第八話 笑うという行為は(ry
始めに降り立った小さな町、初期地点としては平凡なのだろう町並のそれとは裏腹に、町の北側に広がる森はかなりの難度を誇る魔境であった。
「ごめん兄ちゃん、またそっち側行った!」
況して今の自分は片手を塞がれてしまっている。右手が使えないとなると実はかなり危険なのだが、今さらそんな事を言っても仕方がない。
とは言え森の中で視界が効かず自由に身動きが取れず、そのくせ相手は蛇や猿や虫型と自由自在に動き回れるのが厄介なだけで、急所を突ければ今の自分でも一撃で倒せる程度なのだからバランスは取れているのだろう。
事実先導する少年は、自分よりも年若いと云うのにそこまで危うげなく対処しているのだし。
「問題は無いよ。それはそれとして、詳しい話を聞かせて貰っても良いのかな」
そうは言ってもまだまだ若人だ、動きの節々に対人戦闘を基幹としている素振りが見えるし、頭上からの動きには対処がもたついてもいる。
今もまた、頭上の枝から降ってくる蛇の頭を切り落としてやりながら問いかける。
ここまで付き合っておいて何だが、もしも少年が某かの罪を犯していた場合、自分はこれ以上の逃走の補助をするべきではないだろう。
まあ追っ手の風体や所作を見るに、官憲の手の者とは到底思えはしないのだが。
「……取り敢えず聞きたいんだけど、兄ちゃんってホントに初心者?」
「ひどいな、逆に何処をどう見たら初心者以外に見えるのさ」
一つ言っておくが君が手錠を掛けたんだからな、その、しまった逃げられない、みたいな顔は止めようか。これも取れ高と言えるのだろうか、そう言えばコチラの事情も説明していなかったような気もするし、ここいらで少しばかり小休止を挟んでもいいだろう。
「そう言えば、僕は動画を配信しようと思っているんだけど、君は顔映しちゃっても大丈夫?」
「……大丈夫だけど、兄ちゃんって経験者だったんだね。それなら強いのにも納得かな」
まあ、経験者と云えなくも無い前歴ではあるがあくまでも現実での事だ、ゲーム内でチャンバラをしていた訳では無いので齟齬が出ても困るのだが、訂正している余裕までは無いだろう。
「それで、ええと、詳しい話ね。どこから話したらいいかな」
「まあ、判りやすく噛み砕いた話で良いよ」
どもる、と云うほどではないが言葉に詰まる様子のある少年。余程複雑な事情なのか、単純に少年の方が罪が重いのか。しかし逡巡はその一度きり、キリリとした顔でコチラを向いてはっきりと言葉を述べる姿には、自身の正しさを証明しようとする人間特有の必死さが垣間見えた。
「ボク、クエストの途中で盗賊からお宝を盗み返してやったんだけど、それを逆恨みされて追われてるんだ。……だから、助けてくれない?」
真摯にコチラを見つめる視線に嘘の色は見えない、となれば少なくともその発言は真実なのだろう。何を盗んでどう追われているのかまでは、流石にこれだけでは判らないか。
そもそも手錠で繋がれている以上一蓮托生なのだ、逃げ切るか捕まるかしない限りは、少なくとも少年がコチラを解放しない限りはこのままなのだろう。
「どうしたら助けた事になる。何処までやって欲しいんだ」
「……少なくとも、今追われている相手をやっつけてくれたらいい。あいつら全員NPCだからやっちゃっても大丈夫だし」
少年はあっけらかんと言っているが、本当に大丈夫なのだろうか。一対一で不利になるとは思わないが、複数に囲まれたら勝ち目など無かろうに。そもそもそれが理由で逃げていたのではなかろうか。
「その後は、どうする気なんだ」
「それでクエストは終わるから大丈夫」
鬱陶しそうな顔をしているが、嘘はついていない辺り正直者なのだろう。もう少し表情を偽る事を覚えた方が将来的には良いのだろうが。
とは言えそろそろ時間切れか、丁度良く開けた場所にも出た事だし一つ本気で立ち回ってみようか。
「少年」
「なに、兄ちゃん」
そう言えば、未だに相手の名前も知らなかったが、まあ向こうも特に何も言っては来ないのだ。問題は無いだろう。
