田か? ……おい二木、帰って、来たのは、本当に、津田なんだな?」
佐倉教授の怒鳴り声が聞こえてきた。
津田さん以外に誰が帰って来るって言うんだろうね、教授は。
佐倉教授の言葉に僕が笑うと、津田さんの顔が一瞬強張った。
ゼミ室に教授が駆け込んできた。それを出迎えるように、津田さんが給湯室から出ていく。
あ、二木さん、またどっかに駆けて行っちゃった。
「津田……、」
教授が息を切らしながら呼ぶ。
無言で立ち尽くす津田さんに歩み寄り、抱きしめる。
「何か言えよ、馬鹿野郎」
ぐずぐず鼻を鳴らす教授に、津田さんが言った。
「ごめんなさい」
津田さんは、教授を抱きしめ返しもせず、静かに謝った。
「全く……お前ってやつは……そこは、ただいまだろ」
「帰ってきたのが、僕で」
続けられた言葉に教授が目を見開き、津田さんを見上げる。
「タクマ君じゃなくて、ごめんなさい」
いつもの感情のない声ではなくて。津田さんの声は涙に湿っていた。
「貴方は、今なお、タクマ君の帰りを望んでいるのに」
佐倉教授の顔が赤くなる。
「いいや、俺はそんなこと望んでねぇよ」
教授は、にかっと笑ってみせる。
「嘘をつかないで」
と津田さんが言う。悲しそうな顔をしている。
「嘘じゃねぇよ!」
佐倉教授が津田さんを自分の執務机に叩きつけた。
「いいえ。あの時の、貴方の期待する顔も声も忘れない」
あの時。あの山で、あの白い和装の人が教授を誘惑した時だろう。
津田さんの命と引き換えに、タクマさんを返すと、あの人は言った。
津田さんを机に押し倒したまま、あの時と同じ顔で教授が津田さんから顔を背けた。
それから焦ったように言い募る。
「あれは、気の迷いだ、その」
「あなたの本心……自分に嘘をつかないで」
津田さん。もうやめて。お願い。
「そこまでして、帰ってきてほしいわけじゃねぇ」
何とか言葉を絞り出す教授。
「いいのに、僕のことなど、どうでも」
吐き捨てるように言う津田さんを、佐倉教授は思いっきり殴った。
殴りたくなる気持ちはわかる。でも、やっぱり嫌だよ。暴力は見たくない。
ましてや、佐倉さんが津田さんを殴っているところなんて、絶対に見たくない。
僕はぎゅっと目を瞑った。
「どうでもいい訳ないだろう、馬鹿野郎」
「そうですね、どうでもいい訳じゃない……貴方は僕を憎んでいる。今なお」
「お前な!!」
声だけが聞こえる。津田さんの声は静かで、冷めきっていて。佐倉さんの怒鳴り声は熱くて大きくて、怖い。嫌だ。こんなの聞きたくない。
二人だけが知っている何かについて、タクマさんという誰かについて、今、教授と津田さんが争っている。
喧嘩する声なんて、聴きたくないよ。
せっかく津田さんが帰ってきたのに。どうしてこうなってしまうの。
教授の馬鹿。津田さんの馬鹿。
あんなに待っていたのに。みんなで津田さんの帰りを待っていたのに。
誰よりも、教授が津田さんは生きていると信じて待っていたのに。
あの夏から3ヶ月と少しが過ぎて、あの山にいつもより早い初雪が降った頃。
研究室に来た誰かが教授にお悔やみを言った。その時、教授は怒鳴り、
「馬鹿野郎、勝手に殺すな!」
机の上の物を手当り次第にその人に投げつけていた。
でも……津田さんの名刺の入った箱だけは投げなかった。
それなのに、今、どうしてこんなことに。
「お前を、憎んでなんかいねぇよ」
「どうだか」
またそんなことを言って。相手の怒りを煽ってどうするの、津田さん。
ふっと静かになって、僕は恐る恐る目を開けた。
津田さんの手がそっと教授の左胸に触れ、妖しく撫でさすっている。
「言ってしまえばいいのに。楽になれますよ。……口に出して言えば、成る」
津田さんが一度言葉を切る。周りの空気が張りつめる。
「津田光研二ガ憎イ。俺ノ宅真ヲ返セ」
その言葉に教授がわなわなと震え、また津田さんを殴った。
「うるせぇ、うるせぇ‼ そうだよ、あいつが帰ってくればって思ったよ! お前の言うとおりだ、それが俺の本心だよ‼」
佐倉教授、それって別の誰か……タクマさんが、津田さんじゃなくて、その人が帰ってくれば佐倉教授は嬉しいの?
