第263話 社畜、従魔と街へ出る
「そういえばクロ、お前服ってどうしてるんだ?」
休日の朝。
クロと一緒に少し遅めの朝食を摂っていたとき、ふと気づいた。
最近はもうすっかり人化に慣れたのか、彼女は一日の大半を人の姿で過ごすようになっている。
特に三度の食事とお風呂の時間は必ず人の姿になる。
ちなみに寝るときはさすがに魔力の消費量の関係から仔狼の姿に戻ることが多いが、夜中ふと起きたら人の姿になって俺にしがみついたままぐーすか寝ていることが多い。
まあそれは置いておこう。
新居に移ったあとベッドを新調したから、二人分の重量で壊れる心配はないからな。
問題は食事を含めた日中だ。
当然ながら彼女は服を着ている。
最初は異世界の巫女服のような衣装を着ていたが、すぐに日本の女性らしいファッションに変わった。
その後は合宿のときなど俺の服を勝手に着込んだりしていたので、おそらく変化とともに服を真似ているのだろうと考えているのだが……
「変化のときに、記憶の中にあったりこっちの世界で見たことのある服を再現して身につけているぞ。裸の方がよかったのか?」
お箸で器用に目玉焼きを摘まみ上げたまま、クロがきょとんと小首をかしげる。
「いや違う、そうじゃない」
慌てて首を横に振った。
一瞬クロの裸が脳裏に浮かぶがすぐに記憶から消去する。
「つまり服は、クロの魔法で作り出したもの、ということで合ってるな?」
「うむ、そのとおりだ」
なるほど。
改めて確認したものの予想通りなので驚きはない。
「それが何か問題なのか?」
味噌汁をズズ、と啜ってから、やはりキョトンとした顔で俺を見つめてくるクロ。
すでにご飯と目玉焼き、そして焼いたソーセージは皿から消えている。
サラダはあまり好きではないらしく残している。
好き嫌いは良くないぞ。
「いや、別に問題というほどでもないんだけど……服を再現するのに、その分魔力を消費するんじゃないかと思ってさ。それに最近は怪人たちの動きも怪しいし、なるべく魔力を温存できるほうがいいだろ」
「む……それはそうだな」
どうやら心当たりがあったのか、クロが頷いた。
「服は構造が複雑だから人の身体と同じくらい消費量が多い。再現しなくてよいならそれに越したことはない」
「ちょっ、ちょーっと待とうか! ストップ! いま服消すのストップ!!」
クロの服がハラハラと光の粒子へ還っていくのを慌てて止める。
ふう……あぶねー……
解除の仕方が服の襟とか袖から順に消えていくタイプで助かった。
というか食事中にいきなり何をしているんだこの悪戯狼は!
いやまあ、別に悪戯でやろうとしたわけではないんだろうけどさ!
「とにかく……人の姿でいる以上、服は必要だろ。でも、わざわざ魔力を消費してまで服を再現する必要もない。服ならいくらでもあるわけだし」
「なるほど、道理だ」
合点がいったのか、クロが箸を持ったまま器用にポンと相槌をうつ。
「ただ、ウチには女物の服がない。俺の服じゃ男物女物以前にサイズが合わないだろうし、今日は部屋の掃除をしたら服を買いに行こうと思う。どうかな?」
「む……それはいい考えだ。服に割り当てる魔力を人化の維持に回せるなら、寝ている間もずっと人の姿でいられるからな」
「さすがにそこは狼の姿の方がいいんじゃないか?」
「主よ、何を言うのだ。人の姿でなければ主に抱きついて眠れないだろう」
「…………」
俺は抱き枕かな?
