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第240話 社畜と新居

 引っ越しは思ったよりすぐに終わった。



 もとより徒歩圏内での引っ越しだ。


 引越業者も若干シーズンを外れていたせいか比較的すぐに捕まったうえ、ブラック社畜時代が長かったせいか部屋にあまりモノがない。


 かさばるものと言えば、せいぜい大きなものはテレビを含めた生活家電一式とベッド、PCと机椅子一式、それにテーブルとソファくらいのものだ。


 あとはスーツと普段着、本棚に突っ込んだ雑誌が少々、食器や調理器具などの生活用品が段ボール数箱分。


 いや……それなりに多いか。


 いずれにせよ。


 ……そんなこんなで仕事をしつつも梱包は数日ほどで終わり(人化したクロにも手伝ってもらったのも大きいが)、大きな家具や家電類はそのまま業者に頼んで終了である。


 もちろん身体能力的には俺もクロも運ぼうと思えばベッドだろうが冷蔵庫だろうが片手で運べるのだが、さすがにご近所様の目があるので自重した。


 というか俺やクロが大きな家具を雑に運んで部屋の壁を破壊でもしたら大変だからな。


 こういうのは素人は下手に動かず、まるっとプロにお任せするのが一番である。



 余談だが、生活必需品や家具類はともかく、いわゆる趣味の品がほとんどないことに気づき慄然としたのは内緒である。


 そもそもアニメや音楽は昨今はPCですべて視聴可能だし、本や漫画も電子書籍版を購入すればスマホやタブレットで読める。


 もとより何かしらの蒐集癖もなかったので、モノが無くて当然と言えば当然なのである。



 強いて趣味らしきアイテムと言い張るのであれば、クローゼットの奥から出土したダンジョン探索用の装備品などがそれに該当するだろうか。


 まあ、結局そのあとすぐに強くなってそれらも不要になってしまったが。




 ◇




「んん~、新居の香り……!」



 一通りの家具を新居のマンションに運び入れ、引っ越し業者が帰ったあと。


 俺はがらんとしたリビングで胸いっぱいに新居の香りを吸い込んだ。


 なんで新居って独特のいい匂いがするんだろうな。


 もちろん中古のマンションなので新築の匂いとは違うのだが、同系統のフレッシュな匂いがする気がする。


 まあ、雰囲気とかもあるのだろうが。



「……なかなかいい住処だ」



 クロはあらかた引っ越しが終わったあと、ボソッとそう呟いてから部屋のあちこちへ探検しに行った。


 たぶん新しい縄張りの範囲を確認とかするのだろう。


 なんかあちこちの匂いを嗅いでいたし。



 部屋割りはすでに決めてある。


 玄関近くの個室がクロの部屋、その奥が俺の部屋だ。


 リビングの奥にある部屋は、とりあえず客間兼共用スペースということになった。


 まあ、しばらくは片付け後の段ボール置き場になりそうだが。



 家具は適当に配置してもらった。


 キッチンの冷蔵庫と電子レンジ、そして風呂場の前に洗濯機。


 リビングにソファとテーブル、それにテレビ(と台座)。


 デスクと椅子、PCは俺の部屋へ。


 ベッドはクロの追加分も含めすでに運び込んでいるから、今すぐ昼寝だってできる。


 ……これでようやく俺も自分のベッドでゆっくり寝られるというものだ。



「さて、俺は梱包を解くとするか」



 独り言を呟きつつ、リビングに積まれた段ボールに手を付ける。


 家具類は配置済みだが、最低限、食器類などをキッチンの棚に入れておく必要がある。


 俺はそれらを段ボールから取り出し片付けてゆく。



「そういえば食器が多いな……」



 などとふと思ったところで、それがクロのものだということを思い出した。


 これは彼女が最近よく人化するようになってから買い込んだものだ。


 茶碗や皿、それにお箸がそれぞれ二人分。


 洗面所には、すでにコップと歯ブラシを二つずつ並べてある。



「ふふ……なんか本当に同棲生活みたいだな……」


「どうせいせいかつとはなんだ?」


「おわっ!?」



 いきなり耳元で声が聞こえたせいで、身体がビクン! と跳ねてしまう。


 あわてて横を見れば、クロがすぐ隣にしゃがみこみ、俺の手元を眺めている。


 どうやら探検は終わり、リビングまで戻ってきていたようだ。


 ……引っ越しが終わり気が抜けていたせいで、彼女の気配に気づかなかったらしい。



「ク、クロと一緒に暮らすってことだよ」


「……? それはこれまでと何が違うのだ?」



 クロはいまいち分かっていないようで、小首をかしげている。



「うーん……同じは同じだけど意外と説明が難しいな」



 クロに説明しようとして、なんだかんだ俺も『同棲』という単語の意味がよく分からないことに気づく。


 そもそも同棲って共同生活と何が違うんだ……?


 ただ、恋人と一緒に生活すればそれで同棲と言えるのだろうか?


 まあそもそもの話、クロは恋人ではないが……



 正直なことを言えば、人化してもクロはクロである。


 いくら美女の姿をしていても、恋愛感情を抱いているかと己の心に問えば……少なくとも今のところは否である。


 もちろん大事な相棒であることには変わりない。


 強いて言うならば、家族……というか、可愛い自慢の妹といったところだろうか。


 世話も焼けるしな。


 自分でも不思議だとは思うが、こればかりは今までの関係や生活を共にしてきた経験の積み重ねもあるのだと思う。


 少なくとも今のところは、クロが人化したまま一緒に暮らしていると言っても俺の気持ちに変化は起きていない。



 とはいえ、である。


 先ほどの気持ちと矛盾するようではあるが、俺も健康な成人男子である以上、クロが人の姿のままベッドに入って来られると困ってしまうことはある。


 だからこそ引っ越しを思いついたわけだし、その辺は彼女にしっかり言って聞かせなければならない。



「……とにかく、これからも一緒に楽しく暮らして行こうな」



 そう言って誤魔化した。



「うむ。主と一緒なら我はいつでも楽しいぞ」



 一方クロもそれ以上突っ込むこともなく、嬉しそうに頷いたのだった。




 そして翌日。


 妙に身体が重たく、早朝に目が覚めた。


 なんなら、うなされて起きたまである。


 その原因は明白だった。



「すう……すう……」


「…………」



 俺の布団をがばっと持ち上げた。


 人化したクロが思い切り俺にしがみついたまま寝ていた。


 それはもう、幸せそうな顔で。


 昨日の夜、間違いなくクロは自分の部屋に入っていったところまでは覚えている。


 どうやら俺が寝ているうちにベッドに忍び込んでいたらしい。



 …………部屋を分けた意味ないじゃねーか!

※余談ですが、作者はラノベと漫画は紙の本と電子書籍版は半々くらいで買ってます。

 どちらも良し悪しがあるので、どちらも末永く存続してほしいですね!


 あ、本作書籍版も引き続きよろしくお願いいたします!

 紙の方はだいぶ在庫が少なくなってきているようですので、検討されている方はお早めにどうぞ…!

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