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ウォーデン・グランマティカ  作者: 二楷堂禅志郎
第一章 それは蜘蛛の糸か否か
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第三話 気力とは一人で出せる物では無い


「いったぁっ!」


 何時ものように悪夢に苛まれていたその最中、唐突に足に走った痛みに飛び起きることも出来ずにベッドの上で悶え苦しむ事となった朝方。


 久し振りに健康的に朝起きられたと云うにも関わらず暫くベッドの上で煩悶としたまま動けずに無駄な時間を過ごした後、どうにか立ち上がり冷蔵庫まで歩けた所で昨日の惨状を思い出す羽目となり、結局まともに活動できるようになったのは昼時近くになってからの事だった。


 吊った足を労りながらも昨夜の惨状の後始末を手近な所から始めて漸く終わったのが昼過ぎの事、流石に腹が空きすぎて腹痛を感じ始めていた為昼は豪勢に三パックのプリンを開けて流し込んだ。

 経験上、こういった時に固形物を食べてしまうと高確率で腹を下して、その日一日普段とは別の意味で何も手に付かぬ事となってしまうのだ。


 勿論、三食バランス良く食べていれば気を付ける必要も無いことだが。


 何だかんだと身支度を整え終わったのは既におやつ時に差し掛かった時の事で、そんな些細な事ですらもメンタルにダメージを負ってしまう程に弱った自分に最早溜め息すらも出てきやしない。


 そんな事を考えつつも、ついクセで何時もの机の前に座ってしまってから漸く携帯の受信履歴に気が付いた。


 [AM 8:30]の刻印と共に流れるのはコチラの安否を気遣う内容のメール。とは言え義父(ちち)からのそれは回を追うごとに労りや励ましの文面が削られ、その代わりと云わんばかりに向こうの近況報告が連なっている。

 昨日のメールなどはその最たる物だろう。始めこそコチラを気遣う文面が書かれているが、その後は怒涛の『子供がカワイイ』の絨毯爆撃。

 自分だから微笑ましく見てとれるが、これが他の家庭であったらどう考えても家庭崩壊待った無し、子供がグレるに決まったも同然の所業だろう。


 それでも家族との繋がりが、今の自分には残された最後の拠り所なのだ。

 もしかすると義父は自分の事を疎ましく思うが故にこういったメールを送りつけているのかも知れないが、そうであってもコチラが何を思うかはコチラの勝手だ。


 幼子の可愛さは万国共通だと添付された写真を見ながら和んでいると、その下にもう一通、見知らぬアドレスからのメールが届いている事に気付く。


 それは一時期届きまくっていた迷惑メールのどのアドレスとも異なる番号。すわ昨今流行りの詐欺メールかと期待混じりに開いてみれば、そこに記載された件名は実に無味乾燥とした味気無い物。

 これならば前に見た『マンボウに夫が〇されてから2ヶ月、独り身で淋しい夜を過ごしています』のインパクトの方が勝るだろう。


 そう思っていたのだが、中身のインパクトは双方甲乙付け難い物であった。


 『新作の配信案内』とだけ銘打たれたそれは、確かにその件名の通りの内容でありながら度肝を抜くような内容であったのだ。


「ゲームを配信するだけで、お金が貰える?」


 書いている内容自体は単純極まりない事ではある。今時流行りの『ゲーム配信者』なるものを、今回新しく出来た自社プラットフォームでも展開したいとの思惑に加え、そこに新作ゲームの宣伝も乗っけてしまおうという魂胆であろう。それ自体はそこまで可笑しな事でもないが、その内容が可笑しな事になっているのだ。


「月毎に一時間以上のライブ配信を三回もしくは三十分以上の動画投稿を十回で、月々の利用料金の割引と高速回線の優先利用権の獲得」


 ありきたりと云えばありきたりな内容だが、リピーターを確保するために一定額を割引し続けるのが有効手段である事は、何処の業界も証明している事柄だ。割引率が六割と云うとち狂った数字でなければ余所でも目にする内容だろう。


「更に視聴者数上位一割のユーザーと、配信投稿時間上位一割のユーザーにはキックバック有り」


 されどこちらはそうそう見ない項目だろうか、一定以上の視聴時間や固定視聴者数等で収益化出来るシステムは一般的にはなって来ているが、それでもプラットフォームの運営側から直接的な金銭のやり取りが発生する等まず無い筈だ。更にはどちらの文面にも時期の限定がないどころか、恒久的に執り行われるとの文面もある。


 では余所のプラットフォームの様な収益化、広告掲載料や投げ銭の類いが無いのかと云えばそんな事は無く標準搭載されているし、何なら大手よりも幾分か基準は緩く設定されているほどだ。

 更には企業側から『優良配信者』と目された場合、追加で特別賞与の類いが出るとも記載されている。


 そんなので採算がとれるのか心配になるが、調べてみれば大手の会社が新しく立ち上げた子会社の新規プロジェクトの一環らしく、過去の業績や事業内容を見ても怪しい所は欠片も無い。

 

 内容だけを見れば実に良心的なサービスと言えるだろうが、まあ、自分には関係ない事だ。


 こんな自分が人前に出るなど、例えアバターごし画面ごしであったとしても到底無理難題なのだから、そう結論付けて画面を閉じる。


 未だ、室内に薄くカーテンを透過した日差しが射し込む程度には明るい時刻。義父からのメールに励まされたからか、いつもの様にカタツムリになる必要が無い程には気力が充実しているが、さりとてその勢いのまま外にでも出たなら再び貝になる未来しか見えず、大人しく義父への返信内容を書き綴る作業に取り掛かる。尤もコチラから伝えられる内容など皆無に近く、結局は何時も送っているような薄味のスープを水で薄めたような文言に、申し訳程度に添えた近況報告で嵩増しされたそれを送る。

