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ウォーデン・グランマティカ  作者: 二楷堂禅志郎
第一章 それは蜘蛛の糸か否か
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第四話 切っ掛けは突然に


 結局、義父(ちち)は自分が郷里に着く前には意識が戻り、しゃんとした様子で自分の事を出迎えてくれた。


 命に別状は無いとの医師の診断であったが、骨折が酷く暫くの間はリハビリに専念しなければならないとの事で継母はそちらに掛かりきり、当初の予定通り自分が幼い義妹(いもうと)の世話を任されたのであった。


 一月二月、慌ただしい時が流れるなか関係修復とまで大袈裟に言うわけではないのだが、継母(はは)ともコチラが懸念していたようなギクシャクとした関係になることもなく円満に過ごせた事も良いことである。

 その間、義父は随分と継母に絞られた様子ではあったが、それもまた家族の仲を深める一助となったと思っていてもらおうか。

 


 そうして無事義父が退院したのは良いものの、今度は継母の矛先がコチラに向いてしまったのだ。



 それは義父が退院してから暫くの事、義妹がぐっすりと寝ているのを良いことに、偶にはと趣向を変えて菓子作りを楽しんでいた時の事。

 分量を間違った結果大量に焼き上げてしまったスコーンを、山と積んで継母と一緒に処理していたおやつ時の出来事であった。


「ねえ、アキラ君。貴方ずっと此方に居るけど、それでいいのかしら」


 楽しいかは分からぬが家族水入らずの団欒を楽しんでいた所に唐突に投げ入れられた爆弾は、味方……ではないにしても中立の立場だと思っていた継母からの物であった。


 容赦のない語り口、コチラを気遣うように下手に出ているような表情と語気が、尚更にコチラのメンタルを削りにかかる事は継母には分からぬことなのだろう。正直な所、いつ言われるかと悶々とするよりかはまだマシと言えるかもしれないが、それはそれとして突かれたくない所ではあるのだ。出来れば触らずにいてくれたら嬉しかったのだが、話題に出た以上知らん振りは出来ぬだろうと腹を括って言葉を返す。


「今はこっちの方が大変でしょ。向こうの家電とかはコンセント抜いてきたし、たまに戻って掃除したりしてるから問題ないよ」


 我ながら当たり障りないにも程がある返答。煙に巻けるとも思えぬほどに杜撰な言い訳は、当然の如く一刀の下に断ち切られてしまった。


茉莉(まつり)の世話ばかりしているけど、貴方自身の事はどうなっているのかしら。……無理に学校に行きなさいとは言えないけれど、将来の事を考えないのは駄目よ。十年後二十年後に自分が如何していたいのか、その位のビジョンは持っていないと将来やりたいことが出来なくなるかも知れないのよ」


 実に身につまされるお言葉、現状家族の事ばかりで何なら教本の類いはすべて向こうに置き去りにしているこの身には、酷く突き刺さる話であった。


「貴方今、勉強しないといけないな、って思ったでしょ」


 が、しかし。継母の言葉には続きがあるらしい。

 余所行きの澄ました表情では無く、家中でしか見せてくれない柔らかな顔付きのまま、ゆっくりと言い含める様に言葉を繋ぐ。


「無理に勉強する必要は無いのよ。社会に出た時、就職した時、やりたい事を見つけられた時。自分の進路を決める時に、進んだ道で役立つ知識を知っていればそれで良いのよ」


 良くは知らぬが相応にランクの高い大学を出て大手企業に就職した継母の言葉とは思えぬ程、その言葉は緩やかな物であった。

 世間の御母堂はやれ「向かいの子は勉強してる」だ、「いつまで遊び惚けているの」だとか口煩い位に小言を言い出すものだと思っていたが、誰もがそうな訳では無いらしい。


「もちろん私だって、貴方には勉強して欲しいとは思っているのよ。でも社会に出て学んだ事は、案外学校の勉強は意味がなかった事と、学校では教えてくれなかった事の方が大事だって事の二つ。だから、貴方には将来の為の知識と経験を蓄えて欲しいとは思っているの、ただ勉強だけに集中するのではなくてね」


 目から鱗な新事実、たまさか学業として修めたものが、その延長線上にある筈の社会では通用しない等という事があるとは、かのリハクにも読み切れぬに違いない。


「まあ、小難しい話をしてしまったけれど、あの人の状況も落ち着いてきたし茉莉の事にも私が携われるようになったから、貴方も少しは自分の時間を大事にしても良いのよって言いたかったの。年相応の子供が過ごすように遊んでいるのも、今の時期にしか出来ない大事な事だからね」


 

 ……天使だろうか、この人は?


