第205話 社畜と春の強化合宿(始動編)
合宿当日は本社前にて集合。
その後、貸し切りバスで目的地まで移動することになっている。
諸々の準備のため少し早めに出勤すると、すでにマイクロバスが敷地内の駐車場に停まっているのが見えた。
定員は二十名程度だろうか。
今回の合宿は『別室』の面々を含めても十数名なので、席の後ろなどに荷物を積み込んでもそこそこ余裕があるだろう。
桐井課長はいつもどおり誰よりも早く来ており、運転手さんらしきおじさんと何やら話し込んでいた。
というか運転手さんも待ち合わせよりだいぶ早く到着しているな……
本来ならばあと三十分ほどあとに到着する予定だったのだが。
まあ平日はこの時間出勤ラッシュで道が混むから、早めにやってきたのかもしれない。
佐治さんはまだ来ていないようだ。
もっとも本来の出勤時間まで、まだ少しある。
そのうち来るだろう。
「桐井課長、おはようございます……運転手さんも、今日はよろしくお願いします」
「廣井さん、おはようございます」
「これはご丁寧に。今日はよろしくお願いします」
ひとまず二人と挨拶を交わす。
桐井課長の今日の服装はいつものゆるふわコーデとは違い、アクティブな山ガール風だ。
上着は明るい色のマウンテンパーカー、下はレギンスの上に短パンを履いている。
靴はもちろんトレッキングシューズ。
こういう桐井課長もキュートで良いなぁ……
とはいえ、彼女もただのファッションで山ガールに扮しているわけではない。
合宿施設までは車で行けるものの、周辺は山道ばかりなので、この手の服装が必須なのである。
もちろん俺も動きやすい服装で参加している。
「その子……可愛いですね!! クロちゃん……でしたっけ? あの、触らせてもらっても?」
と、桐井課長が俺の足元のクロに気づいたらしく目を輝かせた。
……何を隠そう、今回の合宿はクロ同伴である。
「もちろん触っても大丈夫ですよ。……クロもいいよな?」
「…………フスッ」
俺の問いかけに、足元でクロが鼻を鳴らす。
これは『まあよかろう』だな。
「あっ、今のってもしかして返事ですか? 賢い子なんですね~!」
「いやあ、聞き分けの良い子で助かってますよ」
「クロちゃん、よろしくね!」
桐井課長がニコニコ顔で近づきしゃがみこむと、そっとクロの頭に触れた。
一方クロはというと、心なしか鼻に皺が寄っているように見える。
……が、これはいわゆるツンデレというやつだろう。
まあ、噛みついたり唸り声を上げたりするわけでもないので問題ないと思う。
――もちろん最初は、ペットホテルも検討した。
だがクロがわざわざ人化してまで『冗談であるな?』とマジな様子で拒否してきたので、しかたなく会社に掛け合うことにしたのだが……俺の予想に反して、すんなりとOKが出たというわけである。
なんでも過去に、犬を飼っている社員が似たようなケースで頼み込んできたことがあったらしく、そのときにいろいろ上で協議した結果、中型犬程度までならば合宿に連れて行くのを許可することになったそうだ。
もちろんきちんと躾ができていることが前提ではあるそうだが、その点、クロなら問題ないわけで。
それに今日のクロはきちんと首輪とリードで普通の飼い犬を装っている。
電車の中でもケージ内で大人しくしていたし、やればできる子なのだ、うちのクロは。
「ふふ……可愛いですねぇ……! まさかお仕事中にワンちゃんと遊ぶことができるなんて……廣井さんもクロちゃんもありがとうございます……!」
桐井課長はニヨニヨしながらクロを撫でまわしている。
課長って犬好きだったっけ?
まあ特別犬嫌いでもなければ、目の前に真っ黒なモフモフがいれば撫でまわしたくなるのは人情というか本能である。
そもそもクロの魅惑の毛並みを前にしてモフモフに抗うことなど、人類には不可能なのだ。
犬バカ?
残念だが、そこは譲れないな!
