第五十話 未知との対話
黒々とした渦、それが視界いっぱいに広がったかと思えば、次の瞬間色付いた街の風景が浮かび上がる。
未だ明滅する視界に頭を振り周囲を見渡せば、そこはなんて事ないただの街並み。見覚えはないが、恐らく『フォックストロット』の何処かの筈。
先に死に戻っている筈のモーラス君の姿を探すが、見たところ何処にもその姿はなく。
良く良く見れば、通りに人影の一つもない。
これは、もしや中々の異常事態ではあるまいか。
『ユーザー名『アスラ』の接続を確認。……対象の行動ログを精査、……再走中、……確認完了』
そんな中、不意に響いた無機質な機械音声に、視線を正面へと戻せば。そこにはいつぞやの鏡が、厭に黒々とした鏡面を向け立っていた。
『これから貴方に幾つかの質問を行います。正確に答えてください』
『一つ目の質問です。……貴方は、自身を何人だと考えますか』
……随分と、いきなりな展開ではないか。
まるで査問会か何かのようなその雰囲気、見れば鏡の左右には、同じような意匠の石碑が一対立っている。
黙して語らぬ器物らであるが、まるでその向こうに人が隠れているかの様に、えも言えぬ圧が全身へと降り注ぐ。
それに急き立てられて、と言うわけではないが。
このまま黙していても状況は変わらぬだろう事から、向こうの想定通りの答えを返す。
「日本人ですが、何か?」
コクーンの購入時に様々な書類を提出したが、そこにもキチンと日本国籍と載っていた筈だ。
少なくとも、自身の日本国籍が剥奪されたとは聞いていないし、そこはきちんと義父にも確認している。
……実は割と危なかったかもしれないとは、色々と面倒事が済んだ後に聞いた話だが。
とは言えそれは、向こうの想定通りの答えでは無かったのか。暫く鏡は沈黙し、ついで一筋の光を表面に映し出しながら次なる問いを発する。
『二つ目の質問です。……貴方の幾つかの戦闘ログにおいて、アバターに設定されている魔力定数を越える数値が検出されています。これについて、説明を要求します』
……ふむ?随分と不思議な事を聞くものだ。
自分が問題なく魔力を振るえているという事は、ゲームの世界内にその情報が存在している事に他ならない。
その上で言うならば、魔力などその場その場の感情の高ぶりしだいで、如何様にでも上がり下がりする物だ。
設定等と言う机上の文言が、実戦で通用する訳があるまいて。
「それはまあ、そんな物でしょう。……魔力なんて命削れば幾らでも捻出できるんですから、事前の想定が要を為さないなんて良くある話の筈では?」
その答えに、くるりくるりと鏡の中の光が回る。
それはまるで鏡の向こうが長考しているかのように、上に行ったり下に行ったり、野放図にうろつき回っていた。
さて、これはどうした物だろうか。
ゲーム内での魔力の挙動を垣間見るに、明らかにマナとエーテル、そして魔力は密接に結び付いているように見受けられる。
そうであるなら魔力の原理なんて初歩の初歩、理解していて然るべき物と思うのだが。
さては偶然そうなったとでも言う気だろうか。それこそ道理の通らない話に聞こえるが。
『三つ目の質問をします。……貴方の行使している源泉不明の魔力、それが外部ツールを使用しての物では無いと、証明出来ますか?』
「……それこそ、証明のしようがないのでは?コチラがしていないと言った所で、疑うのがそちらの仕事である以上、当事者同士で議論した所で水掛け論に終始するのが関の山でしょうに」
まあ、何故このような詰問をされているのかは理解した。
大方自分の行使している魂由来の魔力の方が、不正な外部ツールの使用に抵触したとかしてないとか、そういった話になるのだろう。
そんな事を言ってしまえば、武術家は皆己の手足を縛って戦わねばならないし、料理人は味見の一つも出来ないし、何なら人形のアバターを使うこと自体何らかの規則に引っ掛かってしまうだろうに。
浅学故、あまり大きな声で言いたくはないのだが、VRゲームが他のコンシューマーゲームと違う最大の点は、自らの体験へのフィードバックの方法の違いが挙げられるはずだ。