津田さんが帰ってきてくれたことは嬉しくないの? ……本気で、そう思ってるの?
「なら、願えばいい。今の僕なら、応えられる……貴方が口に出して言えば、成る」
津田さんが自分の胸にも指を滑らせ、なにか描く。
「言ってご覧、あの子を返してって。千萱」
ふわりと笑い、ぞくりとするほど甘く囁く津田さん。
「会いてぇよ……タクに会いてぇよ」
あぁ、本当に、会いたい人は。佐倉教授が求めているのは、津田さんじゃなくて……。
「それなら、その望み」
津田さんの言葉を
「でもなぁ!!」
恥も外聞もなく泣きながら教授が遮る。
「お前を死なせてまで会いてぇわけねぇだろがよぉ!」
「……え?」
津田さんが瞠目する。ひゅうと喉が鳴り、突然、激しく咳き込んだ。
その身体が痙攣し、机からずるずると滑り落ち、床に崩れこむ。
「え? おい、どうした、おい、みっ君」
大慌てで、津田さんを抱き起こそうとする佐倉教授に、
「何で、願いを、翻す」
弱々しく津田さんが怒る。
「叶えて、あげるのに」
ひゅうひゅうと苦しげな息。
「充分に足る、のに……今の、僕なら」
僕の赤いリュックの鈴がけたたましく鳴り出す。また、その手の何かが起きているんだ、きっと。
でも、僕は。どうしたら津田さんを助けられるの。
せめて救急車呼ばなきゃ!
僕は大慌てて廊下に飛び出しながらポケットのスマホを取り出したはいいものの、救急車の番号が咄嗟に思い出せなくてその場で混乱した。
救急車どうやったら来るんだけ、電話番号、わからない、どうしよう
津田さんが苦しんでる、助けなきゃ、
何かしなきゃ、僕に何かできることは
あ、先に、何だっけ、あのペタって体に貼って電気ビリビリするやつ要るかな!?
津田サンガ苦シンデイル。
敵ヲヤッツケナキャ。
離レロ、来ルナ、追イ払エ――
そして僕は気づけば、消火器を手に取っていた。
「お前は何もするな。消火器は今、役には立たん」
きっちりとダークスーツを着こなした渡会教授が自分の部屋から出てきて僕に淡々と言った。そして、ノックもせずに、勝手に佐倉教授の部屋に入って行った。
……これで今、僕は誰に何をしようとした?
渡会教授に声をかけられた僕は我に返った。
さっきまであんなに慌てて、わけのわからないことをしそうになっていたのに、僕は渡会教授の声にすとんと気持ちが落ち着いて、自然とその後について佐倉ゼミ室に戻った。
渡会教授が来たから多分きっと、何かしら手を打って津田さんを助けてくれるだろうという安心感があった。
でも佐倉教授は、怒った犬みたいに歯をむき、
「渡会先生、何ですか急に」
渡会教授から庇うように、津田さんを抱きしめている。渡会教授は、そんなふうに威嚇されても無表情のまま、言った。
「佐倉教授。貴方の望みは、津田光研二が帰ることか。ご子息の蘇りか」
ご子息の蘇りって、まさか。あの時、教授の言った『二度も息子を』って。じゃあ、津田さんは本当に、教授の?それなら津田さんとタクマさんは。でも、それで教授が津田さんを憎むって……いったいどういうこと。
ざわつく僕をよそに
「渡会先生、何を言ってるんです」
「早く。返答が遅れれば遅れるほど、彼は助からなくなる」
渡会教授はじっと佐倉教授を見つめる。
それ以上、返答を急かさず、ただ佐倉さんの言葉を待っている。
「今なら、みっ君を選ぶ」
佐倉教授の迷いのない声。それに肯いた渡会教授は、佐倉教授に改めて言った。
「その馬鹿に呼びかけ続けろ。何でも良い」