ともあれ。
そんなわけでランチもかねてクロの服を買いに街へ出かけることになった。
◇
「むぅ……恐ろしいほどの人の群れだ」
「休日はさすがに混んでいるなぁ」
女性ものの服を買うということで、少々遠くの街まで足を伸ばしたのだが……駅を出た瞬間、人ごみに呑まれた。
数多のドラマやアニメの舞台にもなっているこの街は駅前の交差点が名所らしく、周辺の広場や道の端っこで観光客たちがたむろしあちこちでスマホを掲げている。
しかも海外からのお客さんも多いようで、あちこちで外国語が飛び交っている。
そしてアパレルショップの立ち並ぶ街というのは、往々にして若者の街でもある。
あちこちで十代や二十代前半と思しき男女のグループやカップルたちが、楽しそうにはしゃぎながら歩いている。
まるで祭りでも行われているかのような盛況ぶりに、おっさんの俺はちょっと心が折れそうになるが……ここで引き返すわけにはいかない。
もちろん近場で済ますことも考えた。
数駅先まで足を伸ばせば、駅ビル内にファストファッション系の店舗がいくつか入っているのも知っている。部屋着はそっちで調達するつもりだ。
だが、せっかくならばお洒落な服を買ってやりたいと思うのが人の情というものだ。
まあ、最近は給料も増えて余裕があるのも理由だが。
「よし……服屋のあるエリアはもうちょっと先だ。そこまで歩こう」
「主よ、待つのだ……!」
いったんスマホで位置を確認してから、深い藪のような人ごみをかき分け進みだすと……クロが慌てて俺の手を握ってきた。
振り返れば、彼女は少し不安そうにきょろきょろと左右を見回している。
普段は泰然自若とした様子のクロだが、あまりに人の多さにちょっとビビっているようだ。
はぐれないように、しっかりとその手を握り返した。
◇
少し街を進むと、通りの両脇に建ち並ぶ店が駅前の猥雑としたものから洗練したものへと変わった。
相変わらず行き交う人は多いが、すれ違うときに右に左に避けて歩かなければならないほどではない。
さっきまでギュッと握りしめていたクロの手が、ほんの少しだけ緩まるのを感じた。
「ええと……まずはあそこからだな」
この街は普段来ることがないので、事前にネットで下調べしてある。
目当ての店は、メンズとレディース両方の服が置いてあるいわゆるセレクトショップだ。
これならクロだけではなく俺も入りやすいし、店内も広々としていてゆっくり見て回ることもできるだろう……と思ったのだが。
「む……主よ、緊張しているのか?」
と、ふいにクロが俺に近づいたと思ったら、怪訝な表情で俺の服に顔をうずめクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
「ちょっ、おいクロ!?」
「むう……やはり緊張している。まさかあの建物内部に強力な魔物が潜んでいるのか……?」
「違う違う、落ち着けクロ」
今度は勢いよく顔を上げたと思ったら、ショップの方角を睨みつけガルル……と唸り声を上げ始めたので慌てて押さえ込む。
もちろん魔物とか妖魔とかがいるわけがない。
しかし、さすが狼の魔物だけあって鼻が利くな……
「いやぁ……こういうお洒落な店って、最初入るときってちょっと緊張するんだよな」
正直に白状すると、恥ずかしながらこの手の服屋に来るという機会がこれまでほとんどなかったわけで。
もちろん緊張するといっても、自分でも意識できるかできないか程度の些細なものだ。
だが普段からずっと一緒にいるクロには見抜かれてしまったらしい。
「ふーむ……向かうところ敵なしの主でも、そのような感情を持つことがあるのだな」
そんなことをクロに話すと、笑われるどころかなぜか感心したように深く頷かれてしまった。
「……がっかりしたか?」
「何をいうのだ。むしろ主の知らない面を知れて我は嬉しいぞ」
そう言うとクロは嬉しそうに笑みを浮かべ、俺の腕に自分の両腕を絡ませてきた。
「ならば今日は我が主を護ってやろう。さあ店へ入るぞ」
そう言ってクロは俺をグイグイと引っ張り店へと歩いてゆく。
その時だった。
「廣井さん……!?」
ふいに横から声が掛けられ、横を向く。
なんか見慣れた三人組が、俺とクロを凝視していた。
「ほーう。まさか桐井の言っていたことが本当だったとはな」
「あー先輩、まあ気にしないことッスね」
そこにいたのは私服姿の佐治さん、三木主任、そして桐井課長だ。
佐治さんはなぜか俺たちを見てニヤニヤ笑みを浮かべており、三木主任は桐井課長を慰めるように肩をポンポンと叩いている。
そして当の桐井課長はなぜかガクガクと震え半泣きの様子で……
「うふふ、あはは……そうですよねそうですよね、廣井さんなら当然彼女さんくらいいますよね――――」
「いやこいつは別に――」
「あはははは……はああ……――――」
説明しようと思った瞬間、桐井課長が笑顔のままバタリと後ろに倒れた。
「あーあ……」
そんな彼女をギリギリのところで支えた三木主任が、悲しげな様子で深いため息を吐いた。




