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第241話 社畜、家具を揃える

 新居に越してきて三日目。


 早くも限界がきた。



「…………ダブルベッドにしよう」



 部屋の中はまだ薄暗いが、外から鳥のさえずりが聞こえてくる。


 俺はぼんやりした頭のまま、こんもりと盛り上がる布団をそっと持ち上げた。


 人化したクロが、ガッシリと俺に抱き着いたままスヤスヤと寝息を立てていた。


 もちろん昨日も、彼女は就寝時に自分の部屋に入っていった。


 しかし……夜中か早朝に起き出してきて、いつのまにか俺のベッドに入り込んでいたらしい。


 もちろん三日連続である。



 ……正直なことを言えば、別にそれ自体は構わない。


 起きてすぐクロの幸せそうな寝顔を拝めるのは決して悪い気分ではないし、以前から仔狼姿でなら毎日一緒に寝ていたわけだから今さらである。



 ただ……人化しているクロは、当然ながら成人女性の体格である。


 何が言いたいかといえば、シングルサイズのベッドは二人で寝るには狭すぎるのだ。


 それに今俺が使っているベッドは十年以上前に買った安物だ。


 二人分の重量をずっと支えられるようにできていない。


 正直、いつ壊れるか気が気でないのだ。


 そんな心配を毎夜するくらいなら、覚悟を決めて広々としたベッドを新調してしまった方がいいと思った。


 引っ越しと同時に買ったクロ用のベッドは、来客時などに使用すればいいわけだし無駄になることもないしな。



 そんなわけで、次の休日にクロと一緒に隣駅にある家具量販店に行くことにした。




 ◇




「おおー……こんなにベッドの種類があるのか……」



 家具量販店のやたら天井が高く開放感たっぷりのフロアに、様々な種類のベッドが並べられている。


 それぞれのベッドは、どうやらライフスタイルに即して展示されているようだ。


 シングルからダブル、子供用(?)のロフト付きベッド、電動で背もたれ部分が起き上がるリクライニングベッド。


 それに、キングサイズ……というのだろうか、家族が川の字になって寝てもなお余裕がありそうな巨大なものもある。



「主よ。この寝台の数々を見ていると、なぜか無性に飛び込みたくなるのだが……ダメか!?」



 目を輝かせたクロがキングサイズのベッドを指さして、そんなことを言ってくる。


 子供かな?


 いや、確かに大人になっても一度はやってみたいけども!


 クロと一緒にあの巨大ベッドにダイブしたら絶対楽しいだろうけども!


 大人はそういうことやらないから!


