第251話 社畜と社長、異世界へ行くことにする
翌日の怪人対策会議の後。
オフィスに戻ってすぐ、メールで社長に呼び出された。
昼休みのあと、社長室に来てほしいということだ。
あえて会議室で俺を呼び止めなかったのは、一応彼女なりに立場というか社内の空気を考慮してのことだろう。
ただの主任クラスが社長に呼び出されたら、何事かと思われるからな。
まあ桐井課長はもう慣れっこのようだが……
とはいえ、これも業務のうちである。
面倒なので、ちゃちゃっと食事を済ませたあとフライング気味に社長室へと向かった。
「忙しい中、時間を取らせてすまぬのう」
社長室の執務机の奥、窓際に佇む彼女は、すでにいつもの幼女姿に戻っていた。
部屋には、たまに見かける秘書さんもいない。
部屋の端っこで、マスコットのクマさんことミーシャが人形の振りをして俺たちの様子を窺っているだけだ。
完全に人払いがされているということは、俺を呼び出したのは異世界絡みということだろう。
最近はそのくらい察せるようになってきた。
「いえ、少し早めに食事を済ませてきましたので。それで……ご用件は異世界絡みでしょうか?」
「うむ。察しが良くて助かるのじゃ。今さら世間話から入るような間柄でもなかろう。単刀直入に言うのじゃ。またワシを、異世界へ連れていってほしいのじゃ」
「それはまあ、先日からのお約束ですので吝かではないのですが……この状況で、ですか?」
「この状況ゆえ、じゃ」
ソティはそう言ってから、執務机を迂回して俺の前までやってきた。
頭三つ分ほど低い位置から、翡翠のように美しい瞳がじっと俺を見上げる。
こうしてみると本当に可愛らしいお子様なのだが、その目に宿る強い光で彼女が本気だということが分かる。
どうしたことだろうかと思っていたら、ソティがその先を話し始めた。
「時にお主よ。ワシを見て、どう感じるかのう?」
「どう、と言いましても……」
えぇ……初手からなんか反応に困る質問が来たぞ。
いやまあ、確かにソティは黙っていれば可愛らしい女の子である。
銀糸のようにさらさらの髪は、思わず頭を撫でたくなる時がないといえば嘘になる。
ただ、聞かれている当の身体については服の上からでも分かるほっそりした体格で、正直心配になる。
日頃ちゃんと食っているのか、と。
このくらいの年頃なら、もっとふっくらしていた方が健康的なのでは……
などと考えたあと、そうではなかろう、と思い直す。
……つまり彼女の言いたいのは、その身体に宿す魔力に関することだろう。
魔眼のレベルが上がるにつれて、俺は『鑑定』に頼らずとも、なんとなくではあるが相手の魔力の多寡くらいは分かるようになっていた。
それを踏まえてソティを見る。
そして、彼女の望み通り、正直な感想を口にする。
「……最初に出会ったときに比べて、随分と魔力が小さくなったように思えます」
「やはり、お主もそう思うか」
言って、彼女は小さく嘆息した。
初対面は半年近く前になるが、その時はまだ底知れない魔力を感じたものだ。
しかし今は俺とどっこいどっこい、下手をすると俺より魔力が少ないのではないかと思うほど、ちっぽけに見える。
「すでに察しておるじゃろうが、ワシの魔力総量は以前と比べて随分と目減りしておる。全盛期と比べるべくもないのは当然じゃが、ここ最近は使用した魔力の回復量も落ちてきておってな。怪人どもが動き出しておるというのに、この状況は非常によろしくない」
「お気持ちは分かります。しかしそのことと、異世界に行くことに何か関係があるのですか?」
しかし彼女は俺の問いに答えず、質問で返してきた。
「お主は異世界にいるとき、妙に身体が軽くなった経験はないかえ?」
「……ありますね」
なるほど、そういうことか。
何となくだが、彼女の言いたいことが理解できた。
「つまり、異世界のような魔力が濃密な環境に体をさらすことで、こちらにいるより多くの魔力を体内に取り込むことができるわけですね?」
「まさにその通りじゃ」
どうやら正解だったようだ。
ただし、彼女はこうも付け加える。
「……むろん、どの程度回復が見込めるかは未知数じゃ。しかし、今回はおそらくワシも前線に出ることになるじゃろう。そのためにも、少しでも多くの魔力を蓄えておかればならぬ。……怪人どもが互いに牽制し合っている今をおいて、他に機会はないのじゃ」
「事情はよく分かりました」
郷田課長の資料によれば、今回は分かっているだけでも十体近くの怪人が街の覇権を握らんと攻めてくるとのことだった。
間違いなく、激しい戦いになる。
ならばこちら側の戦力はあればあるだけ良い。
そもそもソティが万が一にでも怪人に倒されてしまっては会社の存亡に関わる。
俺もクロがいる以上は路頭に迷うわけにはいかないし、彼女の強化にはできるだけ協力したいところだ。
「それで、いつがよろしいですか?」
「うむ、今すぐ……と言いたいところじゃが、お主も準備があるじゃろう。まずは明後日でどうかの? 可能ならば、そこから三日ほど滞在したいのう」
「承知しました。ただ、明後日から三日ですか……」
俺は唸った。
社長命令なら付き合わざるを得ないが、仕事が……仕事が溜まっているのだ。
事務仕事は常に大量にあるし、先日訪れた小山内さんの妹さん実力の把握や研修方針について、『別室』内で早々に打ち合わせをしておかなければならない。
さらに、アンリ様の戦力強化用の新装備とやらについても、試験運用スケジュールの調整をして欲しいと三木主任から要望が出ている。
最悪、事務仕事は桐井課長や佐治さんに肩代わりしてもらうとしても、実戦訓練の監督や引率については桐井課長だけでは厳しいし、佐治さんも合宿の様子を見ていると完全な新人の訓練を任せるのには不安が残る。
これらをすべてこなしてなおかつ三日間も社長の『出張』に付き合うとなると、身体がいくつあっても足りない。
しかし俺の顔を見て状況を察したのか、ソティも難しい顔で唸った。
「むう……現場の状況はワシもある程度は把握しておる。さすがに三日は無理を言いすぎたかもしれぬ。さて、どうしたものか……」
「であれば、ひとまず今週は私の定時後……夕方以降に数時間、ということでいかがでしょうか? どのみち異世界とこちら側は半日ほど時差がありますから、昼間に向こうへ出かけても真っ暗ですよ」
「そういえば、時差があったかのう。では、まずは夕方に二、三時間ほど滞在して様子をみるとしようかの」
「承知しました」
正直、魔力を回復させるだけならば昼でも夜でもビルから続くダンジョンの内部で時間を潰せばいいのだが、彼女としても多少は向こうの世界を見て回りたい気持ちはあるはずだ。
まあ、妥当なラインだろう。
「……しかし、仕事上がりに付き合わせてしまうのは、さすがに心苦しいのう。本当に大丈夫かえ?」
話がまとまると、ソティが申し訳なさそうな様子でそんなことを言ってきた。
意外と彼女が繊細な心の持ち主だったらしいことに若干の驚きと感動を覚えつつ、俺はにこやかにスマイルを浮かべ、こう言った。
もちろん揉み手付きだ。
「お気になさらず。残業代が出るのであれば何の問題もありませんよ」
「…………」
社長、半分は冗談ですからそんなジト目で睨まないでください。