 

 世の母親すべてが横暴だとは思わぬが、それでもここまで優しい人がそうそう居るとは思えないレベルの母親だろう。全く以って茉莉は良い母親の元に生まれたものである。


 とは言え趣味の類いなど無きに等しい自分にとって、一人の時間など与えられても持て余してしまうと云うもの。どちらかと言えば義妹の世話であくせく働いている方が、心穏やかに過ごせるのだが。

 尤もその程度の底の浅い考えなど目の前の継母にはお見通しなのだろう。この数か月というもの、コチラもあちらも取り繕うことなど出来ず激流に流されるかのようにして過ごしていたのだから、それなり以上にはコチラの状況は察されているに違いない。それもあっての先ほどの話なのだとしたら、コチラが想定している以上に心配をかけているのではないか?

 

 そう考えたら何時までもこの似非有閑階級生活に甘んじている訳にも行かぬだろう。その為にはまず趣味を見つける所から始めなければならないのだが、如何せん悲しい事に義父には良くして貰った記憶しか無いくせに、真っ当な学生生活など送った覚えが無いのだ。友人一人も出来なかったこの身の上に、どのようにして一般的な趣味嗜好に合うような物を用意すればいいのか。

 自分探しの旅など疾うに終えたと思ったのだが、そうは問屋が卸さぬらしい。


 取り敢えず、残ったスコーンは義父が帰ってきたら処理を押し付けるとの協定を結び、分量の過誤に関しては双方黙秘するとの条件で合意を交わしたその後に、自室へと引き返したは良いものの。

 殺風景なこの部屋では何かしらの切っ掛けも掴める気もしないために、今一度ネットの叡智をお借りするべくディスプレイを立ち上げたのであった。


 そうして開いた画面の端、新着メールのお知らせ欄にポツリと一つ、タイミング良く明かりが点る。

 見慣れぬアドレスからのそれは、然れど既視感を感じさせる文面のそれで思わず警戒もせずに覗いてしまった。


 素っ気ない文面の件名、『正式サービスの開始とプラットフォームの利用契約について』とだけ書かれたそれに、記憶の底から一筋の文面が思い起こされる。


「そう言えば、なんか来てたな」


 それを受け取ったのは丁度コチラに来る直前だったか、新作ゲームを配信するだけでお金を貰えるという代物だと記憶していたが、フタを開けてみれば予想以上の物だったらしい。


 少なくとも、β版の批評を見る限りにおいてはかなりの割合を好意的な意見が占めている。

 それも今後の成長性やサービスの拡充を前提とした意見ではなく、しっかりと現状の時点での評価として記載されているではないか。システムの秀逸さから始まりグラフィックの美麗さ、楽曲の良さ世界観の深さ広さ、果てはまるで生きているかのように応答するNPCの精巧さ。

 

 そして何よりも公式サイトのPVの映像美たるや、ファンタジーの城下町に大森林、おどろおどろしき幽冥峡谷、雄大な空を征く竜騎士の編隊。正に一個の世界を映し出すが如く微に入り細を穿つ情景の数々に、どうしようもなく心惹かれるモノが在ったのだ。


 昨今、課金圧を高めるために()()()不完全な、或いは今一つな状況でお出しされる作品も増えた中で、こうも堂々と自信満々に喧伝されると流石に鼻白む所も相応にある。


 それでもレビューをスクロールする手が止まらないのは一体どうした事なのか、気が付けばゲームの登録サイトまで辿り着いて居るではないか。いつの間に自分の手は支配下から脱却したのか、慄く振りして誤魔化してみても引き寄せられる目を引き剥がすことは出来ず、『登録』のボタンを押下しそうになったその寸前、はたと思考が周り手が止まる。


 

 そう言えば、このゲームは()()()ではなかったか。



 この数ヶ月、こちらに入り浸りであった事と、併せて義父の容体の事もあって仕送りの類いなどは一切コチラには入っていない。それはそれとして向こうのアパートの家賃は当然の如く引かれているのだから、急いで引っ張り出した明細に並ぶは悲惨なまでの貯金残高。

 正直今の状況ならば、継母と義妹と共に過ごす環境も悪くはないかと感化されてきているが故に、向こうのアパートは解約しても構わないのかもしれないが、それはそれとしてこのままでは折角見つけた趣味も早々に楽しめなくなる事請け合いだ。


 普通であれば、ここでバイトを探して手を打つのかもしれないが、生憎と自分は普通の範疇には当てはまらない。

 バイトを始めた所で早々にメンタルをやられて再びカタツムリになるに違いない。少なくともこの数ヶ月で三回は継母にも見られているし、義妹には一度潜り込まれたこともあるのだ。

 危ない橋は渡るべからず、君子危うきに近寄らず、だ。


 では八方塞がりなのかと言えばそうでもない。


 自分が普通でないように、このゲームも普通ではないのだから。

 


 スクロールしたのは数ヶ月前に来ていたメールの内容の下、そこに記載されていたURLへとジャンプする。

 

 

 規約の類いは熟読した。キックバックの条件も、特別賞与の件も確認した。



 目指すのは『月額無料』の上位5%の狭き門。生まれて初めて見つけた趣味かもしれない可能性のその為に。



 僕のゲーム世界での冒険譚は、こうして始まったのだった。


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