 俺はムズムズと湧きあがる衝動を押し殺して、なるべく真面目な表情でゆっくりと首を振った。



「ダメに決まってるだろ。……でも、普通に腰掛けたりゆっくり寝っ転がってみたりするくらいならいいんじゃないか」


「ふむ……主がそう言うのなら仕方ない。静かに腰掛けるとしよう」



 一瞬シュンとなったクロだったが、ベッドに座る許可が出たとたん嬉しそうな顔になる。


 彼女はゆっくりと大きなベッドの上に腰掛けた。



「む……! 家のベッドよりずっと座り心地が良いな!」



 そりゃそーだろ。


 ウチのやつは十年もののスプリングがヘタりまくったオンボロだからな。



 せっかくなので、俺もその隣に腰掛けてみる。


 スプリングが少々硬めに感じるが、広々としたマットレスだとこのくらいでないと寝づらいのだろうな、などと思い直す。


 横を見ると、クロはすでに上半身を倒してベッドの感触を全身で堪能していた。


 俺も彼女に(なら)って寝っ転がってみる。


 ……ほほう。これはこれで悪くないのではないか。


 座った時は硬いと感じたマットレスも、寝っ転がってみれば程よい弾力で全身の体重をうまく受け止めてくれる。


 それに、寝転がったまま見るフロアの高い天井の開放感も相まって、まるで魂が浄化されるような心地の良さだ。



「主よ、これがいい。これにしよう」



 クロが嬉しそうにベッドをぱんぱんと叩く。


 確かにこの寝心地を味わってしまったら、自宅のベッドにはもう戻れそうにない。



「そうだな、そうし…………」



 俺もその気になって頷きかけ……黙った。


 ヘッドボードに置かれた値札が目に入ったからだ。


 今なら二割引き、お値打ち価格のジャスト十万円也。


 もちろんマットレスや布団などは含まない、ベッド本体のみの価格である。


 ………………。


 俺は寝転がったまま腕を組み、厳かな口調で言った。



「いや……これはさすがに広すぎる。部屋がベッドで埋まってしまう」


「む……そこまで主の部屋は狭くないだろう。……ならば、あっちのベッドはどうだ」



 クロは一瞬不満そうな顔をしたが、特にこのベッドに執着はないらしかった。すぐに起き上がって、別のベッドを指さす。


 今度は普通のダブルベッドだ。


 俺も起き上がると、まず最初に値札をチェックする。


 クロが興味を示したダブルベッドは、今寝ころんでいるヤツの半額くらいだった。


 心の中でホッと安堵の息を吐く。


 俺はベッドに座ったまま両膝に肘をつき、顎の前で手を組み合わせながら重々しく頷いた。



「……うむ。あれくらいのサイズならちょうどいいだろう」



 給料が何倍になっても、長年の暮らしで染みついた小市民マインドが抜けることはない。



「主よ主よ、こっちのベッドはどうだ。二階のあるベッドだ」


「ロフト付きだな。これでも別に構わないが……どうせお前、夜になったら俺の布団に潜り込んでくるだろ。さっきの方がいいんじゃないか」


「む……それはそうだな!」



 俺の指摘にクロが眉根を寄せて一瞬考えこむが、すぐに合点がいったように頷いた。



「じゃ、あのダブルベッドで決まりだな。……あとはベッドサイズに合うシーツとか布団も見て回ろう」


「うむ! しかしこの店は家具がたくさんあって楽しいな! おお、あそこにあるのはクッションだな? 主よ、あの丸いヤツも欲しいぞ! あっちにはカーペットがたくさんだ! あの上で寝転がったらきっと心地よいぞ!」


「はいはい、後で見て行こうな」



 うう……来月のカード請求、とんでもない額になりそう……


 フロアの通路で子供のようにはしゃぎ回るクロを眺めながら、俺の胃がキリキリと悲鳴を上げ始めていた。


 と、そのときだった。



「……ん?」



 背後に妙な視線を感じて振り返る。


 誰もいない。


 正確に言えば、見知った人はいなかった。


 というか、さっきからクロの奇行(?)のせいで若干の注目を浴びているので、見知らぬ客からの視線は結構浴びている。


 けれどもさっき感じた視線は……なんとなくだが、誰か俺のことを知っている人のそれだった。



 もしかして、桐井課長とか佐治さんに出くわしたのだろうか?


 桐井課長は本社近くに自宅があったはずだから、ばったり出くわしてもおかしくはない。


 だとしても、課長なら俺を見つけたら声の一つくらいは掛けてくるだろう。


 佐治さんの家の場所は知らないが、彼女の性格からして俺を見かけたらスルーするとは思えなかった。


 むしろ死角から攻撃を加えてきそう。


 だが、二人でないなら誰だろうか?


 まさか妖魔とか怪人というわけでもないだろう。


 そうなると、魔法少女組の誰か……だろうか?



「――じ。主よ。聞いているのか?」



 と、考えに耽っているとポンポンと肩を叩かれた。


 いつの間にやらクロが側に戻ってきていたようだ。



「ごめんごめん。どうしたクロ」


「あっちの方に、いい匂いのする瓶があったのだ。あれが部屋にあると良いと思わないか?」



 彼女は遠くの売り場を指さしている。


 どうやらアロマディフューザーに興味を示したらしい。


 クロは本質が狼だから、あの手のグッズは嫌いだと思っていたが違うようだ。


 まあ、アロマディフューザーならそれほど値の張るグッズではない。


 アロマキャンドルは火を扱うから賃貸ではちょっと危険だが、アロマオイルに串を突っ込むタイプなら構わないだろう。



「じゃあ、あっちに行ってみようか」


「うむ! さあさあ早く行くぞ主よ」


「おいおい、急ぐなって」



 クロが俺の手を掴んでグイグイと引っ張ってゆく。



「…………」



 再び背後に視線を感じたが、すぐに振り返っても犯人を見つけることはできなかった。




 ◇




「えええええええぇぇっ!? 廣井さんって彼女さんいたの!?!?!?」



 クッションが大量に詰め込まれた棚に隠れつつ、加東聖来(かとうせいら)はアワアワと身体を戦慄(わなな)かせていた。


 隣駅にあるこの家具量販店はシンプルでオシャレな(しかも結構お安い)小物が手に入る穴場なので、最近よく通っていたのだが……まさか知り合いに出くわすとは夢にも思っていなかった。


 しかも、女優さんみたいな超美人の恋人(推定)を連れて、である。


 とはいえ、彼は大手の会社勤めで本社勤務のエリートさんである。


 お給料だってきっとすごい額を貰っているはずだ。


 だから、そんな彼に恋人がいても……というか、年齢的に結婚していてもおかしくない。



(ううん、まだ恋人と決まったわけじゃない……! それに、左の薬指に指輪はしてなかったはず……!)



 そもそも、今までそんな素振りをこれっぽっちも見せていなかった彼である。


 それに、なんとなく……これは女の勘だが、二人は恋人関係ではない気がする。



(うう~、気になる……!)



 しばらく尾行して二人の関係を暴きたかったが(さすがに直接話しかける勇気はなかった)、自分たちの教官を務めるだけあってすぐに視線に気づかれてしまった。


 姿は見られていないと思うが、これ以上付きまとうのは危険だろう。



(とにかく、皆を交えて作戦会議をしなくっちゃ……!)



 セイラは二人から距離を取りつつ素早くスマホを取り出すと、ものすごい速さで画面をタップし始めたのだった。

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