言ってしまえば従来のゲームの感想が、感情や思考と言った部分に限定されるのに対し、VRは正しく体感を伴った『経験』となり得る事こそ、VRの最大の利点。
本来であれば出来得なかった筈の事柄を、自らの五感と体験を通じて疑似体験する。それこそがVRゲームの醍醐味であり、既存のゲームとの最大の差異。
自らの筆で空中へと絵を描き、翼も持たずに生身で空を飛んで見せ、血飛沫飛び交う戦場をその身一つで制覇する。
現代では出来得ぬ事柄、想像しか出来ぬ事。それを実体験とする事こそが、VRの本願と言える。
裏を返せば、体験が身になるのは当然の事なのだ。
かつて格闘ゲームが持て囃された時代、その脚光を浴びるのは、決まって動体視力と記憶力の良い者だった。
敵手の動きに反応し、いち早くボタンを押す。その動作に特化したからこそ、彼らは有象無象を押し退け頂点を取る事に成功したのだ。
それは当然生来の力のみで出来得る事では無く、無数の試行と、膨大な量のデータがあってこそ。
どのような分野であれ、成功者はそれ相応の経験を積んで昇り詰めるものであり、技術とは身に染み付いた知識を表す言葉である。
それを踏まえれば、VRゲームにおいても同じことが言えるのだ。
剣を振るった経験があるから、仮想の世界でも他者より早く剣を振れる。
走るのが誰より上手だから、ゲームの中でも誰より長く走っていられる。
普段料理を作っているから、やった事も無い調薬の手順が理解できる。
大なり小なり、経験を積んでるから他者よりも出来る事はある。それは何処の世界でも同じだが、それ故にゲームの中とて例外には出来ない。
通りすがる人体の急所が鮮明に判る、自身の肉体がどれだけ傷つけば動かなくなるか判る、どの程度の痛みが身体の動作を妨げるか、手に取るように判ってしまう。
すべて、すべて経験があるから判る事だ。
すべて、すべて経験が無ければ判らぬ事だ。
それを、平等を阻害する物だからと、一様に取り除く事など神さまであっても出来る訳が無い。
「しいて言えば、人より多くの経験を摘んだ。……それが答えではいけませんか?」
結局のところ、使えるから使っている、それ以上でもなければそれ以下でもないのだ。
ついでに言えば、外部ツールなどそんな高尚なものを使えるほど、自分はハイテクに詳しくない。
くるりくるりと輪を描く光が、次第に残像で円を構成する程に加速している。忙しなく、まるで堪え性のない人間が、頻りに貧乏ゆすりをしているかのように加速していく光の筋。
わんわんと鳴り響く様な幻聴すらも聞こえる程に、無音ながらもその存在を喚き立てる鏡の表面とは裏腹に。人っ子一人見えない殺風景な街並みとそこに聳える一対の石碑とが、対照的なまでに静まり返り、この場の異様さを引き立てていた。
『計測不能、計測不能、計測不能……』
不意に静まり返った空間に、不協和音が木霊する。
見れば先ほどまでは黒く輝いていた鏡面が、真っ赤な色に染まったまま、激しく光の点滅を繰り返していた。
光の明滅と共に同じ単語を繰り返すだけのその様は、正にエラーによって処理落ちした機械その物。
しまいには負荷が掛かり過ぎこの仮初の空間の維持すら覚束無くなったのか、遠目に見える風景が厭に歪んで遠のいたり、逆に際限なく近付いてきたりしているではないか。
まさか、こんな詰まらぬ仕儀で自分の冒険は終わりとなってしまうのか。
そんな思いを抱いていると、それまで沈黙したままであった、一対の石碑が鳴動しだす。
『こちらG-2、A-1へ計測作業の中断を要請する』
それは鏡の発する無機質で重苦しい音とは打って変わって、軽やか且つ涼し気な声音。
鏡、恐らくはA-1と呼ばれているそれが堂々たる体躯の偉丈夫だとすれば、石碑ことG-2は、嫋やかな見目の少女辺りか。
器物の見た目とは相反するイメージとなるが、まあそんな物に意味は無いのだ。どちらであっても心の中で思う分には問題あるまい。
『三つの質問に対する貴方の回答、及び戦闘ログの分析結果に基づき、現行システム規約に基づく処罰の適応は……不可と判断します』
そんな益体も無い事を考えていたからか、不意に出たこのような場面には適切でない単語に、つい眉をひそめてしまう。
