第248話 怪人たちの秘密会議 中【side】
『夜叉』の屋敷は、思ったより近くに存在した。
先ほど『土蜘蛛』のいたビルから、建物を飛び越えながら進むこと数十分。
市を二つほど越えたあたり、閑静な住宅街の真ん中で、『見猿』が電柱の上で立ち止まった。
『こちらへ』
『見猿』に続き降り立った先は、高い塀と生垣で囲まれた豪邸だった。
「……ふぅん。『夜叉』は随分とご立派なお屋敷に住まわれているようだねえ」
広々とした庭の先。
家屋の掃き出し窓が大きく開け放たれ、奥の縁側に一人の男が座り夜風に当たっている。
三十代前半と思しき優男だ。
すっきりと整った顔立ちで眼鏡をかけており、作務衣を着ている。
しかし彼の側には、耳から角が生えた猿と、口から牙のような角を生やした猿が控えていることから、ただの人間でないのは一目瞭然だった。
『我が主、『土蜘蛛』殿をお連れ致しました』
「うん、ご苦労さん」
青年は微笑を浮かべながらそう言って、ぴょんと膝に乗ってきた『見猿』の頭を優しく撫でた。
それから眼鏡の奥にある、切れ長の目を『土蜘蛛』に向け、人好きのする笑みを向けてきた。
「初めまして。どうも『土蜘蛛』さん、僕が『夜叉』です」
「お前が別の姿で私と会っていなければ、初めまして、だねえ」
言って、『土蜘蛛』は『夜叉』の前に立った。
チリチリと空気が軋む。
家から漏れる光に浮かびあがった『土蜘蛛』の影がギシギシと粟立つ。
しかし『夜叉』は『土蜘蛛』の威圧に顔色一つ変えず、『よっ』と声を上げて縁側から立ち上がった。
「ちょうど、我が家は夕食の時間でね。一緒に食べていかないかい? ……玉ねぎは食べられる?」
「……バカにしているのか? 君は」
さらに影が粟立ち、その端から昆虫の肢のようなものが這い出ようとする。
「私に好き嫌いなどないね」
「それはよかった。実は今日は駅前の店で美味しそうな玉ねぎを見つけてね。まるごと煮込んだスープを作ったんだ。この野菜は春が旬なんだよ。知ってた?」
「いいから早く案内してくれないかな? 怪人は招かれなければ家に入れないのは知っているだろう」
「おや、そうだったかな……そうだった」
『夜叉』が小首をかしげ、それからハッと気づいたような表情を浮かべた。
「これは失敬。ここ二百年近くは人間と話す機会の方が多くてね……どうぞ、おあがりくださいな。……ああ、でも土足は困るな。玄関は向こう側だよ」
言って、縁側から乗り込もうとする『土蜘蛛』に、『夜叉』が慌てて玄関口を指さした。
「ふん、最初からそう言えばいいのだよ」
『土蜘蛛』はそう返すと、ずかずかとわざとらしく音を立てながら玄関に向かい、屋敷の中へと入った。
『『土蜘蛛』殿、ご案内いたす』
廊下には、すでに上がり込んでいたのか『見猿』が控えていた。
『土蜘蛛』が乱雑に靴を脱ぎ捨て廊下に上がったのを見計らい、静かに奥へと進んでいく。
案内されたのは、十畳ほどのダイニングだった。
部屋の中央に四人掛けのテーブルが置かれ、その奥側に男が一人、座っていた。
ゆったりとした洋服を着込んだ、相撲取りのような巨漢だ。
しかしながら、男の首から上には豚の頭が載っていた。
……まさか被り物ではないだろう。
「……む」
彼は『土蜘蛛』の姿を認めると、ゆっくりと立ち上がった。
(……でかいねえ)
こうして立ち上がると、豚頭の身長は天井に付きそうなくらいほど高い。
『土蜘蛛』は十代半ばの少女の姿をしているので、少々距離があっても見上げなければならないほどだ。
そして『土蜘蛛』と時を同じくして、『夜叉』が別の入口からダイニングに入ってきた。
彼は豚頭の横に立ち、『土蜘蛛』に紹介をする。
「まずは紹介からだね。彼の名はヴェルマ。ヴェルマ、彼女が『土蜘蛛』だよ」
「ヴェルマと申す。見ての通り、オークである。以後、宜しく頼む」
ヴェルマと名乗る豚頭の男は流暢な日本語でそう話し、折り目正しい所作で頭を下げる。
まるで西洋の貴族か軍人のようだな、と『土蜘蛛』は思った。
『巫女』の記憶の中の『豚頭鬼』は、もっと野蛮で下等な魔物だったはずだが……
しかし、『土蜘蛛』は思い直す。
そもそも、『巫女』の記憶が何百年も前のものだ。
それだけの年月が経てば、いかな魔物でも進歩することもあるだろう。
「……『土蜘蛛』だ」
「さて、お互い紹介が済んだことだし、早速食事にしようか」
二体の怪人と一体の魔物が席に着くと、三匹の猿たちにより料理が運ばれてきた。
