第221話 社畜、温泉を満喫する
合宿施設のある山から車で少し下ったところに温泉街がある。
もっとも温泉街といっても、ごく小さな町だ。
山間を流れる谷川に沿って鄙びた雰囲気の温泉旅館が五、六軒立ち並んでおり、あとは民家と小規模な商店街がある程度。
場所柄シーズン中はスキー、スノボ客などで賑わうのだろうが、微妙に季節を外しているせいかそれらしき客はほとんど見かけない。
すでに夕方の遅い時間に到着したせいか、雑貨屋や土産物屋の類にいたっては、すでに営業終了していた。
通りを歩く家族連れやご老人は、おそらく地元民だろう。
もっとも今日に限っては、町は少しばかり華やかな雰囲気だった。
俺たち『別室』の面々と魔法少女たちで、チャーターバスでやってきたからだ。
まあ、俺はその中の添え物的な存在だが……それはさておき。
「ねえねえ皆、あそこの旅館の温泉に行ってみたいわ! お湯がトロトロらしいわよ!」
「へー、ここの温泉街はみんなアルカリ泉質で美肌効果があるんだって。楽しみだね!」
「セイラはまだまだ肌のツヤとか気にする年じゃないっしょ……てかどこ行っても同じじゃね? あ、アンリは温泉って初めてだっけ?」
「ハ、ハイ……! 楽しみデス!」
温泉街に降り立った朝来さんと加東さんがスマホを手にハイテンションで騒いでいる。
一方能勢さんは二人に苦笑しつつもアンリ様に気を配っているあたり、お姉さんの自覚があるのだろう。
「温泉……久方ぶりじゃのう……!」
「ほらほら、ミーシャちゃんは迷子になるなよー」
「なっ!? お主、ルナと言ったな! ワシを子ども扱いするでない!」
「いやーどこをどう見ても子供じゃね……?」
ちなみに魔法少女組の中に、ソティもちゃっかり偽名で溶け込んでいるようだ。
というか、能勢さんに完全に子ども扱いされているな。
まあ当人は文句を言いつつまんざらでもなさそうな様子なので放置しておく。
「それでは、私たちはあっちの温泉に行きましょうか」
「了解です」
魔法少女組が目当ての温泉へ突撃したあと、俺たちも行動を開始する。
彼女たちと『別室』はここで別行動となる。
一応俺たちは魔法少女組の引率という立場だが、互いに自由時間ということもあり過度な束縛はしていない。
まあ、五人とも同世代(一名除く)の子供よりずっとしっかりしているし、特に能勢さんは皆のリーダー役を買って出てくれているからな。
まあ、集合場所と時間も決めているし問題はないだろう。
「へー……ここの温泉地は基本的に源泉かけ流しのうえ、濁り湯らしいですよ。楽しみですね!」
桐井課長は温泉好きらしく、とても機嫌が良い。
てくてくと通りを歩きながら、周囲の温泉情報をスマホで調べている。
「我々はどこに入るんですか?」
「この川沿いの温泉旅館にしましょう。ここは日帰り客も受け付けているみたいですし、露天風呂で川向うの景色が見えるらしいですよ」
「おお、いいですね」
桐井課長が差し出したスマホを覗き込む。
画面に映し出されているのは、なかなか風情のある露天風呂だ。
湯煙の中に見える白く濁ったお湯が温かそう。
すでに夕闇が空を覆っており、空気もかなり冷え込んできている。
俺もさっさと温泉に浸かってホカホカしたい。
「ふむ……今調べたところによると、この温泉は露天風呂だが混浴ではないようだな。残念だったな廣井」
「あっても一緒に入らないですよ!?」
「ちょっ、佐治さん! 今は女性から男性への発言もセクハラになりますから控えてくださいね!?」
「そうなのか? 世知辛い世の中だな……だが桐井だって、昨日は廣井は脱いだら凄いんじゃないかとか言っていただろう。気にならないのか?」
「なっ……! 記憶を捏造しないでください! それは佐治さんの発言でしょう!」