「みっ君。みっ君、……帰って来たばかりでどこ行こうってんだ、おかえりって言われる前によ、ただいまって言えよ馬鹿」
ぐちぐち怒る佐倉教授に、渡会教授は、ふっと笑った。いや、今、笑っている場合じゃないのでは……。
そして、鳴り続ける僕の鈴に何かごにょごにょと唱え、それをぶちっとむしり取った。
「え、僕の鈴」
「黙れ[[rb:小童 > こわっぱ]]」
やだ、この人やっぱり怖い。
僕から盗った鈴を渡会教授は津田さんの胸の上にかざして鳴らし、柏手を2回打つ。
「鈴の音辿り立ち還れ」
むちゃくちゃ凄みのある声だ。逆らったら殺されそう。
指弾3回。幾度か鈴を振って鳴らし、
「佐倉千萱の願いを成せ」
それでも津田さんの反応はない。
その間も、佐倉教授は、何で起きないんだ、みっ君の馬鹿、起きろよ、帰ってこいよと津田さんに縋っている。
「鈴の音辿り立ち還れ、佐倉千萱の願いを成せ」
ひくりと津田さんの瞼が動いた気がする。それでも、目を開けない。
戻ってきてよ、津田さん、お願い。
僕、まだ、津田さんに言えてないんだ、お帰りって。それなのに、また何処かへ行っちゃうの?
もう二度と、津田さんと離れたくないよ。
だって、津田さんのこと大好きだって言ったでしょ?僕。
津田さん、お願い。僕のために、僕のところに帰ってきて……!
振ってもいないのに、僕の鈴が再び鳴り出す。
その鈴をじっと見つめ、渡会教授は深く息をついた。
「約定を違える気か⁉ 津田光研二!」
渡会教授の大声に、津田さんが、がばっと飛び起きた。
「……よし。願いは成った。良かったな、佐倉」
言いながら渡会教授は津田さんの胸ぐらをつかんで立ち上がらせ、思いっきり殴り飛ばした。津田さんは、書類やら空箱やらの積まれた床にひっくり返る。呻く津田さんに渡会教授は追い討ちをかけるように何度も蹴りと拳を見舞う。津田さんは逆らわず、ただ苦しそうに右腹を押さえている。
「どれだけ自分勝手な振る舞いをしたか分かっているのか⁉ お前一人の為に、渡会と渡江と久賀までもが動いたというのに!」
「……申し訳ございませんでした」
よろよろと土下座する津田さんの髪を掴んで顔を上げさせ、その頬を引っ叩く。
「黄泉から帰りたての身体で呪詛など愚かにもほどがある!」
「……はい」
「次は助けない」
「……はい」
渡会教授は僕らを無視して佐倉教授の部屋を出て行こうとし、戸口で立ち止まった。
「その、鈴の子に感謝するんだな」
振り返りざまに鈴を無造作に放った。身を縮こめて小さくなっていた津田さんは、慌てて鈴を受け止める。
「誰よりも強くお前に想いを向けている。……お前の“絆”だ。有り難く囚われておけ」
渡会教授が去っても、津田さんは俯いて蹲っていた。僕の鈴を固く握りしめている。
「津田さん?」
僕はそっと近付き、真ん前に膝立ちして津田さんを窺う。
「わっ……!?」
津田さんにぎゅうっと抱き締められた。
僕もおずおずと腕を津田さんの背中に回した。
……津田さんは肩を震わせて、声なく啜り泣いていた。
どれほどそうしていただろう。
嗚咽の収まった津田さんが、僕を抱きしめる腕を解いた。
「……急に抱きついたりして、すまなかった」
開口一番それかい。
「津田さん。それより僕に、まず言うことあるでしょ」
「えっと……」
本気で悩んでいる。もう、津田さんったら。さっき教授にも、『ただいまを言え』って言われたくせに。
「お帰りなさい、津田さん」
僕は津田さんにもう一度ハグをした。見上げれば津田さんの目が真ん丸になっていた。何でそんなに驚いているのさ。
「……ただいま」
声、小っさ!