「あっ廣井さん、桐井さん、おはようございます!」
「……おはようございます」
「おはざーす。あっ、なんか犬いるし! もしかして廣井さんの飼い犬? かわいーっすねー!」
「おはようゴザいマス、ヒロイ様」
そうこうしていると、見慣れた四人組が門の前にやってきた。
加東さん、朝来さん、能勢さん、そしてアンリ様である。
四人はここ最近いつも一緒に行動しているらしく、今朝もどこかで待ち合わせてからここまでやってきたようだ。
「皆さんおはようございます」
ひとまず挨拶を交わす。
そう言えば、今回の合宿参加者は何人だったかな。
この四人が参加するのは当然知っているが、それ以外にも五、六人はいたはずだ。
というか、そろそろ集合時間なんだけどな。
春休みだから気が抜けている子も多いとは思うが、こうまで遅刻者が多いと先行きが心配になる。
「桐井課長、そろそろ出発時間ですよね? ずいぶんと集まりが悪いように思うんですが……」
「ああ、そのことなんですが……」
桐井課長がクロを身体中を撫でまわしながら俺を見上げ、悲しそうな顔をした。
「一人だけ事情があって現地で合流する予定ですが、車に乗るのは今いる人たちで全員です」
「……マジっすか」
確かに、いくら周囲を見回しても馴染みのメンツ以外が視界に入らない。
そんな様子を察したのか、桐井課長がぽつりぽつりと話し出す。
「それが……今年は佐治さんが戦闘教官を務めるという話が参加者に伝わった途端……辞退者が続出しまして……」
「……はあ」
確かにこの合宿は、自由参加だが……
佐治さん……あんた一体、今まで魔法少女たちにどんな訓練を施してきたんだ……
というか、その原因となった彼女がこの場にいないんだが?
などと思っていたら。
「…………ふあ………あぁ、おはよう」
プシュー、とマイクロバスの側面の扉が開き、佐治さんが降りてきた。
欠伸交じりで大きく両手を挙げ、ぐぐーっと伸びをする。
しかし彼女の目はまだトロンとしている。
なんだろう、完全に大型犬の仕草だ。
……というかその様子、もしかして中で寝ていたのだろうか。
彼女はオーバーサイズのウインドブレーカーをラフに羽織り、下は桐井課長のようにレギンスを着用している。
意外とほっそりとした足に視線が吸い寄せられるが……どうにか目を逸らす。
「お疲れ様です。荷物の積み込み、終わりましたか?」
「うむ、さっき中の片付けを終えた。後ろ半分が埋まってしまったが……すまない、少し居眠りをしてた」
「ふふ、今日は佐治さんが一番乗りでしたからね。仕事が終わっているのなら別に構いませんよ」
どうやら一番最初に来ていたのは佐治さんだったようだ。
というか、俺が一番後か……
まあ定刻より早く来ているので別にいいんだが、なんだか負けた気分だ。
いや、別に出勤の速さを競う気もないが……
おれは社畜の自覚こそあれど、熱血タイプではないからな。
「……む?」
と、佐治さんの目が俺の足元に向いた。
それから彼女はスタスタとこちらにやってくると、クロの前でしゃがみこんだ。
それから彼女はじー……っとクロを見つめ、ボソッと呟いた。
「……犬がいる」
「クロちゃんって言うんですって! 廣井さんちの子なんですよ」
「……そうなのか」
「あ、はい。なにぶん一人暮らしなもので」
「……犬は良い」
言って、佐治さんがグッと親指を上げる。
どうやら『別室』は全員犬好きだったようだ。
まあ佐治さんはどちらかと言うと犬好きというより犬側のような気がするが……
「……触ってもいいか」
「大丈夫だと思いますよ」
俺が頷くと、佐治さんが恐る恐るクロに手を伸ばした。
クロは大人しく、彼女に触れられるままになっている。
桐井課長の時と比べて機嫌が良さそうなのは、狼女子と犬系女子とでシンパシーがあるからか。
それにしても、だ。
こんな佐治さんの様子を見ている限り、魔法少女たちに恐れられる要素が見当たらない。
確かに彼女は桐井課長と比べれば、仕事中はピリッとした雰囲気を纏ってはいるが……それは社会人ならば誰しもが持つ空気感だ。
特別彼女だけが怖い、と思えるようなものではない。
まあ、確かに寡黙なタイプではあるので、そのあたりが女子からは怖がられる一因かもしれないな。
……などと思っていたら。
「ッス! 佐治教官、おはようございますッッ!!」
「……!?」
横からバカでかい挨拶が聞こえたと思ったら、能勢さんが近くに立っていた。
彼女は佐治さんに向かってビシッ! と最敬礼のポーズを取っている。
彼女の顔は引き締まり、その立ち姿は直立不動。
……軍人かな?
「………うむ、おはよう」
「……ッス!!」
カッ! と踵を鳴らし、能勢さんが元気よく返事をする。
……そう言えば、彼女はそれなりに魔法少女歴が長かったはずだ。
「の、能勢さん……?」
「ちょっ、アンタいきなりどうしたのよ……」
「能勢サン……そのポーズ、素敵デスネ!」
能勢さんのあまりの豹変ぶりに、加東さんと朝来さんがドン引きしている。
アンリ様は、まあこの世界のあれこれにまだ疎いから反応が鈍いが……
とはいえ、このわずかなやりとりで俺はすべてを悟った。
うん。
これは佐治さん……鬼教官だわ。