『土蜘蛛』の目の前置かれたのは、深めの皿に盛りつけられた半透明の玉ねぎと、その周囲を満たす透き通った黄金色のスープだ。
ほかに肉料理はなく、野菜を中心にした料理ばかりだ。
「僕はここしばらく肉食を控えていてね。調味料や出汁の類は別だけど……悪いけど、肉料理はないよ」
「別に構わないよ」
『土蜘蛛』とて人を喰らわないわけではないが、毎食と言うわけではない。
それに彼女が好むのは、強者の血肉だ。
そもそも今日は会食をしにきたのではない。
何が出てきても、彼女にとってはどうでもいいことだ。
(ふむ、毒の類が入っているわけでもないようだね。本当に普通の料理だ)
すでに、影の中から小さな『蟲』を出して、毒見を済ませている。
もっとも、よほど強力な毒でなければ『土蜘蛛』に害を及ぼすことすらできないが。
『夜叉』が自分を招いた意図を考えても、ここでそのような真似をする意味はないだろう。
いただきます、と『夜叉』が言って、率先してスープに手を付ける。
「うん、甘くておいしいね。やっぱり旬のものは旬に食べるに限る」
「『夜叉』殿の手料理は、実に美味だ。毎度ではあるが、食客として招き入れて頂いたことは感謝してもしきれぬ」
「…………」
そんなやり取りを横目で見ながら『土蜘蛛』は黙ってスプーンを取り、黄金色のスープを口へと運んだ。
じんわりと優しい旨味と甘みが口の中に広がる。
香ばしい匂いが口から鼻へと抜けてゆき、思わず『土蜘蛛』は大きく息を吐いた。
玉ねぎのスープという料理は初めてだったが、存外に悪くない。
「……料理は君が?」
「その反応は『悪くない』だね? 嬉しいね。もちろん調理は僕さ。まるで人間の料理そのものだろう?」
「……ふん。ここまで人間の真似を極めていることは褒めてやる」
「それは光栄だね。さあさあ二人ともどんどん食べてくれたまえよ。おかわりもあるからね」
そう言う『夜叉』は、すでにスープを平らげていた。
すぐに皿が下げられ、『見猿』がおかわりの皿を彼の前に置く。
彼は『見猿』に『ありがとう』と礼を言うと、スープをどんどんと口に運んでいく。
しかし、食事が進むにつれ、徐々に彼の顔から表情が抜け落ちていくのが分かった。
「……人間社会に溶け込んで暮らしていても、ふとした時に自分が『怪人』だと自覚することが多いよね」
さきほどとは打って変わって、まるで作業のように淡々とスープを口に運びながら、『夜叉』がふと独り言を呟く。
「街を歩いているとき。朝、ごみを捨てに外に出たとき。駅前のスーパーで美味しそうな人間を見かけたとき」
「だから僕は、毎日、人の料理を作って食べるんだ。そうすれば、少しだけ自分が『怪人』であることを忘れることができる」
「そうやって二百年余りの間、上手くやってきた。その結果、細々とこの地で農業を営んできた僕が、今じゃ『地主』というやつさ」
『夜叉』が自嘲気味にそう言った。
すでにスープは空っぽになっていた。
もう、おかわりはしないらしい。
「けれども、そんなくだらない我慢をしなくていいかもしれないとなったら……君はどうする?」
「……さあね」
正直、『土蜘蛛』には『夜叉』の気持ちはまったく分からなかった。
そもそも彼女は我慢して生きてきたことがない。
自由気ままに人を喰らい、歯向かう敵は返り討ちにしてきた。
そんな『土蜘蛛』の心中を知ってか知らずか、『夜叉』が続ける。
「だから僕は、『異世界』に渡ることにした」
「…………何だって?」
思わず聞き返す。
「『異世界』だよ。剣と魔法の世界。そして、そこの彼の……ヴェルマの故郷さ。そこでなら、僕は僕のまま生きていける。彼の話を聞く限りは、そうだ」
『夜叉』は興奮したように続ける。
彼の握るスプーンはまるで紙細工のように、ぐにゃぐにゃに折れ曲がっていた。
「そのためには、『土蜘蛛』、君の力が……『知識』が必要なんだ。ぜひ、僕と手を組んでくれないかな。もちろん見返りはきちんとする。あの街が欲しいなら、僕が力添えしよう。戦いたい人間がいるのなら、お膳立ては僕がやろう。……だから、頼むよ」
そう話す『夜叉』はこれまでにないほど、希望に満ちた顔をしていた。
※余談ですが、念のためリアルの豚さんが玉ねぎを食べられるものか検索したら豚肉と玉ねぎを一緒に美味しく食べるためのレシピばかりが出てきて辟易しました……
豚コマ使った肉じゃが、おいしいですよね!
※豚さんは玉ねぎを食べ過ぎると体調を崩すので基本NGらしいです。
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