津田さんが拳を開き、僕にあの鈴を差し出した。
「まだ、持っていたのか。あんなに怖がっていたのに」
言いながら津田さんがちょっと笑う。旅館での一夜を指しているのだろう。
やだな、恥ずかしいや。
「もう怖くないです……何か月前のことだと思ってるんですか」
僕がぷんぷん怒ると、津田さんは僕の頭にぽんと手を置いた。
懐かしいこの仕草。口数の少ない津田さんは、よくこうやって僕の髪に触れていた。高さ的に手を置きやすいだけだと思っていたけど、津田さんなりの返事だと分かる。今は、この掌がとても温かく感じる。
「……戻ってきたら季節が変わっていて、驚いた」
津田さんはそう呟いた。
ふと訪れた静寂。
津田さんが、何かを言おうとして唇を開きかけた。でも言葉は出ず、もぐもぐと動いて言葉を飲み込んでしまった。
そんな津田さんの肩をがっしりと掴んだのは佐倉教授だ。
せっかく僕が津田さんと久しぶりの会話を試みているのに、邪魔しないでほしい。
「みっ君……もう、大丈夫か? 倒れるし、渡会先生も何か変だったし」
津田さんの顔色を窺いながら、教授が話しかける。
「ごめんなさい、佐倉さん」
「何を謝るんだよ。俺は本当に、嬉しいんだ、お前が帰ってきて」
「いいえ。タクマくんの帰りを期待する貴方の」
「いい加減にしろ」
低く静かな声。流石に本気で怒っている。
そんな教授の唇に津田さんはそっと指を当てて黙らせる。
「……貴方の気持ちを利用して、貴方が僕を殺すよう仕向けた……呪詛を行った」
絶句する教授に深々と頭を下げて、津田さんが詫びる。
「倒れたのは……もう回復したので大丈夫です。渡会教授の術と、う……丹波くんの鈴のおかげで」
僕の鈴のおかげ。それは僕としては嬉しいことなんだけど、津田さんの表情が暗くて、素直に喜べない。それに、
「呪詛ってなんだよ……」
ふらふらと教授はソファに座り込んだ。僕も全くもって同感だ。
呪詛って、呪うってことでしょう? 嫌だよ。そんな術かけられちゃ、嫌だよ。自分のせいで津田さんに何かあったら。そんな恐ろしいこと、想像したくもない。
津田さんはへたり込む教授に熱い焙じ茶を淹れてあげている。僕にも、教授の隣に座るよう促す。お客様用の綺麗な湯呑みが僕の前に置かれる。
「呪詛は、誰かが、誰かに災いが起きるよう願うもの。今回は僕が教授を操作して、僕を呪うよう仕向けたけど、術を跳ね返されたので倒れた」
呪詛は、失敗すると術者に災いが起こるものだから。
といつもの澄まし顔で津田さんが言う。
いや、そういう、呪詛とは何かを知りたいって意味じゃないよ。
またそうやってはぐらかすんだから。
「じゃあ何だ、お前。俺の、タクに会いてぇって気持ちを利用して、タクを返せ、そのためにお前が死ねって、呪詛とやらで操って、俺に無理矢理、そう思わせたのか?」
「そうです。でも術者は僕なので、失敗しても僕に返るだけ」
……つまり、呪詛とやらが上手く行っても失敗しても、津田さんだけが危ない目に遭うということだ。もう怒る気力も無くした僕らを、津田さんは不思議そうに見つめてくる。津田さんが帰ってきてくれたことは、本当に嬉しい。でも、それだけで済まないことが多すぎる。
山で何が起きていたのか、どうして津田さんだけがすぐに戻ってこなかったのか。
分からないことだらけだ。
その上、やっと帰ってきた津田さんは自分を……その、傷つけるしで、僕はもう頭が痛い。
呪詛で操られかけた佐倉教授は、何度もため息をついて何か考えこんでいる。こんなに深刻な面持ちの佐倉教授なんて、とても珍しい。
僕がちらりと教授の顔を窺うと、僕と津田さんで話を続けろと言わんばかりに手をしっしと振った。
僕は少し悩んで、それから、ずっと気になっていたけれど誰にも訊けなかったことを、思い切って訊ねてみた。