裁定は下ったのか、下っていないのか。処分はあるのか、ないのか。
それを明らかにするのが彼らの仕事であって、過失があるならあるでコチラも相応の対応をせねばなるまいし、そうでないなら無罪放免でいいだろうに。よりにもよって、不可とは随分な物の言いようではないか。
『貴方の魔力行使は既存のユーザーデータ、並びにゲームシステムの定義する「魔力定数」及び「関係値」のいずれにも合致せず、かつ外部ツールによる不正利用の明確な証拠も、現段階では検知されません』
それを裏付けるかのように、石碑の紡ぐ言葉も何処か曖昧で歯切れの悪い物だった。
AIであると云うにも関わらず、その裏側には一生懸命言葉を選んでくれている少女の面影が脳裏を過る。そう言えば、昔の彼女もこんな風に言葉を選んで、自分の事を導いてくれようとしていたのだったか。
結局それでは何も伝わらぬと、肉体言語に走ったのは何時からの事であったか。
『現状、ユーザー名『アスラ』に係るいかなる要素も、健全なゲームの進行を妨げる要因とは断定できません。よってこの場においての裁定としては、経過観察に留める、という方向性を具申します』
石碑のその言葉を受けて鳴動を止めた鏡はと言えば、これまた打って変わった様に、静かにその鏡面を波打たせていた。
『……G-2からの上申内容に対して、一部肯定と回答。なれど一部においては否定。……ユーザー名『アスラ』の行動ログは、現在収集中のいずれのプレイヤーデータのそれとも合致しない、極めて特異な方向性を示している。……通常のゲームプレイにおいて、彼の存在そのものが、他のプレイヤーの健全なゲームプレイを妨げる要因となり得る可能性は、排除しきれない』
無味乾燥とした筈のAIの音声、それがこうも苦々しく聞こえる事があろうとは。全く以って無用な発見である。
『では、経過観察から一歩踏み込んだ『要監視対象指定』に対象を設定。さらに対象のデータログに紐付けて、『システム未対応案件』のステータスを付与。これにより通常通りのゲームプレイは継続可能ですが、ユーザー名『アスラ』の今後の行動記録は常に閲覧、検閲され必要に応じてシステム介入が行われるよう、再度具申いたします』
石碑の方から飛び出たのは、中々に長ったらしい台詞であったが、一体どういった内容なのだろうか。
取り敢えず、データの閲覧は通常、容易に行える物では無いらしい、くらいの事しか分からんぞ。
内心疑問符を頭一杯に浮かべていると、いつの間にか波打っていた鏡面は凪ぎ、変わって重苦しくも物静かな音声が流れ始めた。
『ユーザー名『アスラ』。対象には、今後のゲームプレイにおいて不審な行動ログが発見された場合、即座に運営側からの干渉がある事を宣告する。……汝の振る舞いが、真に世界にとり許容されるものであるか。その身を以って証明してみせよ』
『……これを以って、ユーザー名『アスラ』への審問を終える。……付記されたデータは即座に執行せよ』
黒々とした虚に、一筋の光を覗かせた鏡。これまで査問を進めていたそれからの言葉を受けて、両隣の石碑も同じように輝きを返す。
俄かに町を模した世界が崩れ、それと共に自分の意識も再度泥のように黒々とした渦の中へと引き込まれる。
その終点に見えるのは、先ほどまで見ていた、されどこうしてみれば違いは一目瞭然な、生きたフォックストロットの街の姿。
陰る視界のその端で、崩れ去った鏡と崩れ行く石碑の姿が見える。
『……だいじょうぶ、あなたなら、きっと』
不意に聞こえた微かな声。いつかどこかで聞いた様な、そんな訳無い優し気な言葉に、つい周囲を巡らせた視界の隅。崩れかけた石碑の傍に、朧げな影が浮かんで見えた。
……たぶん、あれはただの幻影だ。そうだろう。こんな所で会えるような、そんな生易しい君の筈が無いんだから。
不意に開けた視界の中、色とりどりの街行く人と、共に耳に入る雑多な音。
……まあ、あれだ。役得か何かと思っておこう。
少なくとも、これでまた暫くは頑張れそうだ。
コチラに向かって駆け寄って来る、モーラスとその他の三人の姿を見ながら、そう独り言ちるのであった。