「む……そうだったか? 実は私も結構飲んでいたからよく覚えていなくてな」
などと若干きわどい会話をしつつ、温泉へ。
そういえば桐井課長と佐治さんは同期らしい。
二人のフランクな会話というか掛け合いは聞いていて楽しいが、桐井課長が温泉に入る前から顔が真っ赤になっているのでそろそろやめておいた方が……
ちょっとヒヤヒヤしつつも受付を済ませ、それぞれ男湯と女湯へ向かった。
……余談だが、『現場調整課』の郷田課長と依田さん、それに三木主任はかなり飲んでいたため案の定昨日からの二日酔いが抜けておらず、合宿所の大浴場で我慢するらしい。
日中のオリエンテーリングの準備で三人に会ったときも、全員顔が土気色だったからな……
旅は恥のかき捨てと言うが、恥をかき捨てた結果が丸一日続く二日酔いでは目も当てられない。
ちなみに小山内さんは意外とお酒が強いらしく翌日もケロッとしていたが、三人の看病(?)のため合宿施設に留まることにしたそうだ。
まあ、いろいろとご愁傷様である。
それと、クロとマスコットの皆さまも合宿施設でお留守番である。
クロはさすがに一緒に入るわけにもいかないから当然として、マスコット勢はリラックスすると認識阻害の魔法が解けてしまう可能性があるらしく、堂々と温泉に入るわけにはいかないようだ。
留守番勢には申し訳ないが、彼ら彼女らの分まで温泉を楽しんでいこうと思う。
◇
「ふう……」
洗い場で身体を軽く流した後、白く濁った湯に身体を沈めた。
お湯の温度は少し熱めだが、そのおかげで冷えた身体がじんわりほぐれていくような気分になる。
この温泉は旅館に併設されているものだが、どうやらシーズン外のせいか他の客はおらず広い湯船は貸切状態だった。
正直なところ泉質とか肌がツルツルになるとかは全く興味がないが、こうやってのんびり湯船に浸かれるのはありがたい。
低めの囲いのすぐ向こう側は川が流れており、夜の帳の向こう側から静かなせせらぎが聞こえてくる。
まさに極楽である。
ちなみに女湯は少し離れた場所にあるらしく、さすがに桐井課長らの声は聞こえてこなかった。
まあ、聞こえてきたところでどうするつもりもないが……
「ふう…………」
夜空を見上げながら、再び息を吐き出す。
と、のんびり湯船に浸かっていたら。
ふいに洗い場の方でザバザバとシャワーを頭から被るような音がした。
どうやら宿の客が入ってきたらしい。
その後すぐにペタペタと足音が近づいてきて、ちゃぷんと湯に浸かる音がした。
『ふう…………』
気持ちよさそうなため息が、少し横から聞こえてくる。
男性にしては妙に甲高いため息がした気がするが、子供だろうか?
そういえば、シャワーもなんか雑な感じだったし。
それよりも、なぜか俺のすぐ近くの湯に浸かっているのも気になった。
もしかして俺をお父さんか何かだと勘違いしているのだろうか。
まあ、別に気にするほどのことでもない。
というか温泉に浸かっているせいでちょっとのぼせてきているのか、周りのことがあまり気にならなかった。
そのままぼーっと天を見上げる。
濃紺の夜空に、星々が瞬いているのが見えた。
湯の上を吹き抜ける、キンと澄んだ夜風が心地よい。
「ふうー…………」
『ふうー…………』
隣の客とため息がハモった。
……うん?
どこかで聞いたことがあるような、妙に親近感のある声色だ。
それに息のハモリ方が息ぴったりである。
そこで違和感に気づいた。
そもそも、隣の客は温泉の出入り口から入ってきてたっけ?
扉は引き戸になっているので、入ってきたらガラガラと音がするはずだ。
だが……さっき、そんな音してなかったぞ。
そこでようやく、俺は横を見た。
『はふぅーー…………』
「!?!?!?!?」
美女姿のクロが気持ちよさそうに目を細め、首まで湯に浸かっていた。
のぼせた頭が一瞬で冷静になった。