「少しばかり本気で動く、君は防御に専念していてくれ」
自分がそう言った瞬間の少年の表情は、正に鳩が豆鉄砲を食ったような表情と云うに相応しい代物であっただろう。とは言えそう驚くような事ではあるまい、少なくともたかが盗賊如きに遅れをとるほど柔では無いし、何よりここ迄の強行軍である程度の錆は落とした。
後は仕上げに磨くだけだ。
「もう逃げらんねえぞ!」
怒声と共に踏み込んでくる盗賊。近寄ると仄かに薫る饐えた臭い、何処まで再現しているのだろうか、無駄に高度な技術に頭が下がる思いがするが、それはそれとして不愉快なのでさっさと退場してもらおう。
右手は手錠で封じられている故に酷く不格好な形になるが、直剣による平突きを肋骨の隙間目掛けて通す。人体どころか動植物の関節その他の構造まで再現している辺り、本当にこのゲームはゲームと思えない程の仕上がりだろう。故にこそ、こうして一撃で切り殺せる。
「うぇ?」
広がり飛び散るのは血飛沫の代わりの鮮やかなポリゴン。これが青いとNPCで、赤い色はプレイヤーだという事らしいが、前情報通りに青色で助かる。
ついで踏み込んで来たのは二人、後続との距離は幾らか離れてはいるが想定よりは近しい。だが問題は無いだろう、血飛沫に紛れる様にずれながら、自分の身体で少年を隠す。
咄嗟に敵を視認できなかったのだろう、踏み込んだ勢いを殺した二人の賊は今の自分にとって格好の獲物でしかない。
急停止して辺りを見回そうとした賊の前に、血飛沫を切り抜いて飛び掛かる。少年との距離を保ちつつも少々過激な動きだったか、悲鳴が後ろの方から響いてきた。
向かって右手側の賊の首目掛けて剣を一振り、骨には当てぬ様にされど血管は引き千切れるように。ドンピシャを通した切っ先に釣られるように、再び青い血飛沫が空を舞う。
驚愕か、恐怖か、或いは単純に認識できていないのか。無防備に同僚のシャワーを浴びている片割れを地面に押し倒し心臓を一突き、それで先遣隊は全滅だ。
「案外強力だね、補助魔術って」
青いポリゴン塗れになっても薄く赤い光が漏れる刀身を見ながらそう独り言ちる。単純に攻撃力を底上げするだけの魔術だが、それのお蔭か賊の纏う貧相な鎧を意にも介さず貫けるのは大助かりだ。想定ではもう少し苦戦するかと思っていたが、この分なら後続も余裕を持って処理できるだろう。
「兄ちゃんって、何者?まさか本業殺し屋とか言わないよね」
恐る恐ると云うのが正しいだろうか。後ろから聞こえる声音からは出会った当初の勝気さなど欠片も見えず、ただただ畏怖の声色だけが伝わってくる。
経験上、こういった時に振り向くのは逆効果にしかならないのだ、ここは大人しく背を向けたまま言葉を返そう。
「日本にそんな人は居ないよ。自分は少しばかり剣を振るのが得意なだけさ」
これで納得してくれれば良いのだが、と言うよりこれ以上腕を伸ばせないので距離を取らないで欲しい。このままでは流石に肩が痛くなってきてしまう。
その祈りが通じたのか少しばかりは互いの距離も縮まる、まあ迎撃の為に自分が位置取りを変えたのも理由の一つではあるのだが。
無遠慮に野草を踏み潰す無法者の足音が近づく、残りは四人、既に相手の分断は不可能な距離である以上、実力行使で纏めて殺すしかない。ざっと見たところ先ほどの三人に比べて少々武装の質が良さそうだが、さて、この鈍らで何処まで行けるものだろうか。
思考を回しながらも心は冷徹に、身体は使命を果たすために一つの剣として錬磨させる。かつてに比べれば杜撰な精度でしかないが、それでもこの程度の賊を相手にするなら十分だ。
後ろ手に少年を庇いながら静かに息を潜めて賊を待つ。久方振りの鉄火場なのだ、思う存分愉しませて貰おうではないか。
この程度の賊で満足できるとは思えないが、まあその時はその時だ、後の事は忘れて今を存分に楽しまなくては。
何やら後方から息を飲むような声音が聴こえたが、まあ詰まらない些事だ、捨て置いても良いだろう。