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第75話 社畜、過去を評価される

「げ、月額……ですか……」



 その言葉は、俺をふらつかせるのに十分な威力を伴っていた。


 まずい。


 これはボディブローだ。


 完全に足に来ている。


 いや待て。


 まだ慌てる時間じゃない。


 待遇は何も金銭だけということもない。


 今の部署での給与でも、金額だけならば一日30時間、週30日程度仕事をすれば余裕で到達可能だ。



「なんじゃ、提示金額では不服じゃったか? たしかに業務によっては相応に危険が伴うし、お主の実力を鑑みれば、個人的にはもう少し上げてもいいと思ったのじゃがな。さすがに、いち社員に対する給与をワシの一存で好き勝手に上げることは難しいからのう。これ以上を望むのならば、今後仕事で実績を上げて実力を示してもらうほかないのう」


「いえ……別に不服というわけでは」



 ちょっと待て。


 まさかここからさらに上がる可能性があるというのか?


 というか、提示額でもこれまでの安月給から金額がインフレしすぎて思考がついてこない。



「そのほかの待遇はこんな感じじゃ……ほれ」


「拝見します」



 さらに渡されたメモ書きには、休暇やら福利厚生やら金銭面以外の待遇が記載されていた。


 基本的な休日については土日祝日なのでこれまでとそう変わらないが、さらに夏季・冬季休暇が各々最低十日以上と記載されている。


 ……これならばその期間、クロを連れてしばらく異世界に引きこもることも可能だ。



 福利厚生関連は社員食堂が使えるとか定期的な健康診断があるとかリゾート地の保養施設が使えるとかで、それほど突飛な項目はない。


 もっとも、それすら以前の職場環境では存在しない概念だったことを考えれば相当ホワイトになったのは確かだが。



 正直、待遇については申し分ない。


 というか金額がぶっ飛んでいるだけで他の面は至極まっとうだ。


 これまでと違い残業代や賞与(ボーナス)もきちんと出るようだし。


 もっとも待遇に関しては全般的に言えることだが、こればかりは実際に勤務してみなければきちんと守られているかどうか分からない。


 これまでの彼女の態度から俺を騙す意図はなさそうに見えるが……初対面での胡散臭い言動のせいですべてを信じることはできない、というのが本音だ。



「もちろん即決せよとは言わぬ。どうしても嫌というのなら明日から元の職場に戻してやっても構わぬ。退職するというのなら、他社を紹介してやってもよい。じゃが、まずはお主の目で職場の様子を確認してからでも遅くはないと思うのじゃよ?」


「…………」



 言われずとも、即決は難しい。


 金銭面に釣られたわけではないが、それでも生きていくためには先立つものが必要だ。


 今すぐ転職できたとしても以前と同等の待遇を維持できるかどうかと言われると微妙だし、クロの食費問題で悩まなくてよくなるのは悪いことではない。



 ただ、これまでがこれまでだっただけに、首を縦にも横にも振ることができない自分がいる。



「なぜ自分がこんな仕事を、と思っておるようじゃな」



 と、俺の胸中を見透かすようにソティが言った。



「…………それは、まあ」


「お主を引き抜いたのは、何も公園での一件だけが理由ではないぞ。当然、勤務状況や職場の人間関係については事前に書類を取り寄せ調査させてもらっておる。悪いが、他の幹部連中にお主の引き抜きを説得する材料が必要じゃったからのう。一応言っておくが公園の一件以外でプライベートを詮索するような真似はしとらんぞ?」



 彼女はニヤリと笑い、メモやペンと同様、どこからともなく書類を取り出した。


 彼女はそれに目を通してゆく。



「ふむふむ……。お主が過去に教育を受け持った新人……十人ほどおるな。二人ほど退職者がおるが、どちらも育児のため。残ったものはそれぞれ活躍しておる。お主のデスクの隣の山田という者は課のエースじゃし、この経営企画部に異動した柴田という者は入社後二年目で主任、五年目には課長代理に昇進しておる。すごいのう。一方、他の者が担当した新人は三年後には三割も残っておらぬ。もちろん二十代で課長代理まで昇進した者なぞ一人たりともおらぬ」


「……はあ」



 それがどうしたというのか。


 確かにソティの言うとおり、俺が過去に仕事を教えた新人たちは割と生き残っている連中が多い。


 しかし、当然だがそれは俺のせいではなく本人たちの資質のおかげだ。


 つーか入社当時からどいつもこいつもメンタル強者のうえ仕事も良くできるヤツらだったからな。



 それに俺以外の教育担当は仕事上がりにしょっちゅう後輩を飲み会に連れて行ったり休日にどこかに出かけてみたりと熱心に面倒を見ていたようだが、俺は面倒だからやらなかったし。


 たまに隣の同僚が金欠だったときとかに牛丼屋に連れて行ったくらいだ。



 つーかあいつら、俺が苦労して覚えた仕事を教えた側からあっという間に身に着けて速攻で活躍していたからな。


 何度ぐぬぬ……と悔しがったか分からないくらいだ。


 まあ俺もいっちょ前に先輩としてのチンケなプライドがあったので、連中の前で顔に出したことはないが。



「ふむ……その様子じゃと、どうやらお主は自身の適性を自覚しておらぬようじゃな」



 彼女は少し呆れたようにため息をついてから、さらに続けた。



「とにかく、今回の移籍は主にその実績を評価してのものじゃ。もちろんお主の、魔法少女どころか強力な妖魔すら寄せ付けぬ圧倒的な武力ありき、じゃが……それを踏まえて、お主にはぜひとも新しい職場で活躍してもらいたいと思っておる」


「……そうですか」



 意外にもまっとうな理由だったことに驚きを隠せない。


 つーかこの魔法幼女、ちゃんと社会人らしいことできるんだな……



 とはいえ、きちんと移籍の理由を説明されると断りづらいのは確かだ。


 単に先日の戦いで目を付けられただけというわけでもないらしい。



「どうじゃ? 受けてくれるじゃろうか?」


「…………そうですね」



 俺は悩んだ。


 本当に悩んだ。



 そして…………ひとまず、職場を見てみることにした。

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