「あ、あの。津田さん……タクマさんっていうのは、佐倉教授の息子さんですね?」
「そう。享年15歳」
津田さんは僕の問いにあっさり答える。僕の隣で教授がこくんと頷いている。
「まだ、……中学生? 高校生?」
どうしてそんなに若くして……と胸を痛める僕に津田さんが言葉を続ける。
「僕が彼を追い詰め、僕が彼の手を血で汚させ、僕が彼を殺した」
あんまりにさらりと言うものだから、あ、そうなんだって僕は受け流しそうになった。
「へ?」
「みっ君、それは」
教授が慌てて口を挟んだけれど、津田さんはぴしゃりと遮る。
「いいえ。……全ての大元は僕だ。貴方には僕を憎む真っ当な理由があるし、宅麻君を蘇らせろと言う権利もある。長年の願いを叶えれば良いのにそれをしようとしない。僕には、千萱が理解できない」
津田さんがふと、部屋の戸口を見て口を噤んだ。戸口には、5人のゼミ生。あの山に行った面々だ。二木さん、皆を集めに行ったのか。
そこには幸虎くんも居た。
津田さんを見るなり、幸虎くんがわんわん泣き出した。
廊下で泣かれては困るから、とにかく全員を部屋に入れた。佐倉教授は執務机に着き、ソファとその周りに持ってきた椅子に皆が座る。
ソファの傍らに佇む津田さんに幸虎君が何度も詫びる。
「あなたでしょ、助けてくれたの。夢に出てきてくれて……あの、本当にごめんなさい」
津田さん、ここにいない間に、幸虎くんを助けたの?
夢に出てこれるなら、僕にも会いに来てほしかったよ。
幸虎くんが、重ねて僕らに謝った。
「僕が、兄さんから聞いた山の話を友だちにしたから。それで、あいつら面白がって……だから、皆さん、あんな目に。ごめんなさい」
二木さんも、
「俺が、弟に話したのがそもそも悪い。改めて、皆、申し訳なかった。何より、津田。お前、本当に……」
弟と一緒に深々と頭を下げる。
「鳴鶴。幸虎くん。何一つ、君たちのせいではない。君たちが誰かに山のことを話したからと言って、君たちのせいにはならない。山に行くと決めたのは彼らだ。幸虎くん。二度と自殺など考えるな」
津田さん、貴方がそれを言いますか。
それも教授を利用してまで実行しようとする貴方が。
僕が複雑な思いで聞いていたら、佐倉教授も同じことを思ったようだ。
「お前だって、」
言いかける佐倉教授に、津田さんは淡々と答えた。
「僕は幸虎君とは違う。貴方も見たでしょう。直接、手に掛けたのだから。僕は紛うことなき人殺しだ」
皆の視線が津田さんに集まる。突然の告白に、誰も何も言えない。
佐倉教授も言葉を失っている。
津田さんは、真っ直ぐに、佐倉教授を見つめて口を開いた。
「この夏なら、貴方に返せるはずだったのに、返さなかった。今生の僕の務めは、千萱。……貴方に宅麻君を返すこと、それだけだ」
返せるはずだったって、どういうこと。だって、死んじゃった人を、どうやって。
それに、返すって、まるで津田さんが佐倉さんから宅麻くんを奪ったみたいじゃないか。そんな言い方をするのはどうしてなの。
佐倉教授が津田さんの手を取り、首を横に振る。
津田さんは困ったような顔をして、でも静かな声で言った。
「貴方の手元に返せるのに、僕は彼を返さず、彼らを帰した。あなたの望みを切り捨て、自分の望みを優先した。己の欲のために、再び同じ過ちを犯した。そう捉えてくれて構わない」
津田さんが目を伏せた。
「実際、今の僕なら、彼を生きて戻せた。……最悪の結果しか招けなかったあの時の僕とは違って」
津田さんの独白を聞く佐倉教授の手が、わなわなと震えている。
それをそっと撫でて、津田さんは言った。
「より確実な手を考える。まずは体力戻してから。一旦、帰ります」
言うだけ言って、津田さんはさっさと帰ってしまった。
皆が引き留めるのも聞かずに。