 

 

 そうこうしている内に気が付けば既に室内も暗くなり、カーテンの向こうの外は茜色と藍色の混じり合う夕暮れ時に。

 

 落ち着いている腹の調子を見るに今日は久方ぶりに固形物を食べられる日だろうと、少しばかり浮かれた気分でいそいそと冷凍食品のパックを取り出し調理しようかと意気込んでいたら、予想もしていなかった電子音に浮かれ気分に水を差されてしまったではないか。


 致し方無く自室の端末を拾い上げに戻ると点滅していたのは見慣れた義父からのメール、では無く滅多に来ない継母(はは)からのメール。別段コチラ側に確執がある訳では無いのだが、向こうからしてみれば再婚相手の連れ児、それも血の繋がらない思春期男児など扱いに困っても致し方が無いだろう。それもあってコチラから家を出た訳で、だからこそ険悪な関係になる様な要素も無くそれなりな関係値は維持出来ていた筈なのだが、一体全体何の用なのだか。

 

 そう思い確認してみた件名には端的な文章のみが書き記されていて、だからこそ理解に苦しむことになったのだ。


「は、『(義父さん)が事故にあった』?」


 一瞬、昼間の出来事を想起する。とは言え二度見したアドレスは間違いなく継母の物で、そこを見間違えるような事は無いと断言できる以上騙りやなりすましでは無いだろう。であればこの変換も忘れたような文面はあの几帳面な継母が送って来たという事で、開いてみたその瞬間、自分の周囲の時間が一瞬で凍結したような気分を味わう羽目になってしまった。


「……うそ、だろ……」


 そこに書かれていたのは衝撃的な代物で、暫くの間脳が理解を拒むほどだった。

 言葉少なで、所々誤字脱字や誤変換すら挟んでいたが故に解読に時間が掛かってしまった事もあるだろう。それでも小一時間は携帯端末を拾い上げた姿勢のままで固まっていた事になる。動きようも無く固まったままだったその時間を切り裂く様に、手元の端末が不吉な音を鳴り響かせた。


 それは今しがた想起していた継母からの着信音。条件反射で出てしまったがどうすればいいのだろうか、困惑した顔のまま開いた画面を見つめ続けるが向こうは其れにも気付かない程憔悴しているのが見て取れてしまった。


『アキラ君、メールは見て貰えたかしら』


 普段は凛々しい女傑の様な継母の顔付きも、今は見る影もなく意気消沈としている。


「見たよ、継母(かあ)さん。……本当なの?」

『ええ、本当の事よ。……私も先程聞いたばかりで、詳しい事はまだ聞けてはいないのだけれど』


『仕事の帰りに交通事故にあったらしいの』


 しどろもどろなその姿に現実味を感じるよりも前に、一周回って冷静になってしまった。未だ状況は理解出来ていないのだが、取り敢えずこれだけは聞いておかなければいけないだろう。


「義父さんの様子は?怪我とかはどうなの?」


 家人が事故にあったと聞いたなら、先ず一番に予想して然るべき質問だろうに慌てた様子の継母はそれにも思い当っていなかったらしく、その慌てぶりに不吉な予想が足元から這い上がってくる。それは何時もの奥底から迫りくる震えの様な甘優しい代物では無く、足元を突き崩すような激震を伴っていた。


『頭を強く打ったようでまだ意識が戻らないの。ずっと病室で、反応が無くって、わた、わたしどうしたらいいのか、わからなくて』

「継母さん、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから。僕が、手伝えることはある?」


 ゆっくりと、言葉を噛み締めるようにしながら一言ずつ伝えようと努力する。その甲斐有ったか次第に継母の様子も落ち着いて、普段通りの会話が成り立つようになってきた。


『そうね、そうしたら御免なさい、頼っても良いかしら』

()()なんだから当然でしょ、何時でも頼ってよ」

『それなら暫くの間、茉莉(まつり)の様子を見ていて欲しいの。……どのくらい掛かるか分からないけれど、私は敦さんの入院のお手伝いをしないといけないと思うから……』


 話している間にも暗い声色になるのは伝わったが、コチラとしても楽観的な事は何も言えないのだから上手くお茶を濁すしかない。


「任せてよ、きっちりお世話するからさ」


 殊更に明るく振る舞っては見たものの、自分の声も震えているのが今更ながら良く分かった。励まそうとしているのにも関わらず、そんな醜態を晒している自分への情けなさに顔から火が出る思いであったがそれが功を奏したのだろうか、画面の向こうの継母の顔は幾らか険が取れたようにも見えた。


『お願いね、()()()()()


 何の気なしの発言であったのかも知れない。事実、その言葉を発する前後で向こうの表情が変わることも無かったのだから。


 それでも、その言葉は自分にとって価千金の代物だった。


 その後に交わした会話の内容は良く覚えていない。それでも即座に高速バスの手配を終えて、飛び乗るように帰途へ着いたのだけは覚えている。

 その余りの行動の早さに継母に苦い顔をされたことも、今となっては笑い話